群青の光
ジョン・ラファロの予期せぬ行動に戸惑う慎二と銀次は、少しばかり冷静さを欠いて理性を見失ってしまった。だが、得たいの知れなかったジョン・ラファロの姿を理解した瞬間でもあった。
熊は荒い呼吸を繰り返して、グッタリと横たわったまま息絶える寸前の定まらない視線をしていた。
頬から口元、顎にかけて血まみれのジョン・ラファロは、満足そうな笑みを浮かべて、爛々とした目の輝きをしていた。
慎二と銀次は強く拳を握り締めて立ち尽くした。
ジョンの満足と達観した顔付きからは、他者を寄せ付けないほどの恍惚と魅惑的な輝きが宿っていた。
慎二と銀次は、先ほどまで人当たりの良かったジョンが、怒りと戦慄を全身に纏った攻撃的な人格と、内面から溢れた残忍な性質を目撃した瞬間に立ち会い、苛立ちと動揺がない交ぜになっていた。
ジョンがゆっくりと目を閉じた瞬間、顔に付着した鮮血が萎んだ花のように蒸発し、静かに消えて元の青白い綺麗な顔に戻った。
ジョンは慎二と銀次を黙って見つめていた。
慎二と銀次は予測不可能な人物との接触に戸惑いを隠せないでいた。
「貴様は何者なんだ? ヴァンパイアなのか?」と最初に口火を切ったのは慎二だった。
「そうだ。私はヴァンパイアだ」ジョンは顎を下げて慎二を睨み、言い出しにくいであろう自分の身元を控え目な態度で告げた。
ジョンは慎二の答えによっては、自分が思い描いた展開を修正する必要も出てきたと考え始めていた。
「言い伝えや、伝奇によれば、ヴァンパイアは太陽に焼かれて滅ぶ運命にあるはず。光を避けて、夜に行動する習性が本来の姿だと聞いたことがあるのだが」慎二はジョンの眼差しを逸らさずに、挑むような視線を投げ掛けていた。お互いの心理を読み取れずに、視線だけの応酬を繰り返すといったところか。
「間違いではないが、ヴァンパイアも闇を生きるに当たって知恵を得なければならない。古い因習は破られるのだ。それなりに苦労はしたさ」ジョンは熊を見下ろし、熊が息絶えたのを確認すると何を思ったのか熊の両手を切り離した。
ジョンはやるせない顔をして大きな熊の手を地面に放り投げた。
「熊の手をどうするつもりなんだ?」銀次は不思議そうな顔をして聞いた。
「売るのさ」
「何処に?」
「高級料理店さ。熊の手は高く売れる。まぁ、気が向いた時だけ、売るつもりさ。頻繁にしている事ではないからね」
「ヴァンパイアにも金が必要なのかい?」ジョンの奇妙な考えに銀次は面食らっていた。
「人間社会に溶け込むためにも、それらしく振る舞うことが必要だ。ヴァンパイアの素性を隠すためには最もらしく稼がねばならなくてね。見聞を広げたりしないと、いつ自分の立場が危うくなるのか分からないんだ。人間は集団になると恐ろしい生き物に変貌するから」ジョンは人間に対して不信感を抱いているのだろうか。人間との距離を保って生きてきたのが分かる言葉だった。ジョンの言葉には言い知れぬ虚しさが漂っていた。
「人間が集団になると変わるというのは?」銀次は自分の前髪に付いた葉っぱを取った。
「個人の考え方なら理性を保つこで客観的に物事の善悪を判断ができているのだが、集団になると『個が集団に埋没する』ため、集団、この場合なら大衆と言ってもいいだろう、大衆による匿名性に紛れて、些細な事で怒りを溜め込みやすくなり、怒りを大きく膨らませて同調させたいという傾向が多いという事かな。弱者を虐げる事も増していく」ジョンは淡々と話していた。数々の歴史を目撃した事による、膨大な経験の計り知れなさを感じさせる重い証言のようにも聞こえた。
「偏った考えだけを優先して、極端な意思や思想を相手に植え付けたり同調させる事で『豊かな多様性を認めない』という事を言っているのか?」慎二はジョンの洞察力を持つ言葉に返すように質問をした。
「そうだな…、それによって、人間は、昔から、無益な虐めや差別や戦争をしている。学ばずに愚かな行為を繰り返しているのは人間だけだよ。悲しいかな、それがずっと続いているんだよ。ずっとなんだ。見た限り、人間は、大衆の前では個の意思を黙殺して、大衆の考えだけが正しくて、本意、本筋と認める事で争いに傾きやすくなり、流れやすいという傾向が強くなる」ジョンは呆れたような微笑みを浮かべて話した。
「共感能力やコミュニケーション能力が大事になるね。愛情を持って人間らしくシンプルに生きるためには、誰もが多様性であり、多様性の中で生きていると認める事から始まるのだからな」銀次は穏やかに言ってポケットにあるキーホルダーを握り締めていた。
「もう大衆の意思など当てにならないのは十分に分かり切っている。『ヴァンパイアは本を好むがテレビは見ないよ』と言ったら話が早いかな?」可笑しかったのか、ジョンは小さく笑っていた。
「あまり人間を悪く言ったり、見くびらない方が良い。人間は可能性を秘めた存在だ。世界を光に変える事が出来るのは人間だけしかいない」慎二は説得するように話していた。
「悪く言うつもりない。ただ、人間は罪を犯しやすい所があるという話さ」ジョンは慎二から視線を外した。
