メイドと黒猫(2)
僕の名前はクロ。今は、あの黒い魔女――ナーシャの使い魔として働いている。
でも、見た目はただの黒猫でも、本当の僕は違う。僕の正体は、パンサーデビルという魔物の一種。かつてはエドナ火山のふもとで生まれ育ち、群れの中でも一際強く、誇り高き魔獣だった。
その頃の僕は、大きくて、鋭くて、誰にも負けたことがなかった。人間なんて、僕の前ではただの餌か、逃げ惑う存在にすぎなかった。なのに――あの魔女に出会って、すべてが変わってしまった。
彼女は、僕を一瞬で打ち倒し、子猫ほどの姿に変えてしまった。名前も「クロ」だなんて、もっとかっこいいのがよかったのに……でも、あんな恐ろしい魔女に逆らえるわけがない。
だけど、あの時とは違う。今の彼女は、優しくて、温かくて……どうしてこんなに変わってしまったんだろう?
僕が生まれたのは、エルクの街から遠く離れたエドナ火山のふもと。そこは常に噴気が立ち上り、岩肌は赤く焼け、空気は熱と硫黄で満ちていた。人も獣も近づけない、過酷な環境だったけれど、僕たちパンサーデビルにとっては、マナが豊富で心地よい楽園だった。
群れの中で過ごした日々は、今でも鮮明に覚えている。熱い岩の上で昼寝をしたり、仲間とじゃれ合ったり、時には他の魔物と縄張り争いをしたり……そのすべてが、誇りと力に満ちた日々だった。
でも、ある日――僕は群れから少し離れてしまい、普段は足を踏み入れない場所へと迷い込んだ。
そこには、白く輝く光の妖精たちが舞っていた。まるで雪のように、ふわりふわりと空中を漂い、見たこともないほど美しく、幻想的だった。
僕はその光に心を奪われ、ふらふらと舞の中心へと近づいていった。
それが罠だった。
僕は「神の手」に捕らえられた。神の手――それは、世界に満ちるマナの意思が放つ、見えざる力。
この世界のマナは、ただのエネルギーではない。大地や空気に満ちるマナは、時に意思を持つような動きを見せる。それは感情ではなく、ただ「平穏」を望む漠然とした意志。争いや混乱を嫌い、世界を均衡へと導こうとする力。
神の手に捕らえられた僕は、自由を奪われる代わりに、膨大なマナと強靭な肉体、そして知識の一端を与えられた。マナの意思と繋がることで、世界の理の一部を理解するようになった。
大きな戦争や天災が起こると、マナは揺らぎ、神の手は魔物を捕らえて軍隊のように使役する。そしてその揺らぎの原因を排除し、世界を平坦に戻そうとする。
それが「スタンピート」――魔物の暴走だ。
ほとんどの魔物はその戦いで命を落とす。生き残った者も、同士討ちで死ぬことが多い。だけど、僕は生き残った。神の手の使い魔として、次の戦いまで、マナの意思に従う存在となった。
そして、あの夜――僕はマナの意思にしたがってエルクの街の郊外の森で、マナの揺らぎを調査していた。
その時、闇の中から現れたのが、あの魔女だった。
黒いローブに身を包み、小さな杖を手にした彼女は、まるで闇そのものから生まれたような存在だった。
「近くに妙な力を感じるなぁと思って来てみたら、クソ野郎の下僕じゃない」
彼女は僕を見て、口角を上げて不敵に笑った。
僕はすぐに悟った。彼女こそが、マナの揺らぎの原因だ。
「私はね、昔あなたの主に何度も殺されかけたの。まあ、今の私ならあんな奴に殺されることはないけど……。でも、目をつけられるのは面倒なのよね。だから、あんたには死んでもらおうかな」
そう言って、彼女は杖を軽く振った。
次の瞬間、僕の身体は巨大な青い炎に包まれた。逃げる間もなく、全身が焼かれ、意識が遠のいていく。
でも――炎が消えた。
「ええっ、この炎で焼かれてまだ生きてるの? あんた、すごいね」
彼女は驚いたように目を見開き、そして笑った。
僕たちパンサーデビルは、熱に強い種族だった。エドナ火山の過酷な環境で育った僕の身体は、炎に耐えられるほど頑丈だったのだ。
「あんたのその力、あんな奴にはもったいないわ。私がもらってあげる」
「私の可愛いナーシャの使い魔になってもらおうかな」
彼女はそう言って、もう一度杖を振った。
その瞬間、僕の火傷はすべて癒え、身体は子猫ほどのサイズに縮んだ。そして、マナの意思との繋がりが断ち切られ、代わりに彼女との主従の印が、僕の魔石に刻まれた。
信じられなかった。あの強大なマナの意思の力を断ち切ることも、僕の魔石に印を刻むことも、彼女はいとも簡単にやってのけた。
その力は、神をも超えるかのようだった。
僕は、恐怖に震えた。彼女の力の前では、僕の誇りも力も、何の意味もなかった。
そして、黒いオーラに包まれた彼女のフードの奥から、怪しげな笑みが見えたところで、僕は意識を失った。
目を覚ますと、彼女――ナーシャが、僕のそばで眠っていた。
僕は、あわてて逃げようとした。でも、主従の印がそれを許さなかった。
やがて、永遠にも感じられる時間が過ぎ、彼女が目を覚ました。
その瞬間、僕は恐怖のあまり――失禁してしまった。
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