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第二十五話 憎悪の手紙

 アパートに多美はいなかった。合鍵で入る。九時を過ぎていたので、彼女はオフィスにいる時間だった。帰りを待っていたら夜になってしまう。


 電話をすると多美は出た。


「おれだけど、今日休める?」


「大丈夫? その……」


 当然、友華がどうなったかは、ニュースで知ったろう。友華が誘拐されてから一切連絡していなかったので、きっとずっと心配していたにちがいない。


「電話しなくてごめんな。最悪の結果になっちまった」


「…………」


「あのさ、おれ今アパートに来てるんだ、多美の」


「……わたしの?」


「会いたくて。でないと、どうかなっちゃいそうで」


「すぐ行く」


 多美の声は、仕事中だけに低く抑えられていたが、はっきりと愛情が籠っていた。それに飢えていた。


 棚を開けると赤ワインがあった。コップを出してつぐ。


 一気に飲み干した。こういう飲み方は初めてだ。しかし止まらない。二杯目を飲み干したときに携帯が鳴った。妻の実家から。電源を切る。


 酔いがきた。


 床に寝そべる。ドアノブがまわる音。多美。身体を起こそうとする。できない。


「和さん」


 多美が寄ってきて、心配そうな顔で見降ろしてきた。


「母親が具合悪くなったと言って帰ってきたの。ちょうどお盆の休みが終わったばかりなんだけど、うちの会社はけっこう休めるから」


「ごめん、水持ってきてくれ」


 コップ。差し出されたが頭が上がらない。それを見ると、多美は自分で水を含み、口移しで和樹に飲ませた。


 こんなこと、絶対に貴美子はするまい。


「おれ、犯人を殺すよ」


「だめよ。そしたら和さんが――」


「抱いてくれ」


 抱かれた。多美は筋肉質だ。とくに太ももがパツンパツンに太い。


 七面鳥のもも、あるいは、ブラジルのサンバダンサーを思い出す。三羽の七面鳥とサンバを踊る多美――妙な空想が湧いて、ふっと気持ちが和んだ。


 そのあと風呂に入り、一緒にメシを食った。


 夜の七時になったとき、タクシーを呼んだ。


 キスをして多美と別れる。タクシーの中で携帯の電源を入れた。貴美子からのメールが三件入っていた。読まなかった。


 ひとまず自宅へ。マスコミがいないのでほっとする。


 風呂場に行って湯を張り、そこに自分の髪の毛を落とす。アリバイ工作だ。


 車で妻の実家へ。しつこいマスコミに中指を立てて、家に入る。


 貴美子はリビングにいた。


 和樹に半分だけ顔を振り向けて、紙切れを差し出してきた。


 離婚届。


「わたしは殴られたことを赦さない。赦したらあんたはまたやる。どんな言い訳も、暴力を正当化することはできない。だからこれは決定。話し合いの余地はないのよ」


「待てよ。おれが手を出した原因が、そっちには一パーセントもないというのか?」


「何時間も前に、友華が帰ってきたのよ。あんたなにしてたの? 何回も電話したのに。こんなときに出て行くなんて、もう友華の父ですらないわ」


 忘れていた。遺体が午後に戻ってくると、警察に教えられていたのだった。


 家中に和樹を責める空気。カッとなった。


「友華が帰ってきたからって、なんだよ。ただの死体じゃないか。もう安置所で見たよ。生きた友華が帰ってくるんじゃなけりゃ、なんの意味もねえ」


 言いながら、感情が抑えられなくなってきた。


「葬式も出ないからな。死体なんてただの物体だろうが。そんなもん囲んで、女どもがキチガイみたいにヒーヒー泣くのに付き合ってられるか!」


 離婚届をひったくってリビングを出ようとした。すると雅斗くんが、


「待ってください。少し落ち着きましょう。この状況を作り出したのは小宮です。怒るべきは小宮に対してであって、家族で言い合ってる場合じゃないです」


「そうだ、勝間田さんからメールは来てたかな。パソコンを見ていいか」


 返事を待たずに二階へ行った。雅斗くんが来るのを待つあいだに、熊野刑事に電話した。


「友華のことで、新たにわかったことはありますか?」


