荒廃の街
この小説は書いていると、不思議なことに、物語が自然と動き出すのです。
艶夢の街は燃えていた。夜空に熱風が舞い上がりグレーの煙が覆って広がっていくと星が霞んでいった。
夜空を旋回する何機かのヘリコプターがしつこく飛行していた。おそらく報道陣によるものだろう。
5回ほど軍隊の戦闘機が轟音を出しながら駆け抜けていくのも確認できた。
慎二は悔しさを堪えて高層ビルの屋上から街並みを見下ろしていた。
建物に燃え移った火が爆発音と共に炎が上がっていくのが至る所で見えていた。
消防車のサイレンが遠方から怨めしく鳴り渡る。
道が陥没しているために1台の消防車しか駅前に到着していなかった。
若い消防士が困り果てたようにホースの水を建物に当てているが、3、4人の通行人に肩を捕まれて「早く向こうの方にある建物にも水を掛けてくれよ! 急いでやれよ!」と怒鳴られていた。
消防士は辟易して多くの通行人から四方八方の方角に向かって指示を受けていた。
明らかに消防士は燃え上がる炎を前にして冷静さを欠いていた。
ある建物に幼い女の子が取り残されているようだ。
若い母親が泣き叫びながら発狂していて、燃え盛る建物に助けに入ろうとしていた所を数人の男たちに止められていた。母親は膝から崩れ落ちて地面を叩きながら泣き叫んだ。周りは見守る事しかできないし掛ける言葉も浮かばない。為す術がないとはこの事だ。
慎二は哀しみを堪え、その悲惨な光景を高層ビルの屋上から感じ取っていた。
空気が乾燥して熱い。艷夢の駅前は7割方、赤く燃え盛っていた。
線路まで破壊されていたので交通機関は完全にマヒを起こしストップしていた。
駅の手前15メートルに緊急停止した電車があり、駅員に先導されて電車の非常口から降りている乗客の姿があった。その数は、およそ500人以上、いや、それ以上いるのだろうか。
人々は逃げながら現実を受け止めてはいなかった。『これは嘘だ。悪い夢を見ているんだ。早く目を覚ませ』と首を振りながら祈るような思いを抱いて惨事を目にしていた。
誰もが自分の身には不幸が訪れることはないと考えながら日々を営み暮らしている。
苦しみや絶望というのは常に目の前に横たわっている現実を決して忘れてはならない。絶望や死は突然襲ってくる。
【時】は偉大で愚かで残酷なものだ。誰彼構うことなく全てを略奪していく。
時間という概念、または幻想は、我々に情熱を失わせて、諦めさせて、『絶望の魂を持ちながら、足掻いて生きることが、憐れな話だが君達の運命的な現実なんだ』と憎しみと苛立ちと嫌悪感の手捌きでカードを差し出す事に長けていて提示するという悪い癖がある。
時間は使い方によっては善にも悪にも成り得る。時間を見極める事が肝心だ。
殺し屋のザクリフは、悪その者だ。悪の時間に染まって生きてきた。悪というのは簡単には変わらない。少し風向きを変えて外面をよく見せたとしてもだ、過去に犯してきた悪行の数々が全てチャラにならないという事実を知るべきだ。悪は何処までいってもタチが悪いものでしかないのだ。
良いか?
気をつけろ!
油断はするな!
同じ道に戻ると痛い目に遭う!
【時】を踏み外すな!
悪を否定せよ!
時に呑み込まれて自失するな!
