日本の食糧生産
11/2更新
■食用農産物
(X)勧農局『明治12年 農産表』で統計がとられていた主要作物
気候:ソースは『農作園芸栽培法大全』(1911年)
土壌:ソースは『農作園芸栽培法大全』(1911年)
このあたり現代の農業従事者なら異論もあるかと思いますが、あくまで明治末期頃の農業経済での認識ということでご理解ください。
生産高:『明治12年 農産表』(1881年)→『第28次農商務統計表』(1911年)
備考として明治9年と明治10年の『農産表』では「薩摩大隅日向ノ三国ハ兵乱ニ際シテ調査シ難ク」とあり、データが存在しません。
一応明治11年以降で載ってはいるものの、その後明治15年頃のデータと比べると明らかに数値が低く、戦乱の影響を考慮しなければなりません。
また「北海道及ヒ琉球ヲ除ク」とされ、この他奄美群島や一部の島嶼など除外されている地域もあります。
1911年と比べる場合、品目によってはそれらの地域の追加で劇的に増大しているものもあるので、単純比較には注意が必要です。
芋類のカロリー計算は、芋の貫高を米基準(180l=150㎏)で石高に変換してから、カロリーを米:馬鈴薯:甘藷=360:80:120で再計算し、処分される皮などの廃棄率をかけるという、まぁ結構ガバガバ計算なので参考程度に。
(1)米(粳米・糯米)
気候:湿潤炎熱なるを好む
土壌:最も適する土質は粘質壌土
極めて軽鬆なる壚土又は砂土の如き場所は十分に成長せざる
生産高(粳米):2904万石→4637万石
生産高(糯米):263万石→430万石
世界三大作物の1つであり、日本を含めてモンスーンアジア一帯で最も一般的な穀物です。
この地域は世界でも特に降水量が多い地域であり、その多湿多雨な気候と、それに伴う酸性土壌への耐性から、稲という作物が選択されてきたといえます。
収穫された米は乾燥・脱穀といった工程を経た後に、唐箕や千石通しによって選別され、その中で最良の一番米は年貢用や交換用に蓄えられ、またハレの日には白米が消費されます。
白米は食味良好なのはもちろん、熱効率がよく燃料消費を抑えられることから、特に相対的に燃料が高価な江戸や大坂といった都市部においては、一般に白米が食べられました。
一方で燃料を入手しやすい農村の普段の食事には玄米が、それも二番米や三番米、あるいは砕米や青米などであっても麦や雑穀、芋や蔬菜類と混ぜて食い伸ばしたといいます。
また家庭内でも格差があったようで、男は強度の高い労働に従事するという理由(あるいは名目)で米を多目に摂り、反対に女は雑穀や芋を主体の食事を摂る、ということが広く見られていたそうです。
酒造の際の原材料でもあり、例として明治12年時点では米生産高(粳糯合わせ)約3168万石に対して、488万石が酒造に用いられていました。
その他では現代でも正月に餅を食べるように、常食される粳米に対して、餅米はハレの食としての役割を持ちます。
(2)大麦
気候:温暖にして且つ雨量の少きを好む
雨の多き国にては茎葉徒長し穀粒の品質悪しく粒小にして目方が軽い
土壌:細砂土より砂質壌土が良い
多少の腐植質を含み耕土深く且つ肥沃ならば尚ほ良い
下層土は排水の良好なるを可とす
生産高:495万石→939万石
大麦の「大」は優れたもの、品質のよいものを指す語であり、戦前の日本で単に麦といった場合は、まず大麦類(大麦・裸麦、一般に六条種)を指し、多くが麦飯の形で消費されます。
精白しただけの丸麦は米と比べると火の通りが悪く、二度炊きといった調理が必要であったことから、玄米同様都市部での消費量はあまり多いものではありませんでした。
しかし昭和頃からは、加熱や圧篇処理を行って家庭でも白米と同様に炊飯可能な「押麦」「切麦」といった商品が安価で流通するようになり、都市部での消費も見られるようになりました。
小麦と比べると生育期間が短く、反収も多いことから米に次いで生産高が高い穀物であり、畑作地域の表作あるいは水田の裏作においても無くてはならない作物です。
少し二毛作について歴史を見ると、鎌倉幕府は1264年に「田麦課税禁止令」を出しており、水田に対する裏作は「宜しく農民の依怙と為すべし」という方針を示しています。
