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混乱の夜

慎二、レイン、絵莉。

 レインはジャン・ジェイラヴを抱き抱えて薄暗い紋絽(モンロー)病院の夜間救急センターの方から急いで入っていった。


 幸いな事に紋絽病院では大きな被害には遭っていないようだが、病院の手前の道路や家並みが激しく損壊していた。危機の一歩手前で紋絽病院は踏み留まっていた。


 倒された電柱を確認する限り、電気系統に何らかの損傷がある事が認められ、病院内の照明設備は予め備えていた予備の電力に切り替えて使用する形になって持ち堪えていた。


 光が足りない紋絽病院の表示灯を頼りに、救急車、タクシー、パトカーに乗せられた救急患者が引っ切りなしに次々と来ていた。

 レインは混乱状態のロビーの中で静かに立ち尽くしていた。


 頭に血のついた包帯が巻かれて頬から唇に掛けて10センチ近くの傷で裂け、右腕を切断してしまった男性が泣きながら何度も壁を蹴っていた。艷夢駅で倒れていた所を救助されたとの事だった。


 レインは一人の医師の姿に気付いた。精悍な顔つきで、無精髭、白衣の前がはだけて、ネクタイを緩め、Yシャツのボタンを3つほど外した40代位の医師は焦っていた。今までに、これほど混雑した病院には遭遇した事がなかった。医師は患者の数を目で追っていた。

 『遠藤先生、大至急、第3医務室の方まで来てください。急いでください。宜しくお願い致します』とアナンスが流れてきた。

 本来ならば病院内を走るのは許されないが、無精髭を生やした遠藤先生は猛烈な勢いで走っていった。


 緊急事態の状況を対処するために院内を隈無く立ち回る看護師の悲壮。患者のうめき声が待ち合い室のソファーからも通路にまで溢れているベッドからも聞こえてきた。


 体全体に白いシーツが掛けられて床に横たわる遺体があった。その手前に置いてある担架に座っていた怪我人が、茫然自失で遺体を見ていた。


 間違いなく、この悲惨な光景は野戦病院と同じ状態と化していた。汗の臭いと血の匂いと死の気配が辺り一体に立ち込めていた。


 先にある薄暗い廊下の明かりは接触が悪いのか明滅を繰り返していた。その廊下を幼い男の子が泣きながら歩いていった。


 紋絽病院の入院患者は、部屋に入ったまま、ひっそりとしていて、物音1つ立てずにいるようだった。

 実際に点滴を持って歩き回る入院患者の姿は1人も見受けられなかったし、売店で買い物をする入院患者の姿もなかった。


 「すまないが、救急の患者なんだ」とレインはジャン・ジェイラヴを抱き抱えながら目の前にいた看護師に話し掛けた。


 「分かりました。今、先生を呼びますので、そこにあるソファーに座って、しばらくの間、お待ちになってください。長くは掛かりませんので」と若い看護師は話すとロビーから診察室に向かって迷いなく走っていった。


 レインはジャンをゆっくりとソファーに降ろした。 レインはジャンの口元に耳を当てて確認をすると力強く頷いた。呼吸は安定していて、1分間の脈拍も118と落ち着いていた。


 「大変です!!」と叫んで血相を変えた看護師がレインの目の前を通り過ぎていった。


 激しい爆発音が外から聞こえてきた。


 「キャャー!! 怖い!!」病院内のすべての明かりが消えてしまった。興奮したざわめきがロビー中に聞こえてきた。

 爆発音が立て続けに鳴り渡っていた。


 『また何かが現れたのかもしれない』

とレインは思いながら窓に行くと閃光が煌めく夜空を見上げた。


 レインは、一先ず、暗闇に紛れてジュリアの元へと瞬間移動をした。


 ジュリアの入院する部屋は9階にあった。

 レインは今もジュリアが手術中だと思っていたのだが、暗闇の中でナースステーションの婦長に会うと詳しく話してくれた。 

 話によると、幸いな事に今から1時間ほど前に無事に手術は終っていたようだった。16時間も掛かった大手術だった。


 「今まで一体、何処にいたんです? 無事に手術が終わったことを、お兄さんに知らせようとしたのに。いなくて。皆でずっと探していたんですよ。どこに行っていたんですか?」と婦長は懐中電灯を自分の胸元に照らしながら話した。


