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1.7. 魔狼の屠殺場

 葉叢(はむら)を震わせる(とどろ)きが森中に響いた。



 何十という魔狼の群。木々の合間を埋め尽くしている。黒ずんだ灰色の毛並が雲霞(うんか)の如く重なり合い連なっている。一対の赤い眼が鈍い光を放っている。引き歪んだ口唇(こうしん)からは黄色掛かった凶暴な牙が剥き出され、それを伝う(よだれ)が絶え間なく地に流れ落ちる。一息、喉を膨らませると、ビリビリという衝撃を伴う咆哮(ほうこう)をした。



 農夫達は一つに固まり、粗末な服の未だ止まぬ振動に(おのの)いた。魔狼の群は地を掻き、いつ襲い掛かって来てもおかしくなかった。一頭一頭が子牛ほどもあるかと思われる。硬そうな体毛が順々に波打っている。地を蹴る音一つ一つが(はら)の決意を揺るがせた。



――こんなものを相手にしようとしていたのか。



 誰が言うでもなく恐怖に縮み上がっていた。ここにいる農夫はたったの七人。討伐などと、笑い話ですらない。ただ餌をくれてやりに来ただけだ。ただ七つの人肉を食わせてやりに来ただけだ。もしも脱落者が出なかったとしても同じようなものだったろう。はなから無謀な試みだったのだ。こいつらを退治することなど、出来はしない。



 シドニーはがたがたと震え、手から石槍を落としてしまった。あっ、として恐慌に(おちい)り掛けた。魔物に、殺される。足は生存へと向かいたがった。



「逃げるな!」



 野伏せりの声が鞭打った。



「どうせ逃げられん。背中を見せたら終わりだ」



 シドニーはゆっくりゆっくり槍を拾い上げ、どうにか構える形だけは取った。



「輪になっていろ。倒そうと思うな。殺されないことだけ考えろ」



 野伏せりは言ったが、本人でもそれがどこまで出来るか疑問であった。農夫達の持つ頼りない得物で槍衾(やりぶすま)を組もうとも、魔狼が体当たり一つすればそれで終わりだ。崩れる。壊滅する。全員が食われる。



 野伏せりは再び、片手に炎を宿らせた。それを突き出し、呪文を唱えた。火炎は飛び、一頭に当たった。それと同時だった、燃え上がる間も待たずに、魔狼の群は地滑りのように突進した。



 雪崩れる一体に目を定め、剣を振ると、その魔狼の頭蓋は二つに断ち割れた。手首を返し、振り上げ様に斬り上げる。別の一頭の腹を裂き、どす黒い臓腑(ぞうふ)が崩れ落ちる。()げば四肢が宙を舞い、突けば即座に絶息する。



 魔物の群の死をも知らぬ怒涛(どとう)の襲撃が、野伏せりの流れる剣先に止められていた。血風が巻き上がり、森の木々は血潮に塗れた。



 枝には(はらわた)がぶら下がり、ずるりと落ちて、血泥を()ね上げる。洋々と(たた)える血の海は、魔物の脚に飛沫を上げ、波打ちながら(かさ)を増す。泡沫が弾けるその度に、鉄錆の匂いが散り広がり、魔物の毛皮に染み込んでいく。どろどろになった体表からは、湯気が上がって後ろの景色を霞ませる。人の胴ほどもある後ろ脚の一本が、びしゃりと落ちて後続の魔物に踏み潰される。その魔物こそ憐れむべき、宙をひるがえった銀閃に、首を断たれた。



 片手打ちに魔物を斬り、削ぎ、引き裂いていく傍らに、もう一方の手には火球を転がし、横手投げに投げ打って、遠くの獲物を燃やしていった。時折、斬り飛ばした魔物の肉片を受け止めると、



「エルグ」



 と呟いて脇へ捨てた。血溜まりに落ちた肉塊は、何の変哲もないように見えて、自らを浸す血液を、どこか、吸い込んでいるようにも感じられた。



 後ろで震える農夫達には知る由もない、「エルグ」とは熱エネルギーを操る魔法である。その魔法によって腕の熱を掌に集め、熱を凝縮させて発火させていった野伏せりの体は、鬼神の如き働きにも関わらず冷えていた。魔物の肉片から熱を強引に奪い取り、その熱を()って彼らを燃やす炎を生み出す。



 彼が一人で剣を振るっていたのなら炎はすぐに打ち止めになっていただろう。だが、ここには魔物の大群がいた。熱は彼一人では扱いきれない程に大量にあった。



 驟雨(しゅうう)の如き剣捌(けんさば)きが、ふと止まった。



 その隙を突き一頭の魔狼が牙を剥き出し襲い掛かる。激しい衝突音が大気に響く。



 野伏せりは剣を持たぬ方の手で、魔狼の額を鷲掴みにしていた。飛び掛かられた勢いで、男の足元には深い溝が二本掘られた。魔狼の体は未だ重力に引かれずに、空中で静止している。他との接点は野伏せりの片手のみ。



「エルグ」



 野伏せりが唱えると、魔狼の体は急激に冷たくなっていった。それの熱が野伏せりの手に奪われていく。反射的な身震いが起こったが、その震えさえも吸われていった。



 野伏せりは重々しい魔物の死骸を他の一頭に投げ付けた。子牛ほどの質量の獣が持つ全ての熱、それを吸い取った野伏せりの肉体は発熱し、直に熱を受け入れていた掌は火傷をしそうになっていた。



 次には手から熱を放出する。今度は凍傷を起こしそうだった。(ただ)れそうな掌から放たれる火球の散打。それは一球と無駄にしないで悉く魔物に火炎を上げさせていった。



 近くば斬り伏せ、遠くば焼き討ち、魔狼の群は見る間に死骸の山となる。それでも悲しき魔物の性か、奴らは逃げもせず(ひる)みもせずに男への身投げを止めはしない。恐るべき勢いで全力で、彼らの「死」へと疾駆する。男は自らに吸い寄せられる魔狼の命を、揉み潰し、握り潰し、磨り潰し、引き千切り、乱れ散らせ、粉砕していく。彼によって息絶えるのは、魔物にとっての宿命だった。



 だが極稀に、その重力場から軌道が()れる魔物もいた。それが()め付ける先は死骸の山の後ろで震え、男の働きを見ているのか見えているのか、いないのか、呆気に取られている農夫達。凶刃を突き立て自らを引き裂かんとする暴獣の来襲に気付かない。



 唯一それを視界の端に入れているのは()の野伏せり。ひらりと体を宙に躍らせて、逃れた獣の胴体を、落下と共に斬り離した。生卵の殻を叩いて二つに割ったように、裂かれた魔物の胴体から臓物が流れ落ちた。



 この血煙昇る屠殺場で、魔狼の生きる道はない。


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