ここは、どこ
水の流れる音、小鳥の鳴き声。
体が落ちていく。あっ! ミミ! まって!
目が覚めた。
「あれ? ここ、どこ?」
見慣れない天井。フワフワとした布団。ここはどこだろう? 確か、山にいたはずだ。そして、石に躓いて……。その後の記憶は、無論ない。いつの間にか、気を失っていたみたいだ。
上体を起こして周りを見る。木の家、ログハウスのようだ。窓は大きく開け放してあり、外の様子がはっきり見えた。外は、妙に殺風景で、自然だらけだ。人工物が少ないのだ。空に向かって、何か虹色のパイプが伸びている。こんな景色は、見たことが無い。
ここは、どこ?
ガチャ。
反射的にドアのほうを向く。腰まである白い髪を一つに束ねた、母さんくらいの年の女の人だ。
「おはよう、ごめんなさい。まさか起きているとは思わなくて……」
「いえ……」
目元が、母さんに似ている気がするが、気のせいだろう。それよりここは、どこだろうか? 服装からして、日本ではなさそう。服は、布をかぶり、紐で止めたような形だ。生地もざらざらと、していそうな見た目である。
「あの……、ここは、どこですか?」
「ラフェイ。外の世界で言うと、地底世界と言う意味」
地底にしては、ずいぶんと明るい気がする。頭に疑問符が浮かぶ。
「そして、あなたは、あそこのコルから出てきたのよ」
「……コル?」
「うん、この窓から見えるでしょう? 虹色に輝いているやつよ」
…………。えっ……。頭が付いていかない。現実で、このようなこと、起こりうるだろうか? もしかして、夢なのだろうか?
痛い!
布団の中で、こっそり、足を抓ってみたが、痛かった。現実なんだ。
女の人をそっと見ると、目が合う。すると、耐え切れなくなったように、クスクス笑い始めた。
「信じられないかもしれないけど、ここは、現実にある世界よ。そんな、確かめなくても良いのに」
ばれていた。足をこっそり抓ったことが、ばれていた。顔が熱くなってくる。傍から見たら顔は真っ赤になっているだろう。
「まぁ、落ちてきたときのことは、覚えて無いから、しかたないわね。あっ、そうそう、自己紹介がまだだったわね。パテラといいます。これから、よろしくね。沙箜」
「はい。こちらこそ、……えっ、どうして……名前を? それに……これから……ですか?」
返事をしたものの、おかしな部分に気づく。
「ええ、これからです。ここは地球の中にある世界なの。一度入ってしまったら、この姿で帰ることは、ほとんど無いわ。唯一つだけ、あったのだけど……」
「……じゃぁ……」
帰れないの?
パテラの表情を見ていたら、喉まで出ていた言葉が戻ってしまった。目は厳しく、どこか遠くを見ているようだ。
「まぁ、とりあえずは、ここ私たちの家で暮らすことになるわね。あとでこの世界を息子に案内させるわ。ティエラでは、ずいぶん、仲良かったみたいじゃない。じゃあ、また後でね」
「あ……」
少女に向かって微笑むと、パテラは行ってしまった。ドアの閉まる音が部屋に響く。
聞きたいことが、沢山あるのに。ティエラって、どこ?
夢では無いということは、この世界は映画の撮影とか、ドッキリだとか思えてくる。けれど、こんな大掛かりなことをするだろうか? 田舎の娘に? 無論無いだろう。ありえない話である。なら、先程パテラが言っていた事は、本当なのだろうか?
自問自答しても、答えられない。少女は、思考を放棄した。まずは、今を何とかしよう。この世界を良く知ってからまた、考えれば良い。
コンコン。
「失礼しまーす」
若い男の子の声だ。先程、パテラが言っていた、息子さんだろうか?
