序章―邂逅と化身―
目を覚ますと真っ白な世界が広がっていた。
辺りには何も無く、音もしない虚無の世界だった。何故自分がこんな場所にいるのかはわからなかったが、思い当たる節が一つだけあった。俺こと錦織飛鳥は死後の世界に来たのだと――
今一度自分の置かれた状況を理解しようと記憶を掘り返した。思い出すことができるのは自分の名前や年齢、家族構成などといった自身の情報及び意味記憶だけで、自分がどのような生活を送ってきたのかは思い出すことができなかった。しかし自分が昨日死んだのだということだけは認識できているおかしな状況であった。何故だと考えようと頭を巡らせたがすぐに意味のないことだと気がついた。そう、死んだ俺にとって現世は過去でありもう戻ることができない世界のだから。そう思うと現世の記憶より今置かれている状況に興味が移った。俺たちの世界では死んだら三途の川を通り天国か地獄へ行くと伝えられているが三途の川らしきものは見当たらなかった。辺りを探索しようと歩き始めたが一向に世界は変わることはなかった。もう何時間歩いたのだろうか、いやそれほど時間は立っていないのかもしれない、そもそもこの世界に時間の概念はあるのだろうか、そんなことを考えながら俺は一向に変わることのない世界に飽きたのか腰を下ろして仰向けになった。上を見てもただ真っ白だった。ただ一点を除いては。その一点も確かに白だったのだが明らかに周りの色とは違った白色だった。
(…何だ、あれは?)
気づいたときにはすでに遅く、それは俺の上に降ってきたのだった。キャーという叫び声とともに――避けることもできたのだろうけれど、俺は、咄嗟に、それを、受け止めた。
それは真っ白なワンピースを着た少女だった。そう。これが俺と彼女との初めての邂逅であった。
俺の腕にスッポリと収まったそれは重さや衝撃など全く感じない代物だった。白いワンピース姿の少女の顔はパッチリとした二重の双眸にすっと通った鼻梁と整った顔立ちで、肌は白く澄んでおり、十代後半の顔立ちだった。そんな少女と目が重なった。少女は自分の置かれた状況に気づいたはずなのに平然とした表情をしていた。
「…おい、オマエ。私を下ろさんか」
そんな態度にひどくがっかりした俺は彼女を地面に下ろした。
「なあ。普通こんな時は、顔を赤らめて『…あ、あのっ。下ろしてください』って呟いてくれるんじゃないのかよ」
「ふっ、オマエは私に何を求めているのだ」
「それは求めるだろ。美少女が空から降ってきたのだから。普通、美少女が空から降ってきたら、大概美少女で、かつ可愛らしい表情で、それでいて予想外発言で物語が展開していくんだよ」
(やばい、不覚にも美少女と連呼してしまった)
「……どこの世界に空から女の子が降ってくることが普通に起きるのだ」
彼女は呆れた顔でツッコミをいれた。
(おい、美少女という単語は肯定するのかよ)
……それもそうだ……。
「ただし、オマエの選択によっては、予想外に物語が展開していくかもしれないな」
「……えっ!?」
彼女はにやけた顔で俺の顔をずっと見つめた。
「紹介が遅れたが私のことは『案内人』と呼ぶが良い」
「……あ、案内人?」
彼女の発言に、俺は首を傾げる。
「オマエはこの状況に関してどこまで理解している?」
状況というのはこの現状のことだろうか?俺が死んだという――
「俺が死んでこれから三途の川を渡るって事態にか?」
「ふっ。半分あっていて半分は外れているな。確かにオマエは死んだ。だが三途の川を渡る必要はないのだ」
「じゃあ何か?三途の川を渡らないで閻魔のところにでも飛んで行くっていうのかよ」
「いやいや。そもそも根本的な間違いなのだがオマエは死んだが実際には死んでいないのだよ」
「はぁ?」
「それともう一点。実際に死んだら三途の川を通るやら、閻魔大王のところへ行くのやらといった事情に関して私は知りかねるのだ」
「……どうしてだ?オマエは案内人なんだろ」
そう死の世界へと誘う――
「オマエが想像するような案内人とはわけが違うのだ」
「どう違うって……」
「まあ、一つずつ説明していこう」
彼女は真剣な顔で淡々と話した。
「確かにオマエは現世で死を迎え、その死の世界へと行くはずだったのだ。正規な手続きを踏んでな」
「正規な手続き?」
「これは私も聞いた話なのだが、どうやら私たちが想像する死の世界とやらは、現世に干渉して死ぬ時期はわかってリスト化されているそうだ。だから彼らにとっては死の世界に行く人をきちんと把握したうえで死の世界を管理していく。――そんな中、ある問題が生じたのだよ。彼らの管理者リストに無い名前が上がってきたのだ。彼らにとってはリストは絶対。つまりリストに無い名前が上がってきたとするのならそれは死ぬべきはずの人間ではないということだ」
