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第二十九話 小宮清伸

 牛丼屋のテーブル席とカウンターを拭いてまわっているとき、女の客が手招きをしていることに気づいた。


 またあの女だ。


 この一週間で、もう三回は来ている。だいたい七時過ぎくらいに、いつも一人で来る。


 水商売っぽい。年齢は三十代の後半から四十くらい。妖しげな真っ赤なルージュ。


 なんのクレームかと思って近づいていくと、


「あなたがタイプなの。これ電話番号。必ず電話してね」


「…………」


 小宮清伸は、無言で紙切れを受け取った。


 バイトが終わると自転車で安アパートに帰り、電話した。


「もしもし。先ほど電話番号を渡されたものです」


「あら、嬉しい!」


「お名前を訊いてもいいですか」


「海野多美。あなたは?」


「小宮清伸です。海野さんは、いい声ですね」


「ありがとう、キヨノブさん。そう呼んでいい?」


「さんなんてつけなくても、呼び捨てでいいですよ」


「じゃあクンにするよ。キヨノブくん。キヨくん。キーくん。どれがいい?」


「……最後の、かな?」


「キーくん? じゃあそうするね。わたしは多美でいいよ」


「多美さん」


「ねえ、会いましょうよ。あなたのおうちに行っていい?」


「あ……はい」


 住所を教え、車を駐車できる場所を伝えた。


 心の準備をしようと努めた。大人の女性にどう接したらよいか――自分には縁のないことだとあきらめていたので、想像もできなかった。


 シルバーのフィアット500で、多美さんは来た。


 部屋に上げた。この部屋にはスリッパも座布団もなかったことに、初めて気づく。


 近くに坐られた。


 昂奮と恐怖。


 抱きつかれて、唇が寄ってきた。


 その瞬間。


 どういうわけか、友華ちゃんの死顔が浮かんできた。


 自殺したお母さんの、悲しそうな顔も。


 刑務所で、男たちに無理やりされた汚いことと、させられたことの映像も。


「待って! ぼくは前科者なんです!」


 たまらず多美さんを押しのけて、叫んだ。


「あの、ぼくはそれを黙ったまま、そういう関係になりたくないです。せっかくぼくを好きになってくれたあなたを、騙したくない」


 多美さんは、目を丸くした。


「前科って――」


「殺人です。嘘だと思ったら、ネットで検索してください。小宮清伸って」


 初めて他人にしゃべった。なぜ突然告白する気になったのか、自分でもよくわからない。


「わたし、ネットの情報って信じないの。直接キーくんの口から聞かせて」


「幼女の誘拐殺人です」


 言った。すると、言葉が勝手にあふれてきた。


「ぼくは、小さい女の子を育てるのが夢だったんです。でもどうせぼくなんか結婚できないと思ってて、十七歳のときに、どうしても我慢できなくなって、女の子をさらってきてしまったんです。ほんの何日かで帰すつもりで。そうしたら、誰かにその子を殺されて、警察にぼくがやったっていうストーリーを作られて、母親に自殺されてどうでもよくなって、嘘の自白をして刑務所に行きました」


「……嘘の、自白?」


「あ、でも、もうどうでもいいんです。その子の死に責任があることは、まちがいないですから」


「罪は償ったのね」


「一応。でも賠償金も払えてないし、遺族に謝罪させてももらってないし。こんな状態で、女の人とお付き合いなんて、とてもできません」


「誠実なのね」


「全然ちがいます」


「夢はどうするの」


「夢?」


「女の子を育てたいんでしょ。さっき、そう言ったじゃない」


「それは、でも……」


「わたしね、シングルマザーなの。今はちょっと親に預けてるけど、純っていう、生後半年になる女の子がいるの。キーくん、育ててみない?」


「えっ?」


 驚いて多美さんを見た。


 ポカンとあけた口を、真っ赤なルージュの唇でふさがれた。


 その夜、初めて女性を知った。


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