それまでの水田の裏作利用は稲が不作だった時に救荒的に作付けてその後は縮小して元に戻るというものだったそうですが、上の法が示されて以降は麦は作るだけ自分の収入になり、むしろ表作に減収をもたらす面で年貢減免まで狙える、という点も相まって恒常化が進みました。
二毛作は地力の消耗が激しいのはもちろん、必要となる水の量も圧倒的に多く旱魃リスクを高めるものであり、江戸時代の農書なんかは二毛作に否定的な著作(『農業全書』『会津農書』『百姓伝記』等)も多かったりします。
(3)裸麦
気候:大麦と大差はない
土壌:排水の良き処なれば砂土・粘土を選ばぬ
砂質粘土には好適する
生産高:301万石→751万石
作物としては大麦と同種ですが、「裸」の名が表す通り実と籾殻が分離しやすく、反収は劣るものの収穫後の労働節約の観点から好まれました。
上の大麦と比べると暖地を好み、全国的な生産高で見ると近畿地方と中国山地を境にして、東北日本はほぼ大麦のみ、西南日本では裸麦優位になります。
(4)小麦
気候:寒地に堪ゆる力強く
本邦の気候は概して雨多く殊に収穫期に当りて梅雨に際会するが故に其の品質を悪変し収量を減ずること多い
土壌:最も可なるは深き粘質土壌にして石灰質に富める処
生産高:192万石→501万石
世界三大作物の1つではありますが、生育の遅さが日本の気候と合わず、生産高は大麦類に劣ります。
とはいえグルテンによって加工に便利な特性は変わらず、粳米に対する餅米のように、大麦類に対する小麦として、ハレの食の役割を持つことが多いです(饅頭やうどん等)。
(5)大豆
気候:温暖なるを好み
土壌:石灰に富む粘質土壌に最もよく適し、肥沃の粘土地及び壌質粘土の土壌にてもよく生育する
甚しく肥沃の地にては蔓を生じて徒長し実を結ぶことが少く
生産高:229万石→369万石
畑の肉とも言われるように、植物としては圧倒的なたんぱく質と油分を含み、味噌や豆腐や納豆といった各種食品に加工されます。
といっても生産高はそこまで大きくないことから、アミノ酸スコアを無視した単純なたんぱく質供給量で見ると、米にも麦にも劣るのですが。
メインの生産は畑の夏作物として麦に間作されますが、水田地域においても畔を利用して栽培され、その他青刈りされて馬の飼料用にも用いられました。
畔は基本的に非課税であり、品質や収量は劣るものの自家用として広く行われた慣行です。
(6)陸米
気候:温暖にして乾燥に過ぎざる気候を好む
土壌:砂質壌土又は腐植質壌土に好く適する
生産高:不詳→103万石
水稲に対する陸稲であり、大量の水がなくても生育する品種です。
評価としては水稲に対して食味に劣り、反収も少ないというものでしたが、明治時代を通じて生産高は大きく拡大傾向にありました。
(7)粟
気候:乾燥に堪ゆる力黍よりも一層強く
寒冷湿潤の気候には適せぬ
土壌:高燥肥沃の土地を好む
卑湿地の外は如何なる処にもよく生育する
山間の新開地に適する
生産高:194万石→199万石
6世紀中国で成立した『斉民要術』では、早生・耐乾性・虫害抵抗性・風害耐性・鳥害耐性・洪水耐性・香り・皮裸性と様々な要素から、すでに100を越える品種が分別されており、適当な種類さえ選べばあらゆる環境に適応する多様性がありました。
夏に高温となる日本の気候であれば北から南まで栽培可能ですが、高温要求性が強いことから、特に九州での生産高が多くなっています。
現代でも粟餅や粟おこしなどといった形で残るように、餅種はハレの食となりました。
(8)稗
気候:頗る強健なる作物
旱害を受ること少く、湿潤にも堪ゆる力が大きい
土壌:痩薄なるもよく生育する
生産高:108万石→80万石
日本の環境下において最高の劣等地耐性を持つ作物であり、反収もかなり高めである上に、旱魃だろうと冷夏だろうと塩害地だろうと水に浸かって稲が全滅した水田に蒔こうと、確実に収穫できるなどと言われます。
しかし非常に食味が悪く、平時は人間の食用ではなく馬の飼料用に回されることも多く、生産高は微減の状態が続きます。
一方で「稗は百年経っても芽が出る」などと言われており、実際に百年保つかはともかく、長期の保存に堪えるという特性から、救荒食としての備蓄は欠かされなかったようです。
