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弦のない琴

作者: nkgwhiro

 野心と羨望は常に同居している。


 俺は人と違うとうそぶく李徴はついに虎となって咆哮すると書いたのは中島敦だ。

 その虎となる李徴的野心と羨望は、誰の心にも巣食っているに違いない。しかし、多くの者は遅かれ早かれ虎になる前に、牙を抜き、爪を隠して、世間という奥深い森林に身を隠してしまう。

早稲田の中文に籍を置く学生の時だった。

 教師から、日中友好条約締結の折、早稲田大学訪中団を結成し、歴史的訪問を行うから参加されたしとの連絡を受けた。1978年の事であった。


 迷った。


 なぜなら、その時私はすでに結婚をしていたからだ。学生の分際で、子供も一人生まれていた。どこにそんな金があるのかと。

 しかし、金は工面ができた。

 どこでどう工面したか、今となっては思い出せない。父親が出してくれたのかも知れない。多分そうだろう。


 そして、門戸を広げたばかりの、純朴一途な中国に入った。

 香港から列車に乗って、羅湖まで行く。そこからは目に見えない国境を歩いてまたぐ。


 国境の橋のこちら側には半ズボン姿の痩せたイギリス軍兵士たちが並んでいる。イギリス軍特有の手のひらをこちら側に見せる敬礼を受けて、私たちは資本主義の権化ともいうべき地から、自力更生を唱え、独自の社会主義を推進している体制の地に入るのである。

 橋を渡り終えると、そこには若い人民解放軍の兵士が整然と配置されていた。おまけに自動小銃を各自が胸先に抱えて栄誉礼をしてくれている。そのため、兵士たちはにこりともしない。

 北京で園田外相が条約に調印したその翌日の出来事であった。


 桃源郷というのがある。

 この世とも思えない世界、何の苦労もなく、幸せで安穏とした生活ができる場所をいう。

 歩いて、この国に入った私は、まるで、その桃源郷に入ったかのような錯覚を覚えた。

 ここは生き馬の目を抜くという資本主義の国ではないのだ。誰しもが安全で、平等に遇される理想の社会なのだ。そこに俺はいまいる、と。


 歩く人、自転車に乗る人、バスに乗る人、百貨店で働く人、道を清掃する人、そのほとんどがあまり高価ではない「人民服」を着し、男性のほとんどは人民帽をかぶっている。

 まるで、あちこちに「毛沢東らしき人」が居るかのようだった。

 ホテルでも、レストランでも、百貨店でも、人々は親切であり、かつてこの国に攻め込んだ大日本帝国の子孫である私たちを心温かく迎えてくれた。

 さすが、悠久の歴史を有する国の民である。心が広いと感極まった。


 この時、この国は華国鋒主席がトップに立ち、四人組と言われる急進派を追い落としたばかりであった。ソ連との対立、ベトナムとの戦争、この国はかつての仲間たちともめていた。だから、ニクソンと会い、田中角栄と会った。いや、10億のマーケーットに資本主義の巨頭たちが食指を伸ばしたと言ってもいい。

 ともかく、世界は動いたのである。


 その歴史的な一瞬の中に身を置いているという事実は、青年である若い心に感動さえ与えた。


 帰国してしばらくすると、華国鋒を追い落とした鄧小平が来日した。天皇陛下との晩餐会はテレビ中継された。新幹線に乗る彼の姿も印象的であった。

 日中は「一衣帯水」の関係を保ち、空前といってもいい、良好な関係を構築した。

 それから、日本は、中国の近代化のために骨身を惜しまなかった。金銭援助、技術援助、できることは何でもしてやった。


 この時、まだ中国の人々は「人民服」を着していた。


 いつの頃からだろう。

 中国のリーダーたちが「背広」を着るようになったのは。

 その頃から、どうも様子がおかしくなった。

 もらうものはもらったからか、それとも、彼らの心の奥底にある大日本帝国への怨念が吹き出したのか、あるいは、元来彼らが持つ「中華思想」が復活してきたのか。

 俺の住む小さな島国と対立するようになった。いや、そればかりではない、隣り合う国のほとんどと小競り合いをするようになった。


 あの謙虚で、質朴であった人々が、世界のあちこちで迷惑がられている。

 おかしい、そんなはずはないと目を凝らしても、疑いもなく彼らである。大きな声、散らかし放題、傍若無人の振る舞いは目に余る。


 時代は変わってしまったのだ。いや、変わるべくして変わったのだ。

 俺一人を見てもそれは明白である。


 かの国に憧れ、かの国を学び、かの国の文化を愛でていた自分が影を潜めてしまったではないか。でも、心の奥底には、かの国が育んだ文化芸術への憧憬はいまだにある。

 そして、自問する。

 かの国が作り出したあの詩、その哲学、あの建造物、そして、あの料理、それらは今の彼らとは違う民族が作り出しものではないと。

 あるいは、共産主義が人々の心を曲げてしまったのではないか。あの主義は、人が考えることを停止させる主義である。考えなくても、お上の言う通りにしていれば安穏としていられるのだ。反対に、逆らったり、意見を述べたりすると、えらいしっぺ返しを食らうことになる。