ガチャ。
ドアが開くと、パテラと同じく、白い髪の少年が立っていた。目がくりくりしており、幼さがまだ残っている。年は、同じくらいに見える。
「母さんから目が覚めたって聞いて。良かった、沙箜が無事で。思ったより、長い時間眠っていたから驚いたよ。この世界に来た負担が大きかったからだって、医師は言っていたけど、心配だったんだ。話すのは初めてだから、はじめましてで良いのかな? 僕のこと分かる? この世界で僕の名前は、カワン。東方学校の一年。あっ、東方学校というのはね、東方ラフェイ魔法学校の略。この世界は魔法があるんだ。後々説明するよ」
頭がついてこない。と、いうか、誰? 会ったことは、無いと思う。こんな、男の子は知らない。
「あの、……まだ誰だか分からないのですが……」
「あててごらん」
少年カワンは、人の良さそうな笑顔で笑っている。本当に誰だ? 白い髪の人はご老人くらいで、こんな若くて、白い髪の人は知らない。
「ヒントは……、好きなティエラの動物は、兎だよ。これで分からない?」
うさぎ、ウサギ……、白い髪、兎。……白い毛……? あっ、白い兎! ……えっ、と、いうことは……。
「……も、もしかして……、ミミ?」
少年の笑みが濃くなる。
「うん! 大正解! まぁ、この世界では、カワンって呼んでよ。人の姿だとミミはちょっと」
ミミ、いや、カワンが言った。
「分かった。カワン、よろしく」
「うん」
まさか、ミミだったとは。確かに男の子で『ミミ』は可哀想だ。だけど、兎が人間になるなんて。あっ、逆かな? 兎の姿になっていたのか。それに魔法学校と言っていた。魔法が使えるようになるのだろうか? 楽しみだ。
しかし、もう家族に会えないのは寂しい。パテラが先程言っていたが、本当に帰る方法は、ないのだろうか。カワンは、ずっとこの世界について語っている。しかし、考え事をしている沙箜の頭に、内容は入ってこなかった。
「最後に、何か質問したいことはある? あっ、学校のこと以外で」
カワンは一気に語ると、そう尋ねてきた。何でも良いのだろうか、今一番気になっているのは、元の世界について。
「あ、あのさ、もう、家族に会えないの?」
沙箜がカワンの目を見ると、目を逸らされた。不安が膨らんでいく。
「……本当に、会えないの? カワン?」
「あのね沙箜、帰るためには、王宮のコルを昇っていかなきゃいけないんだ。でも、コルを起動させる石がこの前、割れてしまって、今は、帰る道だけ閉ざされてしまったんだ」
目の前が暗くなった。少年は、おろおろしながら、口を開く。
「だ、大丈夫だよ、この世界も楽しいよ。みんなで、仲良く暮らそう。そして、一緒に帰る方法を探そう。この世界も広いんだ。どこかに、帰る方法があるよ」
「本当に? 本当に帰れる?」
「……うん、たぶん、大丈夫だよ。心強い知り合いがいるんだ、今度会いに行こう」
カワンの言葉には不安が残るが、少し元気が出てきた。絶対帰れないわけではない。これから探していけば良い。
一筋の光が、目の前に差し込んだ。じっとしている暇は無い。少女は口を開く。
「……今からできることはないの?」
「うーん、まずは、学校で学ぼう。魔法が使えれば、この世界では色々と動きやすくなる」
よし! 学校だ。学校に行こう。
「わかった! じゃあ、学校に行こう!」
呆気にとられている、カワンをそのままに、沙箜は布団を跳ね上げ、ベッドから降りる。
「ぁ……」
立ち上がったとたん目眩がした。尻餅をつきベッドに後戻り。ハッとしたように、カワンが近くまで来て、しゃがみ目をじっと見てくる。おやつを要求する時と同じように。
「おやつが欲しいなら、今は持っていないよ?」
カワンは首を振った。
「違う。おやつはいらない。沙箜、今日は、休日だ。だから学校には行けない。それに、まだこの世界に来たときの負担がたまっているはずだ。今だって、目眩が起きたんだろう? もっとしっかり眠って疲れを取れ。学校は完全に回復してから、手続きをする。沙箜がいなきゃ、手続きは出来ないから」
まるで、小さい子に言い聞かせるような口調だ。もう高校生なのに、この扱いはひどい。
「わかったな。だから、ゆっくり休め」
「…………」
「わかったか?」
「……はい」
「よろしい」
小さな抵抗は空しく、ミミの目、いや、カワンの目には勝てなかった。
少女が大人しく、布団に入るのを見届けると、少年は、そっと部屋を出て行った。後で、少女が好きな、本でも持って来てあげよう。と、考えながら。
次は、家の外へ行きます。