リュウとの出会い
いけ好かない奴。それが第一印象だった。「今日からここがあなたの家よ」。そう言われて連れてこられた真っ白な白い家には、すでにあいつ、リュウが住んでいた。
リュウのいる家、つまりこれから私が暮らす家は、それまで私が過ごしていた世界とはまるで別物だった。周りにはたくさんの家が建ち並び、どれも建ってから数年以内、といった感じの新興住宅街。近くを通る主要道路から適度に離れているおかげで、程良い静けさと賑やかさを兼ね備えている。五月のふんわりとした暖かな空気は、比較的新しい街をより一層キラキラと輝かせて見せたのかもしれない。
車から降りて玄関まで向かう途中、どこからか私の苦手な子どもの声が聞こえてきて、思わずドキリと心臓が飛び跳ねた。竦んでしまう体と頭を懸命に働かせ、声の在り処を確かめる。それは今まさに足を踏み入れようとしている家とは別の方向、斜め右後ろの方向から聞こえてくるようだった。どうやらこれから暮らす家の中に小さな子どもが住んでいる訳ではないようだと見当をつけ、体から力を抜いた。
大きな茶色の玄関扉を抜けると、そこから真っ直ぐリビングへと続く廊下があった。私が本気で走るには短すぎて、全速力が出る前にリビングの扉にぶつかってしまうだろう。それでも、散歩から帰ってきてゆっくりとこの廊下を歩くのは、悪くない気がした。
リビングの扉も外壁や壁紙と同じ真っ白で、天井まである扉はとても大きく見えた。横開きの扉をスライドさせると、中から眩しい光が飛び出してきて、私は思わず目を細めた。「着いたわよ」という声に目を開き、抱っこされていた私は床へ下ろされた。リビングの壁紙もやはり白。それが部屋をより広く、そして明るく見せていた。外の空気よりも丸みを帯びた暖かさも、リビングの雰囲気を明るくさせている。
初めて見る部屋にワクワク半分、不安半分で様子を伺っていた私の目に、予想外のものが映り込んだ。それがあいつ、リュウだった。
パパとママ(になった人たち)は、嬉しそうに私をリュウに紹介し、それからリュウにも私を紹介した。
「年も近いし、きっと仲良くできるわね」
ママは私とリュウの頭を優しく撫でながらそう言った。
「コハルって、可愛い名前だね。小さい春って書くの?」
パパとママがキッチンへ姿を消すと、キョロキョロと部屋を見回していた私にリュウが声をかけてきた。初対面の相手に可愛いなんて(確かに私が年下ではあるけれど)躊躇せず言えることも、妙に明るい雰囲気も、人懐っこい感じも、すべてが私の勘に触った。会話なんかしたくない、というこちらの意思を示すために、声は出さずに小さく不機嫌そうに頷くだけにした。本当は自分の名前がどんな字なのかなんて、知らなかったし考えたこともなかった。けれど知らないという事実を教えることは、なんだか負けを認めたようで悔しかったから、絶対に言いたくはなかった。
意地を張っている私の狭い心なんて全く意に介さない様子で、リュウは会話を続けた。
「春生まれなんだね」
私より春の雰囲気がぴったりな、柔らかな笑顔と声で話すリュウに、ますます素直になれず、再び頷きだけで返事をする。
素っ気ない態度とは裏腹に、頭の中は点と点が繋がった喜びでいっぱいだった。春に生まれたから小春と名付けられたことを、リュウに言われて初めて気付いたのだ。もちろん、自分が雪が溶けた少し後、そして桜が咲き始める少し前の、春の始まりに生まれたことも、「コハル」と名前がついていることも分かっている。ただ季節と名前が結びついていなかっただけだ。パパとママの前に私の世話をしてくれていた人(優しそうなおじさんだった)が、私を抱き上げて「コハル」と呼んだ時に、自分の名前がそれだと本能的に理解したけれど、その名前に意味があって、私のために考えられたものだなんて、くすぐったくて気持ち良かった。
思わず綻びそうな顔を気合で押し殺し、リュウに対して『話しかけるな』オーラを出す。あくまでリュウに対する態度は素っ気なく。それを崩すつもりはなかった。そもそも、私はリュウの存在を聞かされていなかったのだ。話しておかなかったのはパパとママの落ち度であって、リュウが悪い訳ではないけれど、存在をすぐに受け入れることができない私の気持ちだって、尊重されていいはずだ。
私の思いが通じたのか、それともただ単に会話に満足したのか、リュウは見るからにフワフワして気持ち良さそうな茶色のクッションに座り、のんびりと外を眺め始めた。自分に向けられていた関心がなくなったことで、やっと落ち着いて部屋の中の様子を観察することができるようになった。
リュウが窓の外を眺めたせいではないけれど、なんとなく最初に窓を確認した。部屋の大きさの割には、数はそれほど多くない。大きい窓も、リュウの隣にある掃き出し窓が一ヵ所だけで、他は長細かったり丸かったりとお洒落な形をした小さめのものばかりだ。それでもこんなに明るいのは、効率よく光を取り込めるように計算されているからなのか。眩しく暖かな日差しが差し込んでいるおかげで、部屋の中でもお日様の匂いがするようだった。胸いっぱいに空気を吸い込んでみると、芳香剤などの香りが出るものは一切置いていないことが分かる。自然な香りだけが、この部屋には漂っていた。
悪くない。直感でこれからの生活をそう予測した。リュウの存在はさておき、この家は過ごしやすい場所のようだった。
「喉、乾いたでしょ」
ママがキッチンから戻ったきた。私のためにお水を用意してくれて、そして同時にリュウが座っているものと色違いのクッションを置いてくれた。私のクッションは、薄めのオレンジだった。リュウとお揃いなのが少し気に障ったけれど、座り心地の良さそうな見た目の誘惑に負けて、私は腰を下ろすことにした。
ふわりと体を包み込まれるような感覚。優しい肌触り。水を飲みたい思いもあったのに、一度座ったら水よりもクッションへ一気に気持ちを持っていかれてしまった。ふー、と大きく息を吐き出すと、ずっと自分が固く緊張していたことに初めて気付いた。そんな私の様子を、嬉しそうにリュウが見ていることには、気付かないふりをした。