 「すみません。食事に出掛けていました」とレインは頭を下げて詫びながら言った。


 「ああ、そうでしたの。夜も遅い時間帯でしたし、夕食を食べなければなりませんものね。

 これからは、近くにいる看護師やナース・ステーションの方に、直接、一声掛けてから出掛けて下さい。連絡は大事な事なんですからね」と婦長はレインに注意事項と連絡の必要性を伝えた。


 「はい、分かりました。ありがとうございます。婦長さん、ジュリアの様子はどうですか?」


 「大丈夫です。まだ麻酔が効いているので寝ていますが、手術は無事に成功しました。

 入院期間はリハビリも兼ねてですので、2ヶ月近くにはなると思います」


 「そうなんですか…、分かりました。どうもありがとうございます。

 婦長さん、1階のロビーや診察室、医務室、通路や床の上にまで患者が溢れています。大変な事になりましたね」


 「本当に困った事態になりました。窓から外の様子が分かったので、怖かったです。研修医までもが1階に集められてるんです」


 「人の手が足りないということなんでしょうか…。少し前も爆発音が聞こえてきましたね。おや? あれは何だろう?」とレインは窓の外を見ながら最後の部分は小さく呟いた。


 婦長は後ろを素早く振り向いた。


 大きな黒い人影が腕を広げて、こちらに向かってくる姿があった。


 あれは、紛れもなくギルグディメだった。ギルグディメとは監視や偵察をするために訓練された魔法使いの事だ。攻撃力も高く、3人ほどの人数で代わる代わる攻撃を仕掛けてくるのが特徴だ。


 あまりのしつこさに逃げ切るのもやっとと言われるほど追跡能力がある。


 おそらく、命令を受けてレインの様子を探りに来たか、ジャン・ジェイラヴの匂いを嗅ぎ付けてきたのだろう。


 「婦長さん、少し外しますが、すぐに戻ります」とレインは穏やかな笑みを浮かべて優しい語り口で話した。


 「どちらに行かれるのですか? ジュリアさんに会わないのですか?」と婦長は心配そうな顔をしてレインを見た。


 「トイレですよ。そうだなぁ、その前にジュリアの様子を見てみようかな?」

 「909号室です」と婦長は奥の部屋に向かって指を指した。


 「分かりました」


 レインは病室に行くと痛々しい姿でベッドで眠っているジュリアを見つめた。

 青ざめた顔、規則正しい呼吸、長いまつ毛、普段から口紅はしていないのだが赤色の形が良い唇。鼻には管が付けられて、右腕には点滴の管が付けられてあった。点滴袋には水と同じ様な液体が入っていた。


 レインは感情的になっていた。1日も早い回復をさせるために、レインは涙を浮かべながら【モイファルデムズ】という医療系のバリアをジュリアに張った。

 【モイファルデムズ】は薄目で優しいパープル色をしていた。24時間体制で免疫力を上げていく光線が体全体に当てられる。


 レインはジュリアにバリアを張った後、9階にあるトイレまで行った。そこから1階のトイレに瞬間移動をすると、そのまま待合室のソファーで横たわって治療を受けているジャン・ジェイラヴの傍まで歩いていった。少し照明が復旧したようだ。治療を施している先生や看護師に気付かれないように【モイファルデムズ】をジャン・ジェイラヴに張った。

