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1.9. 槍術指南

 翌朝、シドニーは前日までと同じように石槍を突いて森の中を進んで行った。肩には数日分の食糧が入った袋を引っ掛けて、木の根や岩や朽木や泥で荒れた地面を歩いて行った。周りに農夫は一人もいない。シェーンもいなければロンもいない。周囲にいるのはむっつりとして前方を歩く汚れ切った臙脂(えんじ)色のローブを(まと)う男だけだった。



 魔狼の血脂(ちあぶら)が固まったローブを羽織る野伏せりが平地を行くように歩いている。話し掛けて来たりはしない。振り返ったり立ち止まったりする気配も見せはしない。ただ淡々と進んで行くばかりである。



 他の農夫達は村へと帰って行った。だがこの男は、昨夜あの話をした後で、ロンに、



「野伏せりさんは、これからどうするんだ」と聞かれた。



「……十日も後のことは分からないが、とりあえず明日は森に潜る。……住もうってわけじゃない。安心しろ。数日もしたら出て行く」



「そうか。旅の身空だもんな」



「好きでしてるわけではないが」



 野伏せりはしばし悩んだ様子を見せ、それから言った。



「おい、小僧。お前も来い」



 と、唐突に名指しをされてシドニーは驚き、目を丸くして野伏せりを見、それから瞬きをした。



 森に来たいのならば勝手に来ればいい。どうして俺まで連れてきたのか。シドニーは面倒臭く感じていた。名指しで呼ばれなければ、今頃自分は他の農夫達と一緒に村へ向かい、夕暮までには家に着いていたことだろう。しかし妙にこの野伏せりに肩入れするロンに(うなが)されては、着いて来なければならなかった。



「なあ、おっさんよう、どこまで行くんだ」



 野伏せりは低い、ごろごろ(うな)るような声で、



「魔狼を、退治した場所よりも奥だ」と。



 シドニーはげんなりした。しかし着いて行くと決まった以上は付き合うしかない。頭上では鳥が軽やかな歌を響かせていた。



 会話も碌にないままに、そうしてこの日は夕暮を迎えた。崖が切り立った一隅に身を休めることにし、シドニーは枯れ木を集める。それを組んで野伏せりは火を点けた。小さな焚火がパチパチと鳴る。シドニーは袋から干し肉を出して焼いた。野伏せりの分もある。ロンからの差し入れだ。小さく礼を言って野伏せりは食べた。



 少しの休息を入れてから、野伏せりはシドニーに声を掛けた。



「槍を持て」



 突然のことに少年は戸惑いながらも従った。そして野伏せりは、



「槍の使い方を教える」と。



「何だ、急に」



 昨夜、石槍をそのまま持って来いと言われていたからには何かに使うとは思っていたが、まさかこんな教練だとは。それにしても何のために。何でまた。訳が分からないながらも、言われた通りにした。



「構えろ」



 渋々とシドニーは森の闇へと穂先を向けた。ぐっと腕を伸ばして前傾になり、獣が出ればいつでも飛び掛かれる体勢だ。焚火の明かりが彼の姿を下から照らす。



 野伏せりは重々しく立ち上がり、シドニーへ歩み寄ると力強い手で肩を掴み、上体を引き寄せた。



「上半身は真っ直ぐに」



 それから大きな掌で腰を叩き、



「腰は傾けるな」



 膝裏を押して曲げさせると、



「膝は軽く曲げろ」



 粘土を()ねて形を整えるのと同じような具合に、野伏せりはその手でシドニーの姿勢を直していった。シドニーの体はその強い力に従わざるを得なかった。



「……腰は落とせ。……肩の力を抜け。……槍は(へそ)の高さに。……脇を締めろ。……爪先は穂先と同じ向きに。……」



 体の方々を叩き、姿勢を整え、満足したようになると、



「その形を覚えろ」



 そう言って焚火の前に戻り、座り込んだ。



 シドニーはしばらくその姿勢を保っていたが、ふと野伏せりの方を見ると、彼はぼんやりとして夜空を見上げている。関心なさげな様子に腹が立ち、



「おっさん、覚えたぞ」



 野伏せりは、「そうか」と言って、またシドニーに歩み寄り、突き方を教えた。後ろ側の足を前方の足に寄せ、後ろの足で地面を蹴ると同時に前の足を踏み込む。槍の突く攻撃力とは後ろの足の蹴り出した力だ。槍を突く時には、穂の側の手は動かさずに方向を定めるのに徹し、石突(いしづき)側を握った手を突き出す。その際、石突側の手は、正拳を突く時のように内側へ()じる。後ろ脚の蹴った力を腰へ、腰から胴へ、胴から腕へと伝えて行き、穂先の一点に全ての力を乗せて突く。



