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1.6. 野伏せり ③

「なあ、ロン、昨日あのおっさんと何を話してたんだ」



 翌朝の道すがら、シドニーは浮かない顔をしているロンに話し掛けた。昨夜あの男と話をしてからこの青年は沈み込み、少年にさえ覇気のある顔を見せなかった。村にいる時ならばこれもまたいいだろう、だが今は、これから魔物を退治しに行こうというのだ。こんな様子ではとても狩りなど出来やしない。少年はやきもきした。



「別に何の話もしやしないさ。そう、何の話も出来なかった」



 ロンは、シェーンと共に先頭を行く野伏せりに目をやった。不快にさせてしまったのは確かだ。だが、何故。



 野伏せり、それは人に言えるような身分ではないのはロンとても知っている。住む場所もなく、仕事もなく、金もなく、野山を浮浪している文無しの根無し草だ。しかし、彼はかつては冒険者だったのだ。魔法の腕を見よ、剣の腕を見よ、一流の冒険者であったのは間違いない。いやただの冒険者に留まらず、勇者と呼び称えられていたとしても不思議はない。そんな彼なのだ。こうして野伏せりをしていようとも、それは彼が好き好んでしているに違いない。冒険を懐かしんでいるのか、こうして山野に伏せるのが肌に合っているのか、とにかく望んでその立場にいるはずだ。なのに何故。何故怒らせてしまったのだろう。何で怒らせてしまったのだろう。ロンには見当が付かなかった。



「あんたらは、自分達の身だけ守っていてくれ」



 野伏せりは陰鬱な低い声、それでも不思議と農夫達全員に響く声でそう言った。



「瘴気が濃くなってきた。魔物が、出る」



 見れば森の木々も骨が折れたように枝を()じ曲げ、腰を折ったように幹が傾いていた。目を()らせば雑木(ぞうき)の異変だけではない。(おり)のような魔素の粒子が光を飲み込みながら大気中に(しま)を作り揺らいでいた。みしりという踏み折られる枯れ枝の音も湿り気を帯びて、じっとりとした嫌な汗が滲んで来た。ピシという音が上方で鳴り、太い枝が落ちてきた。樹齢何百年という樹冠は高いが、何故だか頭上に覆い被さってくるような圧迫感に襲われた。



 野伏せりは石を拾い上げ、掌に乗せると、



「ダイン」



 と唱えた。石は、ヒュン、と真正面に飛んで行った。大気中の瘴気を散らしながら飛翔し、跡には円形に瘴気が吹き飛ばされた、綺麗な空気の道が一本出来た。遠くでビシビシと石が雑木の枝や幹にぶつかったのであろう音がした。



 農夫達はその真っ直ぐな道を辿る。野伏せりは時折小石を拾っては脇道へ放り投げていた。



 その野伏せりの足がぴたりと止まった。



「来たな」



 農夫達に緊張が走った。各々が、各々の持つ武器を構えた。



「シェーン、と言ったか。あんたも下がってくれ。全員で、自分達の身だけ守ってくれ」



 野伏せりは頭陀(ずだ)袋を脇に下ろし、静かに腰紐をほどいた。



 汚らしい恰好で、唯一綺麗に手入れされた剣の柄が現れた。それを抜き放つと、暗い森の奥深くでただ一筋の銀光を発する刀身が現れた。錆一つ、曇り一つとてない。磨き抜かれたそれは純粋な光そのもののようだった。神話の時代から、その時代の輝かんばかりの空気を引き抜いて来たかのようだった。



 その剣を片手に下げ、もう一方の手に軽く目をやった。



「エルグ」



 ボッと掌に炎が生じた。それは煙を上げずに赫々(かくかく)として(きら)めき、熱そのものが凝縮(ぎょうしゅく)したかのようだった。ジリジリと小さな音を立てて燃えながら、少しずつ、少しずつ成長し、指を広げた手からも溢れるほどの大きさになった。その大きさでチリチリと鳴る炎を持つ腕は、一本の奇怪な燭台と化したかのようだった。



 灌木が騒めく。



 茂みが一瞬膨らんだかに見えて、灰色の体毛が逆立ち、重みのある肉付き、狂気に濁った赤い瞳を持つ巨大な狼、農夫達が仕留めんとして森に入った標的の一頭が現れた。黒い口唇(こうしん)を引き攣らせ、皺を寄せて(めく)り上げながら唾に濡れる牙を覗かせている。低い低い唸り声を長く引く。



 農夫達は各々自分の得物(えもの)を固く握った。



 これが村を襲った魔物。畑を荒らし、家畜を殺し、家屋にしつこく体当たりをして来た獣。それを目の当たりにして眼光に射竦(いすく)められた。魔物の真赤な瞳はどこを見ているとも分からない。

 遠吠えを一声、魔狼は鈎爪を広げて先頭にいる野伏せりへと跳び掛かった。



 野伏せりは手に持つ炎を大振りに投げ付けながら、



「ダイン」



 と一言口にした。身体の投擲(とうてき)だけでも相当な勢いであったろうに。呪文の効果を付与された炎は僅かな尾を引きながら(まばた)きも許さぬ速さで宙を一線に走った。



 農夫達の目から見れば魔狼の飛び上がった次の瞬間であっただろう、火炎は魔狼の額に直撃し、一瞬にして燃え広がるとその全身を飲み込んだ。



 魔物は耳まで裂けるほどに口を大きく広げているが、悲鳴すらも上がらない。揺らぐ炎に包まれて、肉塊はピシリと、二つに割れた。



 見れば野伏せりは前の位置から前進している。上半身は垂直に、片膝を落として、あの剣を両手で振り下ろしていた。



 立ち上がり様大きく血振りをすると、ピッと樹幹に赤い一筋が引かれていた。



 魔狼は左右二つの体から白煙を上げて燻っている。



「やった」



 農夫の誰かから声が漏れた。それが聞こえていたか、いなかったか、



「さあ! 始まった!」



 野伏せりが叫んだ。



 戦いなどしたことのない農夫達にすらも感得されるほどの激しい気配が、禍々(まがまが)しく不吉な予兆が、森の奥から吹き付けてきた。


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