淡々と話す彼女の話をただ聞くことしかできなかった俺がいた。
「死ぬべきはずではなかった人間が死んだというイレギュラーに対して彼らは考えたのだそうだ。――それはそうだ。今まで正常に機能していたはずのシステムに突然不具合が生じたのだからな。オマエならどうだ」
そう話すと彼女は突然一本のネジを目の前に出現させた。
「ここに一本の自動車のネジが存在する。もしそれが――」
彼女の掛け声と一緒にそのネジが……
「このように釘にすり替えられていたらどうする?もしかしたらその不備のせいで車そのものがダメになるのかもしれないな。――つまり彼らも同じことを想像したのだよ。死の世界の次元が狂うのではないのかと」
彼女の言っていることは一理ある。世界の管理者とはイレジュラーつまり得体の知れないものは恐れ消そうとする傾向がある。
「でだ、話を戻すがその管理者リストに名前が載っていなかったオマエはイレギュラーな存在なのだよ」
彼女の人差し指が俺に向けられた。
「……どうして、そんなイレギュラーが生じたんだ?」
俺がイレギュラーな存在ということは理解したが、そんな存在が生まれたのには理由があるはずだ……
「さぁな」
彼女は興味なさそうな顔で答えた。
「さぁなってオマエ案内人だろ」
「確かに私は案内人だが先程も言ったとおり管理者ではないのだよ。つまり何故オマエがここに来たのかは私の知るところではないのだよ」
「じゃあ、お前の仕事は何なんだ」
「よく考えてみろ。オマエはイレギュラーな存在なのだぞ。管理者たちはオマエの存在を恐れている。ならばオマエをなかったことにすれば話は簡単だろ」
「無かったことにって、つまり俺を消すということか」
「ふっ、考えてみろ。消したらオマエは死の世界に言ってしまうだろ」
「っ!!」
彼女は悪魔のような笑みを浮かべて言ったのだ。
「私はオマエを現世へ戻すために現れたのだよ」
「私はオマエを現世へ戻すために現れたのだよ」
「……」
「こらっ、何か反応しろよ」
俺の反応がなかったせいで彼女は不機嫌な顔でこちらの反応を待っている。
「……そ、そうか」
「いやいや、反応薄すぎるだろ。もっとこう『うぉぉぉー』とか『やっったー』等と反応を示したらどうだ」
彼女は落胆していた。
「い、いや、正直言って現世に行っても嬉しくもないしな」
「はぁ!?嬉しくないとはどういうことだ?」
「まあ、その、なんだ。現世の記憶とやらをまったく思い出してもいないから現世にどうしても行ってやり残したことをやりたいという気持ちにもなれない」
「……」
「それにな、確かに人間死ぬのは怖いし、生き返ることができたらすごく嬉しいことだけど、それは現世側の感想だ。そもそも人間が現世に執着するのは死の世界つまり自分が死んだらどうなるのかわからないから人は死を恐れている。でも俺はもう死の世界とやらを把握してしまったから死を恐れてはいないし、死んでしまっても死の世界でまた新しい生活を始めればいいってことだろ」
「ふっ、確かにオマエの言うことは一理あるな」
彼女は笑った。
「しかし、どうする。オマエには現世行きの片道切符しか与えられていないから、もうどうすることもできないのだぞ」
確かに俺には選択権がなかった。死の世界に行くには管理者の存在が絶対条件で俺を拒んでいるのだから。
「まぁ、普通に現世で暮らしていくさ」
「ふっ、普通に、か。しかしそう簡単な話では無いのだよ」
「……?」
俺は首を傾げた。
「これを見てみろ」
彼女は何もない空間から映像を映した。
「!?」
そこには俺が映っていた。
「これは過去の映像か?」
不意にそんなことを口にしてしまう俺がいた。
「いや、これは現在の映像だよ」
「!?」
そう、俺が映像の中で動いていたのだ。
「おいっ、おかしいだろ。だってこの映像は」
「確かに普通じゃありえないことだ。なぜならオマエは死んでいるのだから」
そう確かに俺は死んでいるのだから、肉体が動くはずではないのだ。
「でも、実際に動いているぞ」
彼女はおかしな素振りを見せることもなく俺に現実を突きつけた。
「……じゃ、じゃあ、何か。ここに居る俺は何なんだ?」
俺は青ざめた表情で彼女に問いただした。
「ふっ、そう答えを焦るな」
彼女は不敵な笑みを浮かべて真実を話した。
「まず、ここに映っている体はお前自身だがお前では無い」
