ヨーロッパの食糧生産
資料としては1880年にドイツで発行され、その邦訳農書である『通俗農家必携』(有隣堂,1884年)を使用しています。
■禾穀類
(1)コムギ
スペルトコムギ
気候:寒気に耐ふること小麦より強く
土壌:湿地に在ても冬枯すること少なく
粘土地及ひ真土地を好む
その他:黴病、鳥害の恐れ少なし
小麦の如く包被を脱せす特別なる機械を以て脱稃するを要する
播種:寒国に於ては既に八月中に播種するものあり
温暖なる地方に在ては九月十月を以て播種の好時節となす
ヒトツブコムギ
気候:播種期を少しく過るも大なる害なく
容易に冬枯し或は倒伏することなし
土壌:痩薄の土地と雖も尚ほ満足して成長する
険阻なる山畑にして肥料を施すに不便なる土地の如きは之を栽培するもの多し
その他:小麦の諸病に感染すること稀なり
播種期:九月より三月に渉る
パンコムギ
気候:寒冷なる山国及沼沢地方を除くの外独逸国随所に繁殖す
土壌:最も好む土質は肥沃なる真土或は粘土地に石灰を混したるもの
軽鬆なる土地に在ては充分なる肥料と適当なる湿気なけれは成熟すること能わす
播種:土地の気候及位置に随て早晩あり
九月の初旬より十一月
気候愈々寒冷なれは播種期益々早きを要す
19世紀ドイツの事例としては、南部ではスペルトコムギ、北部ではライムギを主食とするのが一般的だったようです。
一般に冬穀として栽培されますが、ロシアなど寒冷な地域においては輸出用の夏穀として用いられました。
ムギの中で最も食味が良く、加工方法にも優れた作物であることから、最も高級な穀物として主食や輸出品として用いられます。
(2)ライムギ
気候:山国の寒地にして凡て冬穀の熟せさる地方と雖も裸麦を栽培することを得る
土壌:小麦の如き最良なる土地に非さるも亦満足せり
脆砂地の貴重なる禾穀
重粘地にあらさるよりは何等の地にも皆能く登熟
唯湿地を嫌ふ
痩薄にして小麦を培養すへからさる土地にても充分なる収穫あるへし
その他:稈茎の収納最も多し
播種:冬穀中最も早きものなり
寒冷なる山国にては八月下旬には既に下種する者あり
砂地の性質として言えるのは、透水性・通気性が高いこと。
透水性の高さは土壌を乾燥気味にし、その低水分の環境は作物の根に寒気などの温度変化を強く影響させ、雨で塩基が流されることで土壌が酸性に傾きます。
また通気性の高さは土壌中の有機物の分解を加速させるなど痩せ地を形成し、ライムギはこうした条件下で最適な作物として進化を遂げました。
中世には麦角菌の流行が多く、感染したライムギを口にすることによる食中毒を頻繁に起こしました。
(3)オオムギ
冬オオムギ
土壌:温暖肥沃の真土地に成長す
痩薄高燥なる痩薄地には適当せす
その他:裸麦に比すれは一二週間早く熟す
夏オオムギ
気候:寒暖を択ます
高き山国に於ても尚ほ能く成長す
土壌:真土は殊に其好む所とす
寒湿なれは軽砂地にも亦能く培養すへし
肥沃にして施肥と耕耘を怠らす心土の砂質なる土地を好む
寒湿なる土地及高燥にして痩薄なる圃場又腐植酸に富みたるものを嫌ふ
二列大麦は粘地を好み四列大麦は砂地を喜ふ
播種:早春乾燥結合する温暖地には三月或は四月を播種の始とす
長く余寒を恐るる地方にては通常五月を以て播種の期と為す
土地軽鬆にして雨少き時は早く播種すへし
四列大麦は二列大麦の如く寒気に耐ふること能わす
其播種期は四月中旬より六月中旬
起源地である中東と、気候を同じくする地中海地域においては冬穀だったものの、アルプス・ピレネーの北の気候で栽培が進む中で、夏穀としての利用が主となりました。
最も早期に栽培がはじまったとされる作物の一つであり、パンや粥として主食に用いられてきました。
しかしグルテンを含まない性質上加工での自由度が低く、後にはビールやウイスキーといった醸造用に用いるのが主流となります。
(4)エンバク
気候:寒暖の気候を嫌はす
大麦の成長せさる土地と雖も亦能く登熟す
土壌:何等の土質をも嫌はす
極めて痩薄ならさる以上は重粘地にも軽砂地にも亦能く成長す
沼沢地或は泥炭地に繁茂するを見る
穀類中最も気候と地質を択まさるものなり
粘脆宜しきを得て少しく湿気ある沃土は其最も好む
播種:大麦に比すれは湿気を要すること多し
成長期も長きを以て成るへく播種を早くすへし
春日土壌の適宜に乾燥したるや否や速に下種すへし
一定の水は必要なものの寒暖・土性・土壌酸度、といった栽培条件への適応能力がムギの中で最も広い作物です。
ただし越冬能力を有する品種は少なく、ムギの中では唯一夏作のみで用いられます。