(9)黍
気候:温暖の気候を好む
旱魃に遇ふもよく生育する
生長は稍々短かいので適地は粟よりも広い
土壌:何れの土壌にもよく適生する
壌土乃至砂質壌土にて粟の栽培に用ふる土壌よりも稍肥沃なれば一層良い
生産高:18万石→40万石
粟よりも短い期間で栽培できるという特性から、南北を選ばず栽培が可能な雑穀です。
とはいえそれらより有利に栽培できたかといえばそうでもなく、生産高は常に粟稗のそれを下回ります。
黍団子が有名ですが、餅種はハレの食として用いられました。
(10)蜀黍(唐黍、モロコシ、高粱、ソルガムとも)
気候:温暖なるを好み、乾燥に堪ゆる
土壌:軽鬆なる深き壌土を最も可とし、砂土及び高燥なる粘土地にも作ることが出来る
水湿に堪ゆる力は玉蜀黍よりも強い
生産高:8万石→不詳
現代では世界第5位の生産高がありますが、日本での栽培事例よりも、近代日本の植民地政策に触れた時に目にすることが多いだろう作物です。
アフリカ原産の雑穀であり、乾燥や塩害への耐性が強いことから宋代以降の華北では広く栽培されましたが、気候の違いからか日本での普及は限定的でした。
(11)蕎麦
気候:生長期頗る短きを以て寒地にても夏間容易に成熟する
寒気を忌む
土壌:最も好むは砂土又は排水の佳良なる砂質壌土
卑湿地の外は栽培せられざる処はない
新開地にもよく成長する
粘土にては良く生長せぬ
生産高:73万石→122万石
2ヶ月程度という非常に短い期間で栽培できることから、北方や高地の短い夏でも容易に栽培できる作物として、現代でもロシアが圧倒的な生産量を誇ります。
また通気性や排水性が過剰な土壌にもよく適応することから、栽培面積ではシラス台地を有する鹿児島で非常に高いという状況が長く続きました。
その他によく目にするのは焼畑の事例であり、初年時に火入れをして「灰の熱が冷めないうちに」蒔いたとされます。
(12)玉蜀黍
気候:温暖、初期には湿気の十分に存する
成熟に近づけば乾燥するを可とする
土壌:高燥にして耕土深く排水の良好なる処によく生育し
最も痩薄なる土地及び湿地に不適当
生産高:13万石→69万石
世界三大作物の1つであり、記録にある日本への伝来は天正年間(1573‐1593)とされますが、気候の違いによるものか明治初期になっても栽培は少なく、後年に北海道で生産が拡大した以外はそこまで増加もない印象です。
粟稗よりは食味良好の評価があったようですが、吸肥性が非常に強いことから、十分な施肥を行わなければ土地を枯らすとも言われます。
また青刈りされて馬の飼料用にも用いられました。
(13)馬鈴薯
気候:寒冷なる処に適生し
温和にして高燥なる気候を好み、炎熱及び鬱湿の甚しきを忌む
土壌:軽鬆なる壌土乃至砂土に産し、新開地にも適する
生産高:約22万石→約457万石
大きな数字ではありますが、カロリーベースで米換算すると95万石程度です。
栽培期間が非常に短いことから北方や高地といった寒冷地でも短い夏によく生育し、明治時代を通じて北海道や東北で栽培が劇的に増大しました。
(14)甘藷
気候:温暖なる気候を好み
凍害を恐ること甚しく
土壌:壌土乃至砂質壌土に適し
卑湿の土地を忌む
生産高:約627万石→2515万石
非常に大きな数字ではありますが、カロリーベースで米換算すると754万石程度です。
反あたりのカロリー供給力では米を抑えてトップであり、戦中戦後の食糧難対策で救荒食イメージがありますが、戦前の日本においては長く主食用の畑作物でした。
ただし夏季の低温には弱いことから、生産は九州や西南日本で圧倒的に多く、一方で東北や中央高地ではほぼ栽培されていません。
地上部を茎葉が匍匐して覆うことで雑草の発生を抑え、土壌浸食を防いで水分の蒸散を抑える効果があり、排水過剰な土地にもよく生育することから、特にシラス台地を持つ鹿児島や、島嶼が多く傾斜地だらけの長崎や沖縄などで栽培が盛んでした。
主食として扱うにはたんぱく質供給量が小さいことと、カリウム(米の5倍強)のナトリウム排泄機能が課題となり、魚介類の塩辛との食べ合わせ、という形式が一般的に行われていたようです。