涙が視界を遮る。風が運ぶ悲しい叫びと悲痛な歌声に耳を澄ます事がどれだけ苦しくて歯痒いことか。
闇に沈む街には覇気がなかった。艷夢に突如降り掛かった崩壊の序章。親猫が密やかに路地裏へと匿うために隠した2匹の子猫の怯えた鳴き声と呼吸音。無償の汚れなき愛は確かに存在していたが弱り果てて傷ついてもいた。
無謀で愚かな第三者のせいで、絶望に追いやられる事は誰にでもあり得る話なのだ。
慎二は、一通り、艷夢の街を見渡した後に、レインとジャン・ジェイラヴの元に歩み寄った。
レインがしゃがんで額の汗を拭おうともせずに、ジャン・ジェイラヴに処置を施していた。
慎二はレインの肩越しに立ち2人の様子を見守っていた。
慎二はジャンの傷の具合を確認したが、思ったよりも深刻な状況だというのが一目で分かった。
――――――――――――
レインはジルアズバ国の殺し屋、グサリフとの戦闘前に、向かい側の超高層ビルに浮かんでいた男の存在を思い出していた。
遠目のために男の顔がはっきりとは見えなかったのだが、黙って腕を組んで、レインを見つめていた姿を鮮明な記憶として脳裏に焼き付けていた。
突然、レインの視界に入り込み僅か10秒足らずで消え去ってしまった男。
『敵か味方かも分からない。何かの目的があるのだろうが、推測は無意味だ。気にはなるが、考えても埒が明かない。今は男の考えなど窺い知る事など出来やしないのだから。雑念を振り払うことだ。集中するんだ』とレインは気持ちに力を込めていた。
レインは汗だくになりながら、ジャン・ジェイラヴに治療の魔法を懸命に掛けて続けていた。
「どんな案配だ?」と慎二はレインの肩に手を置いて言った。
「思いの外、難しい。上手くいくとは思うよ。ジャン・ジェイラヴの生命力に懸けるしかない」
ジャン・ジェイラヴの荒い呼吸が幾分落ち着き出してきた。
慎二はレインの高度な魔法の力に感嘆していた。恐ろしいまでの技術力に衝撃を受けていた。
ジャン・ジェイラヴの深い傷を塞ぎ、流血を止めて、損傷した細胞は完璧には治せてはいないのだが、応急処置としては十分に価値のある治療を見事に施していた。
「よし! 今はこれで十分だろう。艷夢の街には一流の病院がある。今、そこでは、妹のジュリアが腰の手術をしているんだ。俺がジャンを病院まで運ぶことにする」とレインは半ば気を失いかけているジャンを抱き抱えて言った。
「わかった」慎二は頷いてレイン小さくだが微笑み掛けた。
「慎二か? 君は三杉慎二なんだろう? ジャンから話は聞いている」とレインは真っ直ぐ慎二の瞳を見て確認をした。
「そうだ。慎二だ。君は一体、誰なんだい?」
「レインだ」
「レイン、今回の事で、艷夢の一連の状況や、ジャン・ジェイラヴの話が本当だというのが改めて分かったよ。猛省している。今は心から力になりたいと思っているんだ」と慎二は決意を込めて話した。
「分かった。助かるよ。詳しいことは、こちらから改めて連絡をする。一先ず、病院に急ぐよ。慎二、助けてくれて本当にありがとう」とレインは会釈をすると、瞬間移動をして消え去った。
慎二も高層ビルから自宅へと瞬間移動をした。
――――――――――――
ビルの3階にある保育園は火の海と化していた。
取り残された優香ちゃんは本棚の隅に座って口元を両手で被せて座っていた。
部屋の扉から煙りが入り込んできた。既に隣の大部屋は燃えていた。
優香ちゃんは夜遅くまで仕事をしている母親の迎えが来るのを、いつも心から楽しみに待っていた。遊び疲れたせいか、今日に限って、いつの間にか眠ってしまった。
保育園には、あと二人の子供がいたのだが運良く保育士に助け出されていた。
取り残されてしまった女の子、優香ちゃんがいないこと気づいた保育士は急いで助けに戻ろうとしたのだが、火の手が来た道を遮っていた。
丁度、その時、迎えに来た優香ちゃんの母親の姿を見つけた保育士が、詳しく事情を説明したのと同時に若い母親は血相を変えて保育園の中へ我が子を助けに行こうとした。警察官や通行人が慌てて母親を引き留めていたのだが、若い母親は渾身の力を振り絞って暴れると、娘の名前を必死に叫んでいた。
部屋にあった積木や鞄、小さな椅子や机が一辺に燃え広がっていった。
「ママー!! ママー!! 息が出来ない!! 苦しいよう。ママー!! 助けて!!」優香ちゃんは窓に向かって叫び声を上げていた。