一部地域では食用にも用いられたものの、食味が悪いことから一般の用途は家畜飼料であり、取引価格も最も安い作物でした。
(5)トウモロコシ
気候:暴風多き土地に於ては玉蜀黍を栽培するも損害を蒙ること多し
土壌:重粘地を除くの外各種の土質を嫌はす
粘脆適宜の真土地は其最も好む所
砂地と雖も痩薄ならされは又能く成熟する
播種:充分なる地温を催したる時を待ちて下種すへし
四月下旬より五月初旬時好期節とす
アメリカ原産作物で、1494年にはスペインで栽培された記録が残ります。
温暖な気候を好み、乾燥にも耐性があることから当初は地中海地域で栽培が広がり、トルコ小麦という呼称でも呼ばれました。
栽培例としてヤングの『フランス旅行記』(1792)ではフランスの南半分までをトウモロコシの栽培北限とし、休閑のない小麦→トウモロコシの集約的な二圃式経営が行われていることに触れますが、一方で「有利な栽培には、かなりの熱量を必要とし、イングランドにこれを導入しようというすべての考えは、珍しいものとして以外は無益である」として、北方での導入には否定的でした。
アワやキビといった旧来の雑穀の地域ではトウモロコシの導入が進み、その後も品種改良とともに栽培の北上が進みました。
(6)キビ
気候:温暖なる気候
成長したる後は能く乾燥に耐ふる
土壌:肥沃なる砂質地を好む
砂壌に栽培するも大麦及燕麦の如く凋枯するの恐なし
湿気ある土地及雨多き気候は大に黍の発生を害する
播種:五月及六月初旬を以て通常の播種期とす
詳しい起源は不明なものの、中国と中東で栽培化が進んだとされます。
栽培期間が短いことから冷涼な気候でも成長が可能で、グリム童話「おいしいおかゆ」なんかにも登場するなど、ヨーロッパでは古くから縁が深い植物です。
さらに乾燥にも強固な耐性を持つことから、どちらかといえば北大西洋海流の影響が弱まる東欧や中欧やロシア方面で栽培が盛んでした。
※混淆種子
種々の禾穀類を混し或は禾穀と菽類を雑へて播種する
利益:植物は種類に依て其成長に必要なる滋養物を異にする
軟弱なる植物は其幼稚なるに際して混植したる植物の為めに寒暑を防くことを得る
混植すれは多少其病を防御す
他の植物の稈茎に纏綿して成長す
晴雨寒暖の如何に由り甲植物に適当せされは乙植物は登熟す
■菽類
(1)エンドウ
気候:少しく雨多きを能しとす
土壌:高燥にして少しく石灰を含みたる軽鬆なる真土地を好む
重粘寒湿に耐ふること能はす
砂壌と雖も位置及ひ気候乾燥ならされは能く成長すへし
甚しき粘土及ひ乾燥する砂地には成熟を期すへからす
地力薄けれは充分に成長せす
播種:土地愈々軽鬆なれは播種期益々早かるへし
重粘地には少しく晩くす
早きは三月晩きは五月
中東原産の作物であり、ヨーロッパにおいて最も一般的な豆類です。
(2)レンズマメ
気候:高燥にして温暖なる土地に能く成長す
土壌:軽鬆なるものを好む
砂及ひ石灰を含みたる真土地は最もリンゼに適当なり
除草が必要になるものの、含有するタンパク質量が多いことからエンドウよりも高価格で取引され、藁ですら良質な飼料として特別な保管を受けました。
(3)インゲン
気候:寒暑風害に罹り易し
土壌:高燥なる軽鬆地を好む
真土には殊に適当す
播種:四月下旬或は五月上旬
温暖なる期節を待つて培養すへし
他のマメと異なりアメリカ原産の作物であり、多くの地域で実取り目的ではなく、束のまま実もろとも馬の飼料に回されました。
(4)ソラマメ
気候:冷爽なる気候を好む
湿気ありて他の荳類に適当せさる圃場に繁殖す
土壌:腐植質に富む重粘地所謂ゆる小麦地なるものを好む
高燥なる軽鬆地には全く登熟せす
砂壌には決して之を培養すへからす
播種:三月初旬より五月初旬
ソラマメは上のマメ類と異なり粘質土壌に適しており、根の張りも強く土壌を膨軟にすることから、コムギの前作物として好まれました。
(5)ソバ
気候:寒気を恐る
寒国山地に於ても亦能く培養することを得へし
土壌:痩薄地を嫌はす
燃焼したる沼沢地新開したる森林地に豊熟す
湿気ある重粘地には成長すること悪し
播種:五月中旬より六月中旬
何故かマメの仲間として分類されます。
基本的な性質はライムギに書いたものと同様ですが、ライムギよりもさらに劣等地であっても栽培が可能でした。
ただしこちらは寒さに弱いことから、霜の危険性が完全に無くなってから播種され、夏作としての利用のみです。
このほか焼畑や干拓地といった新開地でも頻繁に用いられました。