 レインはロビーから入り口にある回転ドアに向かってゆっくりと歩いた。


 受付の傍にいた若い母親が、幼い女の子を抱き抱えて看護師と真剣に話し込んでいた。幼い女の子の頬が黒く汚れていた。

 レインは女の子と目が合うと、優しく微笑んで小さく手を振った。女の子は静かにレインを見ていた。


 レインは外に出た途端、冷酷で怒りに満ちた顔を浮かべて空に飛び上がった。

 ギルグディメは空に浮かんで、紋絽病院の50メートル手前にある建物や道路を魔法で破壊して燃やしていた。


 ギルグディメは逃げ惑う人に向かっても波動砲撃を繰り返していた。


 「ギャハハハハ!! 愚かな人間どもよ、逃げても無駄だぞ。ギャハハハハ!! ザマ見やがれ!!」ギルグディメは面白半分で波動砲撃を続けていた。


 レインはギルグディメの背後に忍び寄った。


 ギルグディメはギョッとして驚くと振り返った。


 レインはギルグディメの耳元で「なぜ、こんなことをするんだ? 簡単にはこちらの世界にはこれないはずだぞ。結界は破られたのか?」と聞いた。


 「レ…レイン!!」



 「質問に答えろ」


 「ヒッ…、レイン、なぜ貴様がここにいるんだ!?」


 「質問に答えろと言ったんだ!」


 「結界? 結界は破れていない。ガイムドホール」


 「なんだと!? ガイムドホール?」


 「ようやくこちら側にも行き来できるようになったんだ」 


 「ガイムドホールは魔法界では禁止されている。貴様みたいな愚かな生物はいつになれば消えていなくなるんだよ?」とレインは淡々とギルグディメに語りかけていた。


 「だからなんだ? そんなこと知るかよ!! ここでレインの首を取れば、俺は一気に有名になれる!!」


 ギルグディメはレインの首を肘打ちした。


 レインは素早く肘を両手押さえるとギルグディメの右腕に指をめり込ませた。 右腕の肉が裂けて、一気に筋肉と筋が溶けてしまうと骨が見えてきた。


 「ギャー!!」とギルグディメは叫びながら後方に飛んでいったのだが、レインはギルグディメの間5センチ程の隙間を保ちながら寄り添うように追尾した。


 「レインめ。き、貴様…ただで済むと思うのか?」と早くも弱音と諦めに心が支配されているのか、ギルグディメの声には怯えが表れていた。観念したギルグディメはレインに頭突きを食らわせて抱きつくと自爆をしようとした。

 レインは頭を押さえて振りほどこうとした。


 「やめなさーい!!」と言う大声が、突然、地上からしてきた。その声に続いてファムに似た追尾波動砲が迫ってくる。


 間一髪、レインは避けたが、ギルグディメの右足に当たった。

 追尾波動砲が次々と飛んできた。レインは難なく避けたいところだったが、思いの外、正確な射程能力と威力があるのを感じた。


 レインは地上を見下ろすと、燃え盛る車の側にいた若い女性の姿があった。こちらに両手を上げて怒りに満ちた顔が見える。


 レインは躊躇した。どう見ても若い女性は人間だった。ギルグディメは腕と足にダメージがあり、動きが鈍くなっていた。


 レインは、一か八か、若い女性に『こいつに向かって撃ってくれ!! 俺は人間の味方だ』とテレパシーを送ってみた。


 『分かっているわ』とテレパシーが返ってきた。


 レインは心から安堵して瞼を閉じると夢見るように微笑んだ。

 レインは左手をギルグディメに向けると「ラギラーミン(動きを止める魔法)」を唱えた。


 ギルグディメは目を見開いて、レインと地上にいる女性の姿を交互に見比べ哀願するように顔を歪めていった。レインは何の感情もない表情と冷たい視線を向けて見ていた。


 波動砲が次々と飛んでくる。止めようがないとはこの事だ。波動砲には若い女性と同じ様に若さの勢いがあった。徹底的にやらないと気が済まないという印象だ。

 ギルグディメは宙に浮かんだまま25発の波動砲を受けて息絶えた。

 レインはギルグディメをおよそ500メートルの場所にある森の方角に向けて飛ばした。


 レインは女性に向かって地上に降りると握手を求めた。女性はお辞儀をしてから握手をした。


 「本当に人間には驚かされてばかりだ」とレインは腕を大きく広げて女性に話した。


 「帰宅途中にあの化け物が暴れていたから追い掛けたのよ。それよりも貴方、大丈夫? 怪我はない?」と女性は心配そうな声を出して言うと、ポケットからハンカチを取り出し、レインに差し出した。


 「どうもありがとう。怪我はないよ。君は魔法を使えるのか?」


 「ええ。魔法使いの血筋を受け継いでいるの。母親が魔法使いなのよ。父親は人間」と女性は明け透けにレインに話した。


 「やれやれ。過去にも、魔法使いが、この地上に訪れていたとはね…」とレインは肩を竦めて嘆くように言った。


 「好きになったらしょうがないでしょう?」と女性はムキになって顔を赤らめながら力説した。


 「そうかもしれないが」


 「そうよ」


 「俺はレインだ。君の名前は?」


 「私は絵莉」


 「君が絵莉だったのか」

 レインはジャン・ジェイラヴに絵莉について尋ねられた事を思い出していた。 レインは、ようやく心強い2人が現れた事で今後に期待する気持ちが生まれていた。

 レインは疲労が一気に押し寄せてきて立ち眩みをした。慌てて絵莉が肩を貸すとレインは「すまない」と言いながら眠りに落ちてしまった。


 絵莉は、何とか、力を振り絞ってレインを支えると紋絽病院までタクシーで運んだ。絵莉も同じ様に疲労困憊の状態に陥り、意識が朦朧としていた。





つづく


ありがとうございました♪

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