「……?」
言っている意味がわからなかった。
「つまりだ。体はお前だが魂はお前では無い他人が入っているのだよ。よく言うだろ。『見た目は子○、頭脳は○人』だと」
「……つまり、見た目と中身が別々だと言いたいのか」
「そうだ。もちろん体の魂は今私のそばにあるオマエ自身だがな」
「じゃ、じゃあ何で俺の体に俺じゃない別の魂が入っているんだよ」
「教えん」
「はぁ!?」
「だから、教えんと言っているだろ。『禁則事項です』」
「いやいや、そんな某宇宙人っぽく言っても納得しないぞ」
「チッ」
「おい、今舌打ちしただろ」
「……」
「おーい、案内人さん。黙っていたらわからないですよー」
「ああ、もうっ。お前本当にしつこいな」
「しつこいって」
「まあ、いいだろ。当事者であるオマエには仕方なく、仕方なく教えてやるよ」
彼女は嫌な顔をして話し始めた。
「少し前のことになるが、お前みたいにイレギュラーな存在がここに来たのだ。おっと、プライバシーがあるからそいつの素性はあかせないぞ」
(死人にプライバシーなんかあるのかよ)
「当然私はそのイレギュラー仮にAとするとそのAを現世に戻す役目をおったのだ。しかしそこである問題が生じたのだ。そのAは現世に戻れなかったのだ。なぜなら戻りたくても自分の体がなかったのだよ。いや、厳密にはその体に戻っても正常に機能しないような状態だった。そうそれは人の形をしていなかったのだよ」
「……」
想像してしまい、息を飲んだ。
「そんな状態の体にAを戻してもすぐに死んでまたこちらへと戻ってきてしまう。だから私は死んだはずの人間の体にAを入れたのだ」
「ちょっと待て、そんなことしたら現世に干渉している彼らもまたよくは思わないだろ。だって死ぬはずだった人間が生き返ったら現世に影響を与えて、その影響が死の世界にも直結することがあるんじゃないのか」
「確かにこのAが別の人間Bになって現世で生きていったらBが生きていること自体がイレギュラーになってしまい、そのせいでまだ死ぬはずではなかった人間がもしかしたら死んでしまいイレギュラーになってしまうかもしれないからな」
「だったらっ」
「だがな、このBがもし死ぬべきはずの人間ではない人間つまりイレギュラーな存在だったらどうする?」
「!?」
「そう、もし、これがイレギュラーな存在つまりオマエだったからこいつは入ることができたのだよ」
「じゃ、じゃあ俺はどうするんだよ?そいつから肉体を返してもらうのかよ」
「いや、それは無理だ」
「無理って、じゃあ俺もまたそのイレギュラーな存在が現れるまで戻れないってことかよ」
切羽詰った顔で彼女に迫った。なぜ現世に執着していない俺がこんな顔をしたのだろうか。後から考えてみれば、多分それは自分ではない誰かが自分の体を使って生きているという事実つまり自分を汚されると思ったからこその感情だったのだろう。
「まあ、確かにそうするしかないだろう」
「……」
「しかし、だ。それではまたオマエのようなイレギュラーが生まれてしまい応急処置をしても次から次へとイレギュラーが生まれてしまっては根本的な解決にはならないのだよ。勿論このイレギュラーに対して彼らが対策を投じないわけがないのも事実なのだよ。そして彼らはすべての根底であるAの体を復元することにしたのだ。そうすることで全てのイレギュラーを解決しようと考えた」
「解決って言ってもどうするのだ」
「ただ、Aの体を元の状態つまり死ぬはずではなかった未来に戻しだけだ」
「戻すってどうやって?」
「ふっ、仮にも管理者だぞ。彼らなら肉体の再生など余裕なのだよ」
「余裕って……」
呆れて言葉が出なかった。いや、待てよ。ならばどうして。
「ちょっと待てよ。それっておかしくないか。だってそうだろ。別にAは体を再生すれば俺の肉体ではなく自分の肉体に戻ればいいわけだろ。だったら何でAは俺の肉体にはいったんだ」
そうAは待っていれば自分の肉体に戻ることができるのになぜそうしなかったのだ。
「まあ、流石に気づいたか。確かにオマエの言うとおりAは待っていれば自分の体に戻ることができたのだよ。待つことができればな」
「つまりAは待ちきれなかったのか。ガキだな。そいつは」
「いや、待てなかったのだよ。この世界には時間という概念はないのだが非常に不安定な世界なのだよ。まあ次元が違う話の理論なので要約するがこの世界でオマエやAのような人間が滞在できる時間は非常に限られているのだよ。もしその限界をこえてしまったら危険なのだ」
「お前はどