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第十九話 真相

 お母さまは、不機嫌でいらした。


 決して外では見せないあの表情、娘の亜子だけに見せる、あの、人格否定の罵詈雑言を浴びせる直前の、鬼の形相をしていらっしゃった。


「悪い子ね」


 ドアを閉めるなり、言った。


「なによ、人が殺されてるって。一生懸命育てた挙句にこんなことになって……この親不孝者!」


 お母さまは、そばにいる殿方のことなど目に入らない様子で、わめいた。


「あんたって子は! こうやって、わたしを苦しめるために生まれてきたの? 殺人事件に巻き込むなんて、恩を仇で返してんじゃないのよっ!」


 亜子は、怒られて腹が立つとか悲しいとかよりも、羞ずかしい思いが先に立った。


 お母さまのいつものヒスを、ついに他人に見られてしまった。


 羞ずかしいからやめて、と言いたかった。


 でも、その一方で、お母さまの本当のお姿を、誰かに見てもらいたくもあった。


「うるさいぞ」


 殿方が言った。


「ここは殺人現場だ。大きな声を出して、近隣の注意を引くのはやめてもらおう」


 するとお母さまは、殿方をまともににらみつけて言った。


「わたしに命令しないでよ、ひとでなしのくせに」


 これにはびっくりした。


 お母さまは、この犯人さんを知ってる?


「ひとでなしはどっちだ」


 犯人さんもまた、お母さまのことを知っていらっしゃるようだった。


「娘をストレスの吐け口にして、イジメて楽しんできたことがよーくわかった」


「あんたに言われる筋合いはないわよ」


 唾でも吐きそうな感じで言うと、お母さまはリビングに入ってこられた。


「変な匂い……なにこれ、やだ、すごい血じゃない」


 と、案外に冷静に死体を見ると


「あんたがやったの?」


 いきなり言ったのでぞっとした。


 まずいですわ、お母さま。殺人鬼さんに向かって、そんなふうにストレートにおっしゃるのは。


 そう思ってお母さまを見たら、お母さまはじーっとこっちを見ていた。


 え? まさか。


「あんたがやったのって……わたし?」


 混乱した。実の母親が、娘を疑っている?


「だってさあ」


 お母さまがいつものように、亜子をどこまでも見くだした口調で言った。


「このデブに襲われそうになったんでしょ? それで抵抗したら、はずみで頭を打って死んだ。テレビドラマでよくある設定じゃない」


「ちょっと待ってよ!」


 悲鳴に近い声が出た。


「それならどうして、お腹が切れてるの!」


「わたしに訊いたって知らないわよ。たまたまあんたの手に、ナイフでもあったんじゃない? で、むちゃくちゃに抵抗したら、ズバッと切れた」


「ひどい……」


 いったいどうしてお母さまは、こんなにひどいことを言うのだろう。


(きみは二十年間、イジメっ子と暮らしてきた)


 殿方のおっしゃったセリフが、頭の中をぐるぐるとまわる。


「お母さま」


 涙声になった。だけど、泣く子は大っ嫌い、と言われた幼いころから、ずっとお母さまには涙を見せないできた。だから、必死にこらえた。


「どうしてここがわかったの? どうしてわたくしが、赤沢さまに襲われそうになったって知ってるの?」


「はあ?」


 心底あきれたという顔で、


「あんたが自分で電話してきたでしょ。男に襲われて、気がついたらそいつが殺されてた。駅からこの家までの道順はこうだって。だから来てやったんじゃない」


「わたくしが……お電話を?」


 確かに蝶舌さまにはかけた。だけど、お母さまにかけた記憶はない。


 もはや、なにがなんだかわからなくなって、スマホを見た。


 と、蝶舌さまにかけた十分前に、お母さまにかけた履歴が残っていた。


 足から力が抜けた。絨緞の上にへたり込む。


 そこへ、お母さまの声が降ってきた


「とぼけてるんじゃないようね。じゃあ本当に忘れたんだ。このデブを殺したショックで、ちょっとした記憶喪失になったのね」


「ちがいますわ」


 首を振った。ショックで記憶を失った、というのは確かにそうだろう。でもそのショックは、きっと死体を見たせいで、自分が殺したからではない。


 蝶舌さまに電話したことは憶えてるのに、お母さまにかけたことは憶えてない。じゃあほかにも、なにかとっても大事なことを、忘れてしまっているのだろうか?


「だけどさあ、人が死んでるから来てって言われても、わたしじゃどうすることもできないじゃない。かといって、他人に一緒に来てもらうわけにはいかないし。だから、ほとんど二十年ぶりに、こいつに電話したのよ。番号が変わってなくて、こいつの声が出たときは、正直ムカっとしたけどね。あんたの娘が殺人現場にいるらしいから、行ってなんとかしなさいよって言ったら、よし任せろだって。バカにしてると思わない? わたしたちを捨てといて、ごめんなさいの一言もないのよ」


 あんたの、娘?


 じゃあ、この殿方が……星王子?


 お父さまなの?


 殿方を見る。優しい眼差しとぶつかる。


 おまえのことは、パパがすべてわかっているぞという目。


 そうだわ。顔はそんなに似ていらっしゃらないけど、内面に、わたくしと同じものを秘めている感じがする。人間社会になじめない、決して心から幸せになれない、暗い、名づけようのないなにかを。


 それを瞬時に理解して、亜子は胸が熱くなった。


「ありがとう……」


 お父さまに言った。お父さまはうなずく。良かった。犯行現場に戻ってきた、殺人鬼さんじゃなかったのね。


 カチャリ、と、ドアノブがまわる音した。


 ハッと振り向く。


 ドアが開く。玄関に、蝶舌純亜さま。


 ジーンズにTシャツという、いつものラフな恰好。


 が、服に包まれたその身体は、もはやハンペンのように薄かった。


「久しぶり、亜子ちゃん」


 蝶舌さまは、蚊の鳴くような声で言った。


「また痩せたなあ。ダメじゃないか、ちゃんと食べなきゃあ」


 亜子の目から、不意にぽろりと涙がこぼれた。


 するとお父さまが右手を上げ、


「ヤア、探偵」


 と言った。


 え、どうして知ってらっしゃるのと驚き、お父さまと蝶舌さまを交互に見た。


 すると蝶舌さまも驚いたように目をむき、


「……デャーモン」


 と言った。



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