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第十七話 異常者

 恐怖で倒れそうになる身体を、その殿方が支えた。


「……大丈夫?」


 殿方のお口から、耳障りな甲高い声が洩れた。


 でもその口調は、意外にも優しかった。


「部屋に行こう。コーヒーでも淹れてあげる」


「……恐縮でございます」


 小さく言って、亜子はリビングに戻った。この殿方は、殺人鬼でいらっしゃるかもしれないけど、少なくとも、今すぐ亜子を殺しそうではない。


「ああ、これが死体だね。見事にやったもんだ」


 殿方が手で坐るようにうながしたので、亜子は赤沢さまの死体をよけて、テーブルについた。


「フンフンフン、ラララ、ケロケロケロ」


 殿方は、楽しそうに鼻歌を唄いながらお湯を沸かすと、戸棚を開けて、インスタントコーヒーを淹れた。


「殺人のあった家のカップが気持ち悪くなければ、どうぞ」


 湯気の立つコーヒーカップを置かれたけれど、やはり手は伸びない。


 あなたは誰ですの、の一言が訊けない。


 まず犯人さんにまちがいない。死体を見て、すっぱい血の匂いを嗅いでも、平然とコーヒーなんぞを淹れられるのは、それをやったお方以外にはとても考えられませんもの。


 異常者さんだ。


 それも超絶な。犯行現場に戻ってきて、ごくごくコーヒーを飲んでいらっしゃる。あちこち触って自分の指紋を残すことも、まったく気にしていない。


 この殿方は、わたくしを殺すだろうか?


 そうしない、と考える理由はない。亜子は、この殿方が犯人であることを知っている。顔も憶えた。鋭い目、鼻梁の高い西洋的な鼻、横に広い口。


 その女を、普通だったら生かしてはおかない。


 でも……


「豚の丸焼き殺人事件か。ケケケ。なかなか犯人もやるなあ!」


 まちがいなく普通ではございません。ここまで異常だと、かえって亜子を見逃してくれそうな気がする。でも逆に、気まぐれであっさり殺されそうな気もする。


 とにかく、なにを言われてもこのお方には逆らうまいと、亜子は心に決めた。


「冷めるぞ」


 殿方に言われて、亜子は慌ててコーヒーを飲んだ。


「警察は呼んだのかね?」


 亜子はむせそうになりながら、急いでカップを置いて答えた。


「いいえ、お呼びしておりません」


「ほう。どうして?」


「犯人さんと疑われるかもしれないと思ったからでございます。あと、こういうことで、世間さまに名前や顔を知られるのが怖ろしいのです」


「でもきみは、犯人じゃないんだろう?」


「もちろんでございます」


「だったら警察を呼ぶべきだ。遅くなればなるほど、立場が悪くなる」


「……お呼びしたくありません」


「なぜだ」


「わたくし、実を申しますと、アイドルデビューを目指しているのでございます。芸能誌の編集長である赤沢さまとお会いしたのは、今日が初めてなのですが、それなのに、こんな事件に巻き込まれてしまって」


「ふむ。もしきみが、事件の重要参考人ということになれば、世間の好奇の目にさらされる。そうなると、アイドルデビューの夢もついえる。それが心配だというんだな?」


「そのとおりでございます」


「なるほど。じゃあきみは、逃げるしかない」


「大丈夫でしょうか。わたくしの指紋が、きっとたくさん残っています」


「あとで、おれが拭いといてやるよ。玄関とリビングだけか?」


「あと、グラスやフォークと、トイレと、車の中と」


「車か。キーはこの豚のポケットの中かな? 探しておくよ。食器はおれが持って帰って処分する。ところできみは、警察に指紋を採られたことはあるか?」


「ございません」


「そりゃ良かった。きみがここに来たのを知ってる人は?」


「昨日お電話で、赤沢さまのオフィスに行く約束をいたしましたので、赤沢さまがそれを誰かにしゃべっていなければ」


「赤沢というのは、この死人だな」


「……はい」


「こいつはきみに、なにか変なことをしようとしたか?」


「いたしました」


「最初からそういう目的できみを呼んだのであれば、誰にも言ってないだろう。この家に入るところを、誰かに見られたか?」


「見られてない、と思います」


「なら大丈夫じゃないか」


「ですが、昨日のお電話で、わたくしの名前を申し上げたのでございます。もしそれが録音されておりましたら……」


「きみは、自分のフルネームを名乗ったのか?」


「ええと、確か木村と、名字しか言わなかったと思います」


「下の名前は言わなかったんだな?」


「わたくしは木村という者で、星王子の娘ですと、そう申し上げただけです」


「ホシオウジの娘、とね」


「昔、そういう名前の歌手がいたのです。ちっとも有名ではなくて、インターネットで探しても、画像も動画もないのですけど」


「そのことを知ってる者は?」


「いないと思います。というのは、母は父を憎んでいて、誰にも決して父の話をしなかったそうですし、わたくしにも、絶対言うなと口止めしておりましたので」


「きみはずっと、その言いつけを守ってきたんだな」


「はい。昨日までは」


「お母さんの言うことをよく聞くんだね」


「それはもちろんでございます」


「きみはお母さんが恐いのか?」


「…………」


「どうなんだ?」


「母は絶対でございますから」


「絶対正しい人間などいないだろう。反抗したことはないのかね」


「わたくしには母しかおりませんのに、反抗したら、生きていけなくなります」


「きみは、独り立ちできるように育ててもらってないのか?」


「まだ子どもですから」


「何歳だ」


二十歳はたちでございます」


「立派な大人じゃないか」


「母は、まだ子どもだと申しております」


「おまえの母親は」


 殿方のお顔が、ぞっとするほど険しくなった。


「まちがっている」


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