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私の正体

 リュウの住んでいる真っ白な家に来る前、私はたくさんの犬が暮らす大きな庭のある家に住んでいたのだと思う。はっきりとしないのは、そこにいた時期の私はまだ子犬で、記憶が鮮明ではないからだ。覚えているのは、たくさんの犬と広い庭と優しそうなおじさんくらいだ。


 たくさんの犬の中には、私のお母さんと兄弟犬もいた。お母さんは私と同じ柴犬だけれど、私よりも薄い茶色の滑らかな毛並みを持っていて、甘くていい匂いがしたのを覚えている。兄弟のことは、よく分からない。いつも一緒にお母さんにくっついて寝ていたのが、私の他に三匹か四匹いたから、きっと彼ら(あるいは彼女ら)は兄弟なのだと思う。そしてもっと分からないのは父親のことだ。同じ屋根の下で暮らしていたのか、どんな顔をしていたのか、記憶はひとつもなかった。確実なのは、私が柴犬らしい柴犬の姿をしているから、父親も柴犬だったに違いない、ということくらいだった。


 念の為言っておくと、リュウも柴犬だ。所々に黒い毛が混ざっている「ゴマ」と呼ばれる種類で、尻尾の巻き方が私とは逆向きをしている。オスだからか、私よりもひと回り大きな体をしていて、豆柴の範疇には入らないだろう。そのくせタヌキ顔をしているから、キツネ顔の私より柔らかく小顔な印象を与えるのも、いけ好かない理由のひとつだった。だって、散歩で出会う人間は、初対面で八割方リュウを褒めるから。「立派な柴犬ですね」「コンテストに出られそうですよ」。それから隣の私を見て付け足しのように言うのだ。「小さくて可愛い、女の子らしい犬ですね」と。そう、リュウは見た目だけなら、誰から見ても完璧な犬だった。羨ましいと思う犬はいるかもしれないけれど、妬ましいといった負の感情を周りに抱かせないのは、リュウが穏やかでいながらも、みんなを笑わせるお調子者な性格のせいなのかもしれない。


 ママは「リュウは大人しい子だから、コハルちゃんともきっと仲良くできるわよ」と、私が今の家にやって来た時に何度も言っていた。仲良く、というのがどういうものなのか、ママが望んでいた関係がどんなものなのか、私にはピンと来ていないけれど、家にいるリュウは私をからかうこともなく、だから私も反発することもなく、それなりに上手くやっている。ママだって、隣で昼寝をしている(距離は三十センチくらい空けているけれど)私たちを見て、それなりに満足そうだから、この付き合い方で間違ってはいないのだろう。


 ここに来る前のおぼろげな記憶を辿っても、一緒に暮らす犬との距離感の正解が分からなかった。たくさんの犬と暮らしていたと言っても、ほとんどの子犬たちは物心がつくようになる前にどこか他所へ出かけて行って帰っては来なかった。私たちの世話をしていたおじさんは「新しい飼い主のところへ行ったんだよ」と言っていた。おじさんはブリーダーという仕事をしていたらしい。「ブリーダーをしていると仕方ないけれど、子犬との別れはやっぱり寂しいな」。そんなことを、背中を丸めて、後ろ頭をポリポリと掻きながら言っていた姿が記憶に残っている。


 他の子犬と同じようにそこを出て行くと分かった時、私は正直ほっとしたのだ。犬同士の付き合いは面倒だった。仲がいいふりをしなくてはいけなかったり、ごはんの順番を譲り合ったり、そんなふうに気を遣うのは私の性に合わなかった。人間だったら主従関係でいい。何も考えず、言うことを聞いていればいい。その方がずっと楽だと思っていた。


 もちろん、今は違う。散歩仲間と話す時間を心から楽しいと思えるし、孤高の犬を気取る気もさらさらない。リュウとの距離の取り方が正解かは分からないけれど、干渉しないリュウのおかげで、順位とかご機嫌取りとか、そんな神経をすり減らすような気の遣い方からは、少なくとも解放されていた。


 だからこそ、余計な欲が頭をかすめる。人間だったら、もっと自由に生きられるのだろうか。決められた時間に決められたコースを散歩するだけじゃなく、やりたいことをやりたいようにできるのだろうか、と。

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