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第三十二話 恐ろしい計画

 八月の中頃の、土曜日の朝だった。


 起きると、布団に純がいなかった。


 トイレかと思ったらちがった。多美さんの布団にもぐったかと思って見に行ったら、多美さんもいなかった。


 多美さんが純を連れてどこかに行ったらしい。伝言もなく、朝七時に。こんなことは、かつて一度もなかった。


 携帯に電話した。何度も何度もかけた。多美さんは出ない。


 まさか――家出?


 タンスの抽斗を開けた。ない。普段はそこにしまってある、カメオが。


 あれは多美さんが、昔イタリア旅行に行ったときに買ったもので、それがいちばんの宝物だと言っていた。その貴婦人の横顔のカメオがない。


 やられた。


 男ができて、そっちに走ったのだろうか?


 ふと、三年前に一度だけ会った、勝間田章吾の顔が浮かんだ。


 あの男は明らかに、多美さんを知っていた。もしかすると、今度の家出につながるようなことも、知っているかもしれない。


 名刺を探して電話をかけた。


「はい、勝間田です」


 出てくれた。


「小宮清伸です。以前取材の依頼を受けました、村松友華ちゃん事件の犯人です」


「ああ」


 勝間田が、意外そうな声をあげた。


「取材にはなんでも答えます。その代わり、教えていただきたいことがあるのです」


「もしかして、海野多美さんのこと?」


 やはりなにかを知っていたのか、すぐに言った。


「そうです。彼女が家出したんです。三歳の子を連れて」


「きみと、海野さんのあいだに……子ども?」


「いえ、その子は連れ子というか、シングルマザーの彼女と出会って、三年前から同棲していたんです」


「…………」


 勝間田が考え込むように、しばらく沈黙した。


 やがて、


「あの、小宮くん。身体の調子はおかしくない?」


「え、ぼくですか? 全然」


「そうか。ひょっとして、砒素でも盛られてるんじゃないかと心配してたけど」


「……どういうことですか?」


「きみは、海野多美さんを愛しているの?」


「え……それはまあ、はい」


「すぐに別れて逃げなさい。殺される前に」


「殺される?」


「海野さんは村松和樹氏の愛人だよ。友華ちゃんの父親の」


「ええっ?」


 勝間田の声が、急に遠くなったように感じた。


「彼は残酷な男だ。きみの母親も、手紙で追いつめて自殺させたそうじゃないか。そういう彼だからこそ、自分の愛人も平気できみに差し出せたんだ。村松氏と海野さんは、あの事件前から付き合っていて、村松氏が離婚するとすぐにくっついた。まるであの事件を、いいきっかけにしたみたいにね」


 そういうことがあったのかと、清伸は初めて知った。


「海野さんの連れ子というのは、女の子?」


「……はい」


「二人の子なのかな。それはきっと、生け贄だよ」


「生け贄?」


「村松氏は、きみに対する復讐を考えていた。もしきみが、成人になって二度目の殺人を犯せば、今度こそ必ず死刑になる。そう考えて、幼女と二人きりになる環境を作りあげたんだよ」


「そんな」


 思わず、声が裏返った。


「ぼくはそもそもやってないし、それに純のことは、本当に愛してるんだ。そんなこと、絶対にするわけがない!」


「まあまあ。だから彼の復讐計画っていうのは、その程度のものだったんだ。杜撰で誤算だらけ。しかしそれがうまくいかなかったとすると、今度は強引な手段に出てくる危険がある。彼の報復感情は、強烈だからね」


「……例えば、どんなことを?」


「そうだな。村松氏はあくまで完全犯罪を目指してたから、自分が殺人罪で捕まるようなことはするまい。事故を装うだろう。あ、そうだ!」


「なんですか?」


「大人を事故に見せかけて殺すのは難しい。しかし子どもなら、簡単に殺せる」


「どういうことでしょう?」


「その子は元々、きみに殺させるつもりだった。ところが逆に、まるでわが子のように愛するようになったのを、海野さんは知った。そこで計画を変更し、その子を事故を装って殺すことにした」


「どうして純を?」


「三歳の娘を突然殺された父親と同じ苦しみを、きみにも味わってもらう。村松氏なら、きっとそう考えるだろうね」


「なんてことを……」


 純が死ぬ。そんなこと、あってたまるもんか。


「おそらく彼は、決して証拠の残らない方法でやるだろう。とにかく相手は正気じゃない。警察に相談するか?」


「いえ」


 即座に言った。


「警察は、なにかあってからでなくては動きません。純を殺させないためには、ぼくが直接交渉するしかないんです」


「危険だぞ」


「いつかは会わなくちゃいけない人だったんです。ぼく自身は殺されても文句は言えないけど、純の命だけは、救けたい」


「そうか」


 電話を切った。いよいよそのときが来た。


 友華ちゃんの父親と会う。


 ずっと弁護士に止められていた。警察にも警告された。


 が、今や清伸には、村松和樹と交渉できるカードがあった。


 それは、ほんのかすかな、疑惑程度にすぎなかったけれど。


 携帯で、多美さんにメールを送った。


 多美さん。

 彼氏が、村松和樹さんであることを知りました。

 ぼくが純を殺すのを待っていたこと、そしてぼくにその徴候がないので、三歳の娘を殺された父親と同じ苦しみを味わわせようとしていることも、知っています。

 それを実行する前に、どうか村松さんと交渉させてください。ぼくはどうなっても構いません。どうかこの携帯に、電話をくださるようお願いします。


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