「人間は独りでは生きられないからお互いを必要とする。ジョン、君もそうだろう? 闇を生きるなら尚更だと思う。悪に同調しない人間が8割いると思って間違いないんだ。すべての人間が愚かだとは思わないでくれ」
「8割は多すぎる。よく考えたとしてもだ、大体、半分の5割程度がいい線だろう」ジョンは敢えて厳しく修正するように言った。
「うーん。どうも気に食わないな」銀次は腕を回しながらジョンの言葉に異議を唱えると泥濘を蹴り上げて土を辺りに飛ばした。
「銀次、ちょっと待て。まだ話に続きがある」慎二は銀次の胸元に手を押すようにして添えた。
「もし、君がかつて人間だったなら、今でも人間の心を多少なりとも持ち合わせているなら、懐かしんで思い起こして欲しいんだ」
「何をだ?」
「人間には愛があるということをね。ヴァンパイアに言うことではないかもしれないな。愛だけが行動を起こす力になるんだ。ジョン、君は何故僕たちの前に現れて共に洞窟まで行くのかを真剣に考えてみてくれないか?」慎二の力強い言葉を聞いていたジョンは何も答えずに黙っていた。
ジョンは人間として生きれなくなったことの深い悲しみを抱いていた。長い時間を悔しさと無念さを滲ませて生きてしまった。ジョンは心の中で、生と死、どちらとも言えない自分の立場に揺れていた。
慎二はジョン・ラファロの底の無い孤独に向き合う事で悩み始めていた。ジョンはあまり生に執着をしていないように見受けられたからだった。
慎二は『どちらが正しい選択なのだろう? 彼に案内されて洞窟へ向かうことが果たして正しい選択なのだろうか? どうも何か引っ掛かる』と考えていた。
「ヴァンパイアは他にいるのか?」銀次は泥濘にいるカエルに気付いて足で追っ払った。
「私を含めて、この国だけだと、おそらく50人はいると思われる。全世界で数えると、およそ700人近くはいるのだろうか…」ジョンは銀次を睨み続けながら髪に引っ掛かりそうな長い指と爪を器用に使って髪を1つに束ねた。
「会ったことは?」慎二はジョンの顔立ちを改めて見つめて言った。
「ああ、少し前にあった気がする」ジョンは遠くを見ていた。
ジョンの左のアゴ辺りに赤い血管が浮き出ていた。内出血をしているように見えたが、若い頃の怪我によってできた、古いアザの1種のようにも見えた。
だが、浮き出た血管はジョンの興奮が醒めると同時に消えていった。
ジョンはハンサムで高貴な顔をしていた。今の時代には相応しくない美青年といったところだ。
「何人くらいに会ったんだ?」銀次は額に手を当てながら聞いた。
「2、3人くらいかな。その連中から国内には大体50人くらいはいるだろうという話を聞いたんだよ」
「他のヴァンパイアは、いつ頃に会ったんだ?」慎二はジョンの沈んだような話し声がもの悲しく聞こえていた。
「そうだな…、今から、100年くらい前かな?」
「凄い…。そんなに月日が経っているのか!?」銀次は思ってもいない答えに戸惑いながらジョンに好奇の目を向けている。
「意外にもヴァンパイア同士の接触は少ないし拒む傾向があるんだ。外見の劣化はないから、代わり映えしないので月日の経過は役に立たない。また何処かで会ったとしても、昨日、会った時のような感覚になるはずだ」ジョンは気だるそうに話していた。
「もうひとつだけ、肝心な話を聞きたいのだが、人を、人間を襲うのか…」慎二はヴァンパイアの本質を突く核心に迫った。
「悪いが…、その質問については…、何も答えたくはない」ジョンは一瞬、引き吊った顔を浮かべたが、後味悪いような気持ちになったのだろう、波立つ思いを悟られないようにして体の向きを変えると洞窟まで歩き出した。
慎二と銀次は淀んだ気持ちを抱えたまま、ジョンに続いてぬかるんだ道を歩いていた。行き先はザグリフが潜んでいる可能性が高い洞窟。蟻地獄の中へ自ら進んでいるような感覚になっていた。
慎二は『「飛んで火に入る夏の虫」にならなければ良いのだが』と、ことわざを頭の中で考え巡らしていた。
『こだわるよりも「大事の中に小事なし」の心境に切り替える事も大事になってくる』と気持ちを切り替えて、前に進む決意をして洞窟までの道を歩くことにした。
泥濘さえなければスムーズに洞窟まで行けたであろう、お互いに交わす言葉もなく、密生した木の間を抜けてジョンを先頭に歩き続けていく。
洞窟までの距離は残り100メートル程まで迫っていた。ジョンは逸る気持ちのせいなのか急に歩を早め出した。力強く歩を進めていくジョンは、先ほど熊に向かっていった威圧的な後ろ姿と同じ様に見えた。
銀次は慌てて駆け出して体をよろめた時だった。
一陣の風が吹き抜けたかと思うと、黒い影が前方に立ちはだかるように見えてきた。黒い影の後ろには洞窟の入り口が見えていた。黒い影の正体はグザリフだった。
グザリフが青白い顔をして無表情で立ち尽くしていた。何かを呟き続けていたが聞く事は出来なかった。
洞窟の入り口から日本画で使う薄口群青の光が漏れていた。慎二、銀次、ジョンは脇目も振らずに、ゆっくりとグザリフに向かって歩ていった。
つづく
ありがとうございました!




