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第二十二話 幼児の死

 村松和樹は、警察署の死体安置所で娘と対面した。


 殺風景なタイル張りの部屋の、幅の狭い寝台に、友華ともかは寝ていた。


 首に黒い痕がある。なにか紐状のもので絞められたらしい。いったいどうして、なんの罪もない三歳の女の子がこんなことをされるのかと、理解に苦しんだ。


 名前を知らない刑事に肩を叩かれた。


「奥様が倒れられました。過呼吸を起こされたようです。署内の保健室のほうへお運びしますけど、村松さんもいらっしゃいますか?」


 妻を保健室のベッドで休ませて、ソファで放心していると、熊野刑事が来た。


「村松さん、被疑者は逮捕されました」


「……はい」


「被疑者自ら通報してきたのです。友華ちゃんの死体を発見したと。友華ちゃんは被疑者の自宅にいました。被疑者がさらってきたのです」


 スーパーのトイレだった。あそこで和樹がちょっと目を離した隙に、友華は変質者に誘拐されたのだ。


「被疑者は市内の高校に通う十七歳の少年です。あくまで死体は『発見』したと言っています。でもすぐに自分の犯した罪を認めるでしょう。われわれは少年だからといって手加減はしません。全力で締めあげます」


 お願いしますと頭を下げると、熊野刑事は大股で歩き去った。


 少年か。ぼんやりと思う。前科十犯の凶悪犯だったら良かったのに。それだとおそらく死刑になる。


 少年だとならない。確か死刑相当の罪でも、無期懲役に下げられるのではなかったか。


 ふと、熊野刑事に頼んで、そいつと密室で二人っきりにしてくれないかと考えた。


 ほんの一分でいい。熊野刑事が部屋を出て行って、そっとドアを閉める。そしたらそいつの喉に指をかけて、思いっきり絞めあげる。


 殺せる、と和樹は思った。おれにはできる。おれにできる唯一の正しい行動が、それだ。


 やがて唐木署に、妻の両親と義弟が来た。


 義母が保健室に駆け込んで、貴美子と抱き合って泣いた。


 義弟の雅斗くんの運転する車で妻の実家に帰るとき、雅斗くんが言った。


「ニュース速報で出ましたよ。犯人は高校二年生だって。本当におれ、チャンスがあったら、そいつを殺しますよ」


 雅斗くんは電気工事の仕事をやっていて、元柔道家の、俠気おとこぎのある青年だった。うちに取材に来たマスコミにも、迷惑だから帰れと言って追い返してくれた。


「そいつの家とか名前は、すぐわかりますよ。ネットに出ますから。おれ、とことん調べますよ。犯人の家にも行ってみます」


 ありがたい、と思った。しかしそいつはもう警察の手中にある。いくら殺したくとも、そのチャンスはなかった。


「ねえ、和樹さん。たぶんそいつ、刑務所に行っても、十年かそこらで出てくるでしょ? 今十七だから、三十前には晴れて自由の身ですよ。だからおれ、そのころになったら探偵を雇って、いつ刑務所を出るかを調べて、出てきたら殺します。おれも、十年後じゃまだ若くて力もありますから、やりますよ」


「雅斗くんは身体を押さえてくれ。おれが首を絞める」


 実家に着いたら、貴美子の脚に力が入らず、車から降りられなかった。それを支えて立たせようとすると、激しく頭を振って叫んだ。発狂状態だ。


 雅斗くんと二人でかかえて車から降ろす。玄関から和室へ。義母が布団を出す。妻を横にすると、ワーッと吠えて身をくねらせ、


「あんたが目を離したからっ! なんでっ! 常識でしょ! 気をつけてっていつも言ってたのに! あんたが殺したのよっ!」


 どす黒い怒りが湧いた。


 近所中に聞こえる声で言いやがって。それが夫に対する口の利き方か。


「和樹くん」


 義父に腕を引っ張られた。気がついたら、拳を握っていた。


「今は普通の状態じゃない。すまんが、貴美子に感情を吐き出させてやってくれ」


 つまり、と和樹は思う。このおれが友華を殺したっていうのが、妻の吐き出したかった本音だ。


「和樹くん。きみも泣いていい。泣くべきだよ」


 義父を押しやって外へ出た。どいつもこいつも、ぶっ殺してやりたい。


 門に着く前に、雅斗くんに追いつかれた。


「一緒にパソコンで、犯人のことを調べましょう。犯人は高二だ。車を持ってない。だからきっと、家も和樹さんちの近くですよ」


 二階に行き、雅斗くんが出してくれた座蒲団に坐る。ぼんやりと、壁に貼ってあるロックスターのポスターを眺めた。スペース☆キングという名前らしい。その鋭く目を細めた反逆児のような面構えに、なぜか共感を覚えた。


 携帯が鳴る。熊野刑事からだった。明日の午後には司法解剖が終わり、遺体を返せると言う。死因は絞殺でしょうかと訊くと、おそらくそうでしょうとのこと。取調べはわたしがやります、全部吐かせますよと、犯人への怒りを滲ませて言った。


 警察よ、頑張ってくれ。あわよくば、法律も変わってくれ。裁判が始まる前に少年法が改正されて、十七歳だろうが十歳だろうが死刑が可能になれば、遺族は自分の手で復讐しなくても済む。


 が、むろんそれは、無理な願いだった。


「和樹さん、訊いていいですか」


 雅斗くんが、パソコンの画面をにらんだまま言った。


「友華ちゃんがいなくなったのは、川原町かわらまちのスーパー森ですよね。あそこのトイレに行ったあと、姿が見えなくなったんでしたね」


 うんとうなずく。あんたのせいという言葉が浮かび、胸にキリが刺さる。


「まだ逮捕されて時間が経ってないんで、そんなに情報は出てないですけど、どうやら市立商業の二年生らしいという書き込みがあります。今からスーパー森に行ってみて、近くに市商いちしょうの生徒が住んでないか、聞き込みしてこようと思います」


「おれも行こう」


 腰が浮いた。ここにいてもしょうがない。犯人の家がわかるかもしれないと聞くと、居ても立ってもいられなかった。


 犯人自身は警察にいる。だが親は家にいるかもしれない。自宅が殺害現場なら、警察の検証にたった今も立ち会っている可能性がある。


 行ってやる。親の顔を見てやる。


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