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1.2. 狩りをする農夫達 ②

 シドニーは顔色を失ってマーヴィン達を見送っていた。



 猿、たかが猿! 野生動物が強いのはシドニーとても知っている。彼だって武器を取って狩ったことはある。しかし、あのブルーノが不意を突かれ、一瞬で腕をもぎ取られ、そしてマーヴィンが気付いた時には既に逃げていた。一体どんな力だ。瞬時に人体をもぎ取るとは。一体どんな速さだ。マーヴィンの反撃すら許さないとは。



 震える彼に、ロンが心を見透かしたように言う。



「あれが魔物だ」



 シドニーは慌てて、



「でも、村を襲った狼らは」



「もしも家の外に出ていれば、ブルーノのように、家畜のように襲われていた」



 少年は何も答えられない。



「猿であれだ。狼ならばどれだけ凶暴になっていることか」



 シドニーははっとして、



「なあ、ロン、そんな所に行くのか? 魔狼が襲って来たって、家に籠っていれば」



 だが、そんなことは出来ないと彼とても分かっている。たとえ人的被害がなくとも、魔狼がうろついていれば家畜は育てられない。作物だって碌に採れない。ジリ貧だ。食物はなく、村民は食えず、村は滅ぶ。



「今はまだ魔狼どもも家の中までは襲っては来ない。だがそれも時間の問題だ。しばらくも経たずに窓や扉を突き破って来るだろう」



 それは餌を求めてだけではない。魔物には人間を襲う習性がある。ロンは黙っていたけれども。



「行くべや」



 年長であるがために自然リーダーとなっていたシェーンが言った。農夫達は口を(つぐ)んで後に続く。暗い顔をしている者、怒りに燃えている者、魔物の住む森に踏み入ったのだ、このくらいは覚悟していたとでも言いたげな者。樹木が不吉に枝葉を伸ばす森の奥深く、更に奥へと向かって行く。



 この討伐隊に加わるのを最後まで嫌がっていたチルトンという男がいた。彼が臆病であるのは言うまでもない。だがその一方で己の恐慌状態にあったとしても、一種の冷静さをもって自らの知識を(さら)い上げ、状況を分析し、思索を巡らす才能があった。



 うなじに(てのひら)を押し当てて、(うめ)くように隣にいた者に言った。



「頼む、帰らせてくれ」



 隣の男は(くわ)を振り上げて怒鳴り付け、チルトンを一層(おび)えさせた。見るからに哀れに、がたがたと震えている。



 林立する大樹は穏やかに息をしていた。獣も知らん、人間も知らん、ただその元を通りたければ通れ、地表を()う生物のことなど気にも留めていなかった。枝はあくまで上へと伸ばし、彼らの邪魔立てなどしなかった。からかうように垂れる蔦葉(つたは)匕首(あいくち)の一振りで消えて行った。鳥の鳴き声、野犬の遠吠えが微かに聞こえる。



 シドニーは日頃、チルトンを見縊(みくび)り、馬鹿にしていた。だがその彼とて森の奥へと進むにつれて同じようなものになっていく。この静かな森に対して、いつ飛び出してくるとも知れないさっきの魔物に、恐れを感じざるを得なかった。ほんの(わず)かな葉擦れの音にさえ、ビクリと肩を震わせた。



 チルトンは一足毎に(うな)り声を上げて、それが一歩毎に酷くなっていく。今ではまるで(わめ)き声のようだ。前を歩いていたスレーターはついに痺れを切らしてチルトンを殴り付けた。それでも彼は喚きを止めない。気が狂ってしまったのではないか、周りの者は互いに顔を見交わした。



 いや、チルトンは狂ってはいなかった。ただ気付いてしまったのだ、猿が魔物化するという意味を。兎や狼などではない、この森の中で最も知能の高い動物である猿が魔物になるとはどういうことかを。



 他の農夫は気付いていない。魔狼の住む森に踏み入り、仲間が襲われ、そこまで頭が回らなかった。村にいる時ならば他の者も気が付いたことだろう。そして討伐は中止して、村を放棄する選択肢だって上がったかも知れない。怯えて騒ぎ立てているチルトンこそが、最も冷静であったのだ。



 日が天頂に達した頃、一行は小休憩をして昼食を取った。誰一人として喋らなかった。そして出発しようと面々を見回すと、そこにはチルトンが欠けていた。チルトンだけではない、「帰りたい」と言った彼を怒鳴り付けたロリーもいない、ドレイクもいない。



「三人、抜けたか」



 ロンは誰に言うでもなく呟いた。あと八人。



「シドニー」



 ロンは陰鬱(いんうつ)な表情をしている彼に声を掛けた。目の前で人が血を流し、大人達が逃げていくのを見、魔物の森を肌で感じて、シドニーは村が襲われた時よりも一層激しい現実感に襲われていた。少年がこんな顔を見せることなど、村では一度たりともなかった。魔物が村に現れなければ彼がこんな顔をすることなど、生涯一度もなかっただろう。



「お前も帰れ」



 シドニーは瞬きをし、



「でも」



「エリヤに送ってもらえ。……どうせ今回は中止だ。巣だけ探して、俺達も帰ることになるだろう」



 ロンの虚しそうな目を見て、シドニーは頷いた。



 年長者にロンがそれを伝えると、エリヤはシドニーの腕を取り引いて行った。樹々の間を抜け、仲間達から離れて行くシドニーは時折心配そうに振り返ったが、鬱蒼とした緑の色や葉々の風に吹かれる音、むせるような草いきれに遮られ、人の気配がなくなると力なく俯いた。



 ロンは巣だけ探して帰ると言った。だが本当に帰って来られるのだろうか。何故かもう二度と会えないような気がしてならなかった。もしもまた魔物に出くわしてしまったら。今度はロンが殺されるかも知れない。ロンでなくても、誰かは殺されてしまうかも知れない。ブルーノの腕が一瞬にして奪われたように。魔物がすぐに逃げたから腕で済んだのだ、今度は命さえも奪われたとて不思議はない。暢気(のんき)に暮らしていた隣人達の顔を思い出し、シドニーは寂しくてならなかった。



 その時、シドニーは背後に何かを感じた。反射的に振り返り、最も(した)っていた青年の名を叫んだ。深い緑の闇の奥にその叫びは吸い込まれていった。



 それと同時である、森の奥から悲鳴にも(まが)う雄叫びが聞こえてきたのは。


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