「亡くなられたのは昨日の正午前後という推定です。コードで窒息させられたのが死因で、そのほかに外傷はありません」


「いたずらされた形跡は?」


「傷などはありません」


「それは友華が抵抗しなかったからですか?」


「わかりません。わいせつに関することは、なにも供述していませんので」


「女の子を誘拐して四日間、ただ眺めていたと?」


「お菓子やおもちゃを与えて、遊んであげていたと言うのですがね。そこは被疑者にしかわからない部分ですから、なんとしても勾留中に白状させますよ」


「頼みます」


「あとですね、弁護士に村松さんのお気持ちを話したんですが、村松さんの報復感情が強すぎるという理由で、母親に会わせることはできないというんですね」


「なんですって? 謝る気がないんですか?」


 まあお気持ちは察しますなどと、遺族でもない刑事がわかったようなことを言うので、電話を切った。壁を蹴る。


 雅斗くんが来てパソコンをつけた。


 小宮清伸に関する調査報告。まだ一日しか経っていないが、勝間田はよく調べてあった。


 現在十七歳と二か月。身長は百六十センチ弱、体重は五十キロ前後。高校二年生にしたら、かなり小柄だ。


 成績は中の下。スポーツは不得意。趣味は読書と音楽鑑賞。親しい友人はなし。


 中学一年生でイジメの標的になる。不登校にはならず。二年生に進級すると集団によるイジメ行為は終わったが、それ以降も同級生と会話することはあまりなかった。


 近所の住民によると、小宮は小学生のときからつい最近まで、幼児を相手に公園で遊ぶなどしていた。その様子からは優しいお兄ちゃんという印象しか受けなかったので、三歳の女の子を殺したことはまことに意外だった。


 ここからわかること。小宮清伸という背の小さい男は、イジメたくなるような性質を持っていた。同級生たちは、後年幼児を殺すに至るような不気味さを、いち早く嗅ぎとっていたのかもしれない。


 小宮は自分より小さく弱い相手に、慰めを求めた。同年代の女に相手にされないことは明らかだから、自然と幼児がその対象となる。性的な欲求が高まる。女の子を誘拐し、欲望を果たす。処置に困って首を絞める――


 メールには画像が添付されていた。小宮の母親の顔写真。


 四十四歳ということだが、童顔な印象。目も鼻も口も小ぶり。地味な顔。


「雅斗くん、紙とボールペンをくれ。あと封筒も」


 が、雅斗くんは動かない。


「それよりも姉のことですけど、離婚届書いたの、きっと後悔してると思いますよ」


「もう遅い」


「でも別れちゃったら、一緒に闘えないじゃないですか。おそらく裁判が終わるまで、一年以上かかるでしょうし」


「どうせ死刑にはならないんだろ? 裁判なんか見るだけ無駄だ。そんなら刑務所を出てきたときに殺そうって、雅斗くんも言ってたじゃないか」


 雅斗くんが目を伏せた。


「まさか、もう気が変わったの?」


「……すみません。よく考えずに言ってました」


 失望。


「まあいいや。紙をくれ」


 小宮彰子に手紙を書いた。


 拝啓。友華の父です。まだ謝罪がありませんね。あなたの家では誰かを傷つけたとき、ほっとけばいいよと教えましたか? そしたらあんな息子が育ちましたか? イジメられていたそうですが、人に謝れないからそうなったんじゃないですか? あなたがこれを読んでいるということは、まだ生きていますね? 生きているということは、食べたり飲んだり寝たりしているわけですね? われわれはこんなに苦しんでいるのに、あなたは寝ているのですね? 随分立派な家に住んでいますが、それを売ってわれわれに少しでも償おうという気は起こりませんか? 三歳のなんの罪もない子が猛烈な痛みと恐怖の末に殺されて、下劣な殺人犯が平気で生きていることはどう思いますか? あなたの息子がしたことを謝ってください。人として行動してください。われわれは死にそうです。死んでください。死んでください。死んでください。死んでください。死んでください。死んでください。死んでください。死んでください。死んでください。死んでください。


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