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0. 夜の森

 夜空は一面の斑雲(まだらぐも)に覆われて、月は弱々しい光で雲越しの自らの場所を示すのみ。地を照らすほどの力はない。(おぞ)ましい風に煽られて、暗く深い紋様(もんよう)を上空に刻んだ鈍色(にびいろ)の雲は乱れて流れる。冷気を(はら)んだ風々は天地の合間を吹き(すさ)び、それにつられた(わず)かな余波が、延々と広がる森の樹冠(じゅかん)を狂わせる。薙ぎ曲げられた木々の先端は、戻ろうともし、押し倒されもし、震えつ暴れつ身を(よじ)る。



 だがそうした喧騒(けんそう)鬱蒼(うっそう)とした枝葉の下の、ぬるりとした闇の濃さを変えはしない。絡み合い重なり合ったそれらの陰は、常に変わらず最も暗い。天空からの光は届かない、闇はこれ以上暗くはならない、闇の濃さは限界にまで来ているからだ。



 幹の間に夜霧が漂い、息を殺した鳥や獣を隈なく濡らす。それらは昼には動いていたが、こうして見れば再び動き出すようになるとは思われない。死の陰に包まれているようだ。闇が彼らを(とむら)うために包み込んでやったのだろう。遠くから樹の裂ける音が響いた。



 死と闇が森を征服していたが、全てが止まってしまったわけではない。地表を(うごめ)くものがある。そして、ある場所、一つの断崖、大樹が迫り出し岸壁もまたやや窪み、上空からの鉛直落下は遮られて届かぬ陰に、煌々(こうこう)とした炎が灯り、薪のはぜる音を立てながら、水中にも似た空気の中で屹立(きつりつ)して燃えていた。闇もそれへは届かない。それどころかそれはぼんやりと、ほんの周囲に過ぎなかったが、明るくしていた。



 その光と闇の境界が揺れた。瘴気が光に侵入した。瘴気を(まと)った塊が、光の縁に照らされた。下級怨霊ラルヴァだ。それが瘴気を自らの触手であるかのように、あたかも自ら操れるかのように、光源へと伸ばしていく。



 闇を好む魔物であるとは言え、光を(いと)うわけではない。闇の領域を広げようと、炎を消そうとする知能があるのでもない。ただ身体の(おもむ)くままに動いているだけだ。低俗な魔物の故なき行動。それが遂には炎の根元に達せんとした。その時、



「エルグ」



 低い呟きが漏れ聞こえた。憂鬱(ゆううつ)な生気のない声だった。同時に崖の窪みの一点に火が生じた。赤々とした、熱そのものが集まったかのような火であった。それは(かす)かな光を放っていた。その火は太い指、人間の男の指先に灯っていた。



 そして、



「ダイン」



 火は一本の矢となってラルヴァを貫き、魔物の全身を焼いた。奇怪な甲高い叫びを発してラルヴァは消えた。瘴気は魔素と混交し、魔素へと分解されて霧に溶けた。



 魔物を殺した男は崖に背中を(もた)せ掛け、頭を垂れてじっと(うずくま)っていた。悔しさに苦しみ、明日を思って絶望し、それでも、意に沿わぬながらも、安らぎや高揚感もまた、感じていなかったと言えば嘘になる。事実、心のどこかには楽しさもあった。懐かしくもあった。陰惨な感情が胸中に渦巻き、恨みと失望と無力感が心臓を叩いては血流に乗って四肢の隅々にまで満ち満ちて行ってはいたけれども。



 しかし、その楽しさも寂しさへと変わっていく。今の彼は一人だった。彼に笑い声を聞かせてくれる仲間は既にいない。どんなに眠くとも鬱陶(うっとう)しいとは一度たりとも思ったことはない仲間達。夜更けまでげらげらと大声で話し合っていた。安らぎを持って聞いていた。焚火を囲み、いつ果てるとも知らぬ騒ぎを続けていた仲間達。



 親友は死んだ。美しき友は社会の辺境に追いやられた。世事に長けた(やから)は去った。散り散りになり音沙汰を知らぬ者が殆どだ。彼らは亡霊のように消えてしまった。ここ、この森に踏み入り、焚火の元に身体を休めているのは今や彼一人のみだった。



 炎の音を聞きながら、乱れた心に(さいな)まれながらも、それでもせめて体だけは休めておきたかった。眠気の訪れをじっと待つ。霧が身に(まと)襤褸(ぼろ)()み通り、皮膚を濡らす。体が冷えていく。



 まんじりともせぬ、この長い長い夜もいつかは終わるのだろうか。それは余りにも遠くに思われた。彼の寿命などよりも遥かに遠くに思われた。しかし、と彼は思う、たとえ自分の命が尽きた後であろうとも、必ずや、夜は明けて欲しい。これで終わりになるだなんて信じたくはなかった。きっと、誰かは。朝が来るのを信じたかった。


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