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第十話 明日の予感

 喫茶店〈ルイーズ〉のドアをくぐった。


 二人用のテーブル席に案内される。メニューを広げて、なるべく苦くなさそうなコーヒーを探す。


「ぼくは、ウインナコーヒーにするよ」


「わたしはエスプレッソで」


 香織ちゃんの顔が、すぐ正面にある。ぼくはさっと視線を逸らした。十五年経ってもちっとも色褪せない、ぼくらの聖母。その尊顔はまぶしすぎて、とてもこの至近距離からは見られなかった。


「高松刑事がさ」


 ぼくは場をもたせるために、早口でしゃべった。


「修一の取調べをしたんだ。修一は一切言い訳せず、傷害の罪を認めたらしい。なんでも、自分が人を殺す寸前までいったことに怖くなって、刑務所で頭を冷やしたくなったんだって。妻と娘には会わせる顔もない、妻が望めば離婚してもいいと言ったそうだよ」


 香織ちゃんは返事をしなかった。白いブラウスの襟元を握り、遠くを見つめている。


「修一がそこまで殊勝になるとは、意外だったよ。ぼくとしては、ほっとけば香織ちゃんや早紀ちゃんの身を害する危険が大きいと、警察に証明できればいいと思ったんだ。そのために、暴れたくなるライブ会場に行かせて、デャーモンの口から挑発的な告白を聞かせたんだけどね。いやあ、彼の歯茎が偶然ぼくとそっくりだったこともあって、予想以上に修一を興奮させちゃって、もう少しで、本当にデャーモンを喰い殺すところだったよ」


「デャーモンさんはどうしてるの?」


 香織ちゃんが、心配そうに尊顔を曇らせて訊いた。


 ぼくは笑った。


「アメリカ人は丈夫だね。ピンピンしてるよ。実はぼく、デャーモンと同じメイクをしてみたんだ。超そっくりになったよ。あとは、スキットルでつぶつぶオレンジを飲んだりして、ぼくの変装に気づかせる予定だった。友だちがばかげたメイクをして騙したとわかったら、余計にカッとなると思ってね。それがぼくの考えた作戦。ところが、デャーモンにそれを話すと、その役はぜひ自分にやらせてほしいと頼んできたんだ。彼、人を騙すのが三度のメシより好きなんだって。ミス・コケティッシュも、そういう危ないことはコイツにやらせりゃいいって言うもんで、作戦を変更したんだ。本当はぼく、修一に一発殴られてやるつもりだったんだけどね」


 それは、ぼくの罪滅ぼしにもなる予定だった。十五年前に、修一を裏切って、香織ちゃんと手をつないだことに対する。


 しかし、いくらなんでも、喉笛を喰いちぎられるつもりはなかった。


「ぼくは、修一が控室に入ってくる前から、高松刑事とロッカーの中に隠れていた。高松刑事には、窃盗や詐欺グループに関する情報を何度も教えてあげたことがあって、ぼくのことを全面的に信用してくれている。情報源は、もちろんミス・コケティッシュだけどね。今回も、傷害の現行犯逮捕をしてもらいたいと言うと、二つ返事で引き受けてくれた。正義のためなら手段を気にしない、ナイスガイさ」


 デャーモンが、ぎりぎりまで止めに来るなと言ったせいで、結果的にほとんど殺人未遂の現行犯になってしまったけど。


 テーブルに、そっとウインナコーヒーが置かれた。顔をあげずにウエイトレスに会釈する。生クリームの表面に、ザラメの粒が浮いている。スプーンで軽く掻きまわして一口啜る。甘い。


「あの、唐突だけどさ」


 心臓がバクバクして、口から出そうになる。でもここは、蝶舌純亜の一世一代の場面だぞと、スカイツリーから飛び降りる気持ちになり、


「ぼくと、結婚してくれる?」


 まだ正式に離婚も決まってないうちに、言うべきことではなかったかもしれない。でもぼくは、決めていた。


 香織ちゃんの夫になる。早紀ちゃんのお父さんになる。


 彼女たちが望めば、危険な探偵稼業もやめる。手堅い仕事に就く。残りの人生を、二人のために捧げる。


 そうするのが当たり前だった。だってぼくたちは、手をつないだんだから。


 香織ちゃんは、エスプレッソを見つめている。その肩が揺れている。泣いてる? と思ったら、やがて声をあげて笑い出し、


「ありがとうね。でも離婚はしないから。早紀がね、デャーモンファンのお友だちから、パパがライブ会場でノリノリだったっていう話を聞いて、デャーモンの良さがわかるんだって、すっかりパパを見直しちゃって。わたしたち、たぶんこれで、やり直せると思う。純亜くんのおかげよ」


「え?」


 ぼくは頭が白くなりながら、なんとか言葉を絞り出した。


「でも早紀ちゃんの父親は、本当はぼくで――」


「なに言ってんの」


 香織ちゃんの目が、急にきつくなった。


「夢でも見たの? わたしたち、なにもなかったでしょ」


 本人を前にして、堂々と事実を否定した。


 ガラガラと音を立てて、なにかが崩れた。


 香織ちゃんはもはや、聖母ではなかった。保身のために平気で嘘をつく、どこにでもいるただの女性に成り下がってしまった。


「あのことを否定するんだね。じゃあぼくたち、二度と会わないほうがいいね」


「変な人。ええ、あなたがそう言うんなら、もう会いません」


 香織ちゃんは、謝礼の入った封筒をテーブルに叩きつけると、後ろを振り向くことなく大股で去って行った。


 しばらく茫然とした。


 ギターが弾きたい。そしてライブに行って、思いっきり暴れたかった。


 ちきしょう、ミス・コケティッシュのやつ。


 この結末も視えてたくせに、どうして教えないんだ。


 冷めたコーヒーを一気に飲み干して、ぼんやり天井を見上げたとき、ウエイトレスが空のカップを下げにきた。


 ハッと息を呑んだ。


 スタイル抜群の、超絶かわいい女の子が、そこにいた。


(第一部終わり。第二部 アイドル志願 亜子篇に続く)


「第一部 ぼくらのマドンナ 香織篇」を読んでいただき、ありがとうございました。


 第二部は、アイドルを痛烈に風刺したミステリーです。グイグイ攻めるつもりですので、そちらもぜひよろしく。


*宣伝です。


 現在「リアルタイム☆ファンタジー」という連載を、毎晩10時ころに更新しています。


 PV数や感想欄への書き込みによって設定が変化していく、変なファンタジーです。興味がありましたら、ぜひ覗いてやってください。


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