 そうして、足の先から穂先までの一連の動作をさせてみたが、どうにもチグハグで繋がらなかった。その上、バランスも崩れる。



「重心を落とせ。正中線は両足の真ん中に。上体を曲げるな」



 我流で振り回すことしかしたことのないシドニーには、槍の稽古は難しいものがあった。崩れる姿勢をその度に野伏せりは直し、形と動きを整えていった。



 訓練は満月が天頂を過ぎるまで続いた。



 翌朝、先に起きたのは野伏せりだった。野伏せりはどうにか形を保っているといった態のぼろぼろの編み靴で焚火の炭を踏み消し、焼いてもいない干し肉を一切れ口に入れると、シドニーを起こし、野営地を後にした。



 昼には移動し、夜には槍の訓練をする。そんな日が二日ほど続いた。野伏せりはただ奥に向かっているのみではない、時には迂回し、時には戻り、同じところを通るのも二度三度とあった。たまに幹に傷を付け、目印にしている。



 夜を経るごとにシドニーは彼が自分を連れてきたのは槍の稽古をさせるためだとは分かって来たが、それでも敢えて森に入った理由は分からなかった。槍の使い方を学ぶのは退屈ではない。だからそれはいいものの、同じ事なら村に帰ってからでも良いではないか。村ならば野宿をしなくても済み、食べ物だって、野菜だとか、もっとちゃんとしたものが食べられる。昼間の移動で何かを探しているのは分かっていたが。



「おっさんよう、何を探してるんだ」



 野伏せりは、「ああ」としか答えない。



「なんで俺まで連れてきた」



「用が済んだら直ぐに出て行く。その前に鍛えておきたい」



「なんでだ」



「すぐに分かる」



「他の皆には教えなくていいのか」



「探索の邪魔だ。連れては歩けない」



 シドニーは大きく溜息を吐き、



「なんで俺に教えようと思った」



「魔物退治に出た中で、お前が一番若かったからだ」



 シドニーは今夜も槍を習う。野伏せりに姿勢を直されながら、段々と頭の中ではどんな姿態が正しいのかを理解してきた。後は体に覚えさせ、滑らかに一連の動作で、可能な限り早く、力強く、出来るようになるだけだ。しかし野伏せりは、素早く突くよりも先ずはゆっくりとした動作でも正しく出来るようになれ、と言うけども。



 何十回かの素振りを見届けた後、野伏せりは、



「刺突は後は自分でやれ。先に他の使い方を教えておく」



 と言って、石槍をシドニーから借り受けた。そして振り上げ、振り下ろして見せ、



「槍の大きな利点は二つある。一つはリーチを変えられることだ。石突の近くを握って長く持てば遠くまで届き、穂の近くを握って短く持てば近くの敵にも対処できる。相手との距離によって長さを変えろ。もう一つの利点は、リーチの長さそのものだ。……」



 男は手取り足取り丁寧に教えるが、その瞳には虚しさが滲んでいた。眉根を寄せて悩んでいるようにも見えた。少年に槍を教えたいことだけは確かなようでも、どこかそれに期待をしていないようにも感じられた。



 突く、斬る、薙ぐ、払う、叩く、絡める。槍は色々な使い方が出来るのがいい。



 穂で斬る時には首や腹など柔らかい肉の部分を狙え。柄で叩く時には肘、膝、腰、硬い骨の部分を狙え。



 シドニーは野伏せりの関心が薄れる瞬間を恨んだ。必ずや彼の予想している以上の成果を身に付けてやろうと思った。シドニーの槍に対する真剣さは、野伏せりが当初、そして教えている最中に見込んでいる以上のものがあった。互いの心の内を互いに知らない。



 槍術指南。月に弧線を描きつつ、森の暗夜は更けていく。


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