表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
35/39

第三十五話 小宮・村松・小宮

 村松さんに握られた肘に、しばらく感触が残った。


 友華ちゃんの父。


 多美さんの愛人。


 母を殺した復讐者。


 間近で見たその男の顔に、衝撃が走る。前に飛び出した鼻、横に大きく裂けた口、尖った牙、頬を覆い尽くすヒゲ――まるで狼じゃないか!


 狼が、清伸のすぐ横で、ハンドルを握っている。


 まるで現実感がない。


 どこへ行くのだろう。


 とにかく、純を殺させないことだ。


 なにか言わなければ。


「あの……さっきはすみません」


 狼は、フロントガラスをにらみつけている。


「突然あんな場所で、土下座なんかしまして。もっと前に、きちんと謝罪すべきでした」


 狼がこっちを向く。


「うるせえ! 殺すぞ!」


   *   *   *


 車を土手道に上げた。


 川沿いの一本道。夜中には、人も車もほとんど通らない道。


 助手席でビクビクしている小宮。


 まるで小動物のよう。脅えたネズミみたいだ。


 もしこいつが、罪を悔い改めていたら?


 心を入れ替えていたら?


 死んだあと、天国に行くのか?


 冗談じゃねえ!


「おい、小宮」


「は、はい」


「おまえ裁判のとき、嘘をついたろう」


「――え?」


「全部正直に言ってないだろう。ここならおれと多美しかいない。正直に言ってみろ」


「…………」


「友華を殺した動機はなんだったんだ? いたずらしようとして騒がれたんで、気が動転して首を絞めたと言ったらしいな」


「……はい」


「ちがうだろう? 元々殺す予定だったんだろう? 顔を見られた友華を帰す気なんか、最初からなかったんだろう?」


「ちがいます」


「隠さなくてもいい。裁判のやり直しはないんだ。刑務所に入り直すこともない。全部しゃべってスッキリしたらどうだ」


「はい。そうします」


 小宮を見た。まともに目が合う。


 和樹は顔を背けた。


「正直に言います。裁判では自分が殺したと嘘をついてしまいましたが、ぼくにはとてもそんなことはできません。あれをやったのは、ぼくの家から逃げた友華ちゃんをたまたま見つけた、平気で人を殺すことができる人間だったんです」


 決まった。こいつは地獄行きだ。


 車を停めた。小宮を車から引きずり出し、気を失うまでぶん殴ってやる。


「やめなよ、和さん」


 後ろで多美の声がした。


「土手の下には家が並んでるんだから、ここで大きな声でも出したら、あっという間に警察が来るわよ」


 そのとおりだった。多美にはいつも助けられる。


 よし、もう海に行こう。


 ケリをつけてやる。


   *   *   *


 車が土手道を降りた。どこへ行くのだろう。


 もしかすると、森の奥にでも連れ込まれて、木に縛りつけられ、目の前で純をなぶり殺されるんじゃなかろうか――


「あの、村松さん」


「なんだ」


「ぼくをめちゃくちゃに殴ってください」


「言われなくてもやるよ」


「本当は、村松さんには、十五年前にそうされるべきだったんです。刑期を務めたからって、そこから逃げてはいけないんだと今わかりました。どうか誰もいないところへ行って、思う存分やってください」


 沈黙。それが五分も続いたころ、村松さんが言った。


「潮の匂いがしてきた」


「……え?」


「窓から匂ってくるだろ。海が近いんだよ。おれはこの匂いを嗅ぐと、子どものころを思い出すんだ。海水浴が好きで、よく連れて行ってもらったからな」


 急に打ち解けた話をされて、どぎまぎした。


 村松さんの気分に、なにか変化があったのだろうか?


 ともかく清伸は、


「あ、ぼくも大好きでした。波打ち際でじーっとしてると、時間が経つのも忘れちゃって」


「なんでじっとしてるんだ。泳げよ」


「海で泳ぐのって、怖くないですか?」


「なにが?」


「なんか、水が多すぎて」


「そりゃ海だからな」


「でも泳がなくても、お腹がすごくすくんですよね。ぼくは海の家でラーメンを食べるのが楽しみでした」


「おれもよく食ったよ」


「何ラーメンですか?」


「味噌」


「いいですね。ぼくは塩です」


「塩? あんなもの、ラーメン食った気がしないだろう」


「母が好きだったんですよ。父は必ず醤油で。いや懐かしいなあ。潮の匂いが強くなってきましたね。ぼくは海は好きだけど、このへんに住もうとは思わないですね。服とか家の中とかが、全部この匂いになっちゃいそうで」


「おい、小宮」


「はい?」


「この先に、臨海公園ってのがあるのを知ってるか?」


「いえ、知りません」


「海賊船があるんだよ」


「公園に、船が?」


「船の形をした遊具だ。昼間来れば、たくさん女の子が遊んでるのを見られるぞ。もしおまえらの子が死んだら、ここに見に来ればいいよ」


「…………」


「でも夜には誰も来ない。泣いても叫んでも人に聞かれることはない。今からそこで、おまえをぶん殴る」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