優香ちゃんは持っていたクマの縫いぐるみを本棚の中に置くと、絵本でクマを囲うようにして守った。
「ママー!! 熱いよう、熱いよう。ママー!!」優香ちゃんは泣きながら窓に向かって叫び声を上げ続けていた。窓を破ろうとしたのか、1冊の本を窓に目掛けて投げたが窓ガラスは割れなかった。
「ママー!! ママー!! 怖いよう。助けてよう!! ママー!! 熱いよう!!」
絵莉は艷夢駅のタクシー乗り場にいた。
絵莉は映画の帰りに遭遇した混乱と悲劇に気が動転していた。
スマホの充電がなくなっていたので連絡のしようがない。帰宅できずにいる人の群れを掻き分けると何処かで助けを呼ぶ声が聞こえてきた。
『ママー、ママー!!』
絵莉は目を閉じ意識を研ぎ澄ませてから、全身全霊で自分の心に入り込んだ。
『熱いよう、熱いよう、熱いよう。ママに会いたいよう。ママ助けて!!』
「場所は近い!!」と絵莉は怒鳴るような大声を出して、助けを求める声がする場所へ瞬間移動をした。
「うん!? なんだ? 今、声がしたよな?」通行人が振り返ってみたが、声だけを残して消えた淡い人影に気付いて妙な怯え方をしていた。
「熱い。女の子はどこだ?」絵莉は保育園の部屋に来た。
部屋の中は真っ赤な炎で包まれていて足の踏み場は少なくて限られていた。
絵莉は体を少し浮かせて部屋の中を見回した。
「人がいない。でも気配はする。絶対にここだわ」絵莉は隣の部屋に瞬間移動をした。
絵莉は驚きのあまり目を見開いた。
優香ちゃんが窓際で倒れているのを発見した。
「お嬢ちゃん!! お嬢ちゃん!! 大丈夫? お姉さんが今から助けてあげるからね。もう大丈夫だよ。起きて!!」絵莉は優香ちゃんの顔を強めに叩いて気付かせた。
「う、うっ。お、おねえちゃん!?」優香ちゃんは目を開けて絵莉を見た。
「名前は?」
「優香」
「優香ちゃん、秘密を守ってくれる?」
「うん」
「おねえちゃんはね、今からね、瞬間移動をするんだよ。優香ちゃんのね、体に少し負担がくるから我慢してくれる?」
「しゅんかんいどお!?」
「そう。瞬間移動のことはね、絶対に誰にも言ってはいけないよ」
「うん!」
「じゃあね、少しだけ我慢をして目を閉じてね」
絵莉は優香ちゃんを強く抱きしめると直ぐ様、瞬間移動をしてビルの裏にある駐車場へと無事に移動をした。
ビルの前ではパトカーや消防車、警察官、優香ちゃんの母親の姿があった。
絵莉は優香ちゃんの意識があること、怪我もなく無事であることを確認した。
恐怖で疲れたのだろう、優香ちゃんは、眉間にシワを寄せてぐったりとしていた。
「優香ちゃん、大丈夫?」
「うん。ママに会いたい」
「ママに会いたいね。もうすぐ会えるからね」
絵莉は優香ちゃんを優しく抱っこすると、急いでビルの前に走って向かった。
「ママー!!」
「優香!! 優香!! ああー!! 無事なのね!!」母親が絵莉と優香の元へと走り出した。
「優香!! 優香!! 大丈夫なの!? ああー!! 神様!!」絵莉は優しく母親に優香を抱き移した。
「おねえちゃんがね、たすけてくれたんだよう」と優香はあどけない眼差しを絵莉に向けて話した。
「本当にどうもありがとうございます!!」母親は泣きじゃくっていた。
「無事で良かったです」と絵莉も涙ぐんでいた。
「一体、どうやって助けたのですか?」と母親の必死な顔で尋ねてきた。
「運良く優香ちゃんの部屋には火の手がなくて、大丈夫だったんです」と絵莉は顔を引き吊らせてしゃべっていた。嘘が苦手で嫌いでヘタな絵莉は何とかして誤魔化した。
「本当にありがとうございます! この御恩は一生忘れません。お名前を教えてください。是非とも御礼をさせて下さい!」と母親は優香ちゃんを強く抱きしめて何度も頭を下げながら話していた。
「いやいや大丈夫です」
「そんなこと言わずに」
「いやぁ」
「優香だって御礼をしたいもんね?」と母親は優香ちゃんに話した。
「うん」優香ちゃんは絵莉を見つめていた。
「あっ! そろそろ帰宅しないといけないので!」と絵莉は言って踵を返し全力で走り去った。
普段から絵莉は足には自信があったので『ここまで本気で走れば、追い掛けては来ないだろう』と思いながら走っていた。
若い母親は泣きながら、優香ちゃんは微笑みながら黙って絵莉を見送ることで感謝の気持ちを伝えていた。
つづく
どうもありがとうございました♪