 沈黙、従順こそ生きる上での忘れてはならない鉄則なのだと。



 早稲田大学訪中団として中国に渡った記念に、私は、最初の訪問地広州で「二胡」を買った。

これから半月あまりの旅程の間、それを大事そうに持ち歩いた。

 買うのは、文房四宝でもよかった。掛け軸でもよかった。あるいは、民芸品でもよかった。

 でも、たまたま入った広州の百貨店の楽器売り場を見たとき、その様相の違いに心をときめかせた。そこには、ギターも、ピアノも、ドラムもなかった。あるのは、中国古来の伝統楽器であった。その中で、手にもって移動できるもの、それが「二胡」であった。

 丁寧に掘り抜かれた装飾の付いた棹、蛇の皮で貼られた共鳴部分の太鼓。馬の毛で作られた弦。どれもこれも楽器としてだけではなく、芸術品としての趣までも持っていた。


 しかし、丁寧に持って帰ったその二胡は、その後弾かれることもなく、今では、弦も消え失せ、我が家の床の間の端に置かれたままになっている。

 それは、私の中の中国に対する思いと比例しているかのようであった。


 それでも、時折、心の奥底にある、かの国が育んだ文化芸術への憧憬が呼び起こされ、一杯の酒とともに、稀に、手にして、『これなるは無弦の琴ならぬ、無弦の二胡なり』とうそぶいている。


 五柳先生の真似事をして、乙に澄ましているのである。


 五柳先生とは、魏晋南北朝の人である。

 名は潜、字は淵明。田園詩人として名を残す。

 下級士族の出で、経済的な事由から官吏となるも、職務に倦んで官吏を辞す。

 その折にうたいあげたのが、高等学校の古典で学習する『帰去来兮辞』である。


  「帰へりなん いざ

   田園 将にあれなんとす なんぞ帰らざる」

  

 さあ、帰ろう。今まで生活のために心を偽ってきたが、これからは己の未来のために生きよう……。世間との交際はやめよう。自分と世間は相容れないのだ……。


 学生であった頃、そのような詩句に対して、世の中とはそんなものかな、もっとしゃかりきになって生きてもいいのではないかなと思った覚えがある。

 とことん戦い、世の中を良くすることこそ、この世に生を受けたものがすることであると。


 年を経て、教師として、教える立場になると、様相が少し変わった。

 世の中の仕組みの中で、自分を主張し、意見を具現化することの困難さと、己の信義と異にするものでも受け入れなくてはいけないことを知り、五竜先生の詩句が自分の心と一致した。


 そして今、またこの詩句が少しく心に響く。


  万物の 時を得たるを羨み

  我が生の いく行く休するを感ず

  やんぬるかな 

  形を宇内に遇することまた幾時ぞ


 「自然のものすべてが時を得て栄える中、私はやがて終わりに近づくのを感じる。

  致し方のないことよ。人間はいつまでもこの世に生きていられるわけではないのだ。」


 年齢を経て、教職を去る時が来た。

 この職業はあまりに年をとって就くには過酷すぎるし、それに若い生徒を前に教壇に立つことは失礼にもなる。生徒が求めているのは、教師の生き様ではなく、教師が学んできた知識であるからだ。

 知識は永遠の産物ではない。知識は常に新しくその形を変えていく。それを教える教師もまた常に新しくあらねばならない。


 それゆえ、教員という職には「旬」というものがあるのだ。


 さらに、詩句は続く。


 「どうして心を成り行きに任せないのだ。あたふたとして、どこへ行こうというのだ。

  天命を甘受して楽しむのであれば何のためらいがあろうかと。」


 「旬」を過ぎたことを悟った教師は、しばらく呆然とする。

 そして、時がこの教師に「悟り」を与えてくれる。


 家族のため、理不尽さえをも受け入れ、派閥の争いにも巻き込まれ、不遇をかこったり、優越感に浸ったりしたことが、なんとも馬鹿げたことに思えるようになる。

 

 人を騙し、人に騙され、人を欺き、人に欺かれたりするのが世の中である。

 教師の世界ほど、それが顕著なところはない。彼らは聖人君主ではないのだ。偉大なる俗物であるのだと理解できるようになる。


 「旬」を失ったことを自覚した教師は、新たな「旬」の自覚に芽生える。


 五柳先生はいう。

  弦のない琴で音楽を楽しみ、釣り針のない竿で魚を釣る境地こそ悟った人のあり方だと。

 

                   

                                                了

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