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第十三話 苦しみの始まり

 翌日は日曜日だった。


 平日の放課後は歌とダンスのレッスン。そして土日は正午から六時までバイトをしていると言っていたので、正午ぴったりに〈ルイーズ〉に行った。


 亜子ちゃんはいた。


 彼女がこっちを見た。そして、昨日のことなど気にしていないように、にっこり笑いかけてくれた。


 おお。蝶舌純亜よ。おまえはなんて幸運な男子だ。この果報者め。


 ぼくは人目もはばからず、嗚咽しながらウインナコーヒーを頼んだ。


 彼女がコーヒーを運んできた。と、伝票と一緒に、四つ折にしたメモをテーブルに置いていった。


 なんだろう、と思って開くと、ケータイの番号が書いてあった。


 ダン! とテーブルに額を打ちつけて、ハッと目が醒めた。あまりのことに、気を失っていたのだ。


 もう一度メモを見る。手が震えて全然数字が読めないので、震えに合わせて首を振った。それでもちっとも読めない。


 この暗号を、探偵としてどう解読すべきか。


 電話してね、純亜くん、という意味でよいのか?


 いや、木村亜子サマは、そんな下等な言葉は遣わない。


 お電話お待ち申し上げております。デテクティブ殿。


 なんちゃって。


 ぼくはハハハと声をあげて笑った。ほかの客がぎょっとしたように振り返って、すぐに視線を逸らした。ぼくは反省し、声が出ないように口を手で押さえて笑った。すると身体が揺れてカップがカタコト鳴った。でも今度は、誰も見なかった。


 いやー、愉快だ。


 まさか、女神のほうから、ぼくのほうに降りてきてくれるとは。


 いや、待て待てと、ぼくは髪が乱れるほどブンブン首を振った。


 彼女は、国民的スターになる逸材だ。


 気安く電話をかけるなんて、そんな畏れ多いことしちゃいけない。


 あくまでぼくは、応援者の立場でいるのだ。


 そう決めて、グイとウインナコーヒーを飲み干すと、亜子ちゃんには紳士的態度で目礼だけし、毅然とした足どりで自動ドアをくぐった。いや、くぐろうとした。


「あおう!」


 現実には、ドアに激しくぶつかって、変な声を出してひっくり返ってしまった。どうも身長とセンサーの関係か、それとも体重が足りないせいか、ときどき自動ドアが反応してくれないことがある。ぼくは改めてセンサーに手をかざし、ドアをくぐり直した。


 彼女に電話はかけるまい。女神に気安くはしまい。


 午後七時。我慢できなくなって、電話した。


 亜子ちゃんはすぐに出てくれた。


「昨日は大変ご無礼をいたしました。中途で退席するなどという、はしたないことを」


「無礼はこっちさ。助手がきみの美貌に嫉妬してね」


「初めて私立探偵さまにお目にかかって、わたくし、緊張してしまったのでございます」


「緊張はこっちさ。だって超絶かわゆいんだもん。わ、言っちゃった」


「蝶舌さまは、お世辞ばかりおっしゃいます」


「お世辞なもんか。ところで、困ったことがあったらいつでも言ってね。きみの依頼だったら、なんでも無料でやるよ」


「わたくし、頼りにできる大人の男性が、一人もいないのでございます。蝶舌さま、ときどき相談に乗っていただけますか?」


「おおおおお」


 ぼくは感動のあまり、勝手に声が出るのを抑えられなかった。


「おおおおオッケー! 相談二十四時間オッケー!」


「嬉しゅうございます。ぜひ蝶舌さまには、アイドルになるための助言などしていただけたらと、かようにお願い申し上げる所存でございます」


「助言なんて要るもんか。すぐなれるよ」


「もったいなきお言葉」


「きみなら絶対成功する。国宝になれる。もちろんぼくは、きみには指一本触れないよ。国宝だから」


「……わたくし、女性としての魅力が、不足しておりますでしょうか?」


「バカ言うな。魅力ならダダ漏れさ! とにかくぼくは、きみの応援者でいたいんだ。オーディションとか芸能事務所について調査が必要だったら、ぜひ言ってよ。報告は、直接会わないで電話でするから」


「会ってくださらないのでございますか?」


「それが、ピュアな愛ってやつなのさ」


 ぼくはつぶつぶオレンジをぐいと呷って、ハードボイルドのヒーローらしく、やせ我慢を貫き通した。


「たまに、喫茶店に顔を見に行くよ。でもデビューが決まったら、きっと猛烈に忙しくなって、バイトどころじゃなくなるね」


 じゃあねと言って、電話を切った。


 一生に一度、会えるか会えないかの女性。


 本音を言えば、結婚したい。そうしたら、いつ死んでもいい。


 でもその彼女には、指一本触れられない。一ファンでいることしか、できないのだ。


 苦しい。


 ぼくはだんだん食欲がなくなり、それから一年が過ぎた。



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