メイドと魔女と、夜を駆ける者たち(4)
(時間は少し遡る。)
……おかしい。いや、異常だ。
俺は今、木こり小屋の中で、背中に冷たい汗を流しながら、窓の外を睨んでいた。
何かが来ている。いや、“何か”じゃない。
あれは、化け物だ。しかも二体。
強大な黒いオーラを放つ女と、信じられないほどのマナを保有する魔獣。その二つが、ものすごい速度でこちらに向かって接近している。
俺は蟲使いだ。
蟲を操り、毒を仕込み、情報を集め、暗殺を遂行する。
この仕事を始めて十年以上、数えきれないほどの標的を仕留めてきた。
だが、今、俺の全身が警鐘を鳴らしている。
「逃げろ」と。
「なぜだ……。たかだか片田舎の君主の屋敷に、あんな護衛がいるなんて聞いてない……」
俺が狙っているのは、アルネ領主の息子、マルカム。
依頼は単純だった。
若い君主の息子を暗殺しろ。警護は騎士数名、姉のカリンが厄介だが、彼女が不在の時を狙えば問題ない。
報酬は高額だったが、たまにある“おいしい仕事”だと思っていた。
……甘かった。
今ならわかる。
この依頼、過去に受けた者は誰一人として戻ってきていない。それを先に知っていれば、俺はここにいなかった。
「斥候に出していた蟲たちが……全滅してる……」
俺は思念波を通じて、外に配置していた蟲たちの状況を確認した。
だが、すべてが沈黙していた。
まるで、存在ごと消されたかのように。
今まで、二度マルカムの暗殺を試みた。
一度目は、食事のデザートに毒を混入。
だが、毒は効かなかった。
二度目は、納入した食材に小型の蜂型魔物を仕込み、直接刺殺を狙った。
しかし、蟲はすべて駆除されていた。
どうやって? 誰が? その答えが、今、目の前に迫っている。
「一度目の失敗で撤退すべきだった……。これは俺の手に余る仕事だった……」
俺は、暗殺者としての冷静さを保とうとした。
だが、心臓の鼓動が早まっている。指先が震えている。
この感覚は、初めて殺しをした夜以来だ。
「……仕方ない。最大戦力で迎撃する」
俺は、非常用の部屋に向かい、戦闘用に配備していた蟲たちを解き放った。
大型のキラービーと毒蛾。
キラービーは、子猫ほどのサイズで、尻部に黒く光る針を持つ。 その針は岩をも砕き、毒は大型魔獣すら麻痺させる。
毒蛾は、戦闘力こそ低いが、鱗粉に強力な腐食毒を含んでいる。ほんの少しでも触れれば、肉が溶け、骨が露出するほどの威力だ。
これだけの戦力を、撤退のためだけに使うのは過剰かもしれない。
だが、三度目の失敗は許されない。
俺は、持てる最大の力で、迎え撃つ。
……だが。
蟲たちは、何の抵抗もできずに、地面に叩き落された。
キラービーが、あの女の前で、まるで紙くずのように潰された。
しかも、どうやって倒されたのか、俺にはまったくわからなかった。
魔術か? 物理か? 気配すら感じ取れなかった。
そして、魔獣――あれは、身体のサイズを変化させていた。
巨大化したその姿は、まるで黒い影の塊。
キラービーたちが襲いかかったが、軽く一はたきで吹き飛ばされた。
毒蛾の鱗粉も、効果がないのか、無視されて突進してくる。
俺は、理解した。
この二体は、俺の知っている“力”の範疇にない。
神のような存在。
俺の技術も、経験も、すべて無力だった。
「……もう、通常の手段では逃げられない」
俺は、最後の手段に手を伸ばした。
転移の魔方陣。
これは、大地のマナと契約し、己のマナを捧げることで、他所へ移動する秘術。
だが、非常に不安定で、座標がずれれば空中や地中に転移されることもある。
最悪の場合、マナの意思に取り込まれ、二度と戻ってこられない。
それでも、今の状況では、賭けるしかなかった。
俺は魔方陣に乗り、事前に構築していた術式にマナを注ぎ込む。
陣が淡く輝き、空気が震え始める。
俺の身体が、陽炎のように揺らぎ、徐々に消えていく。
転移は、成功したかに見えた。
……だが。
「ギャーーぁーー!!」
俺の口から、絶叫が漏れた。
身体が、岩に、めり込んでいた。
右半身が、大岩に癒着している。
皮膚が裂け、骨が軋み、神経が岩に繋がっているような感覚。
動けば、肉が引きちぎられる。痛みが、脳を焼く。
俺は、理解した。
この転移は、暗殺者人生の中で、最悪の選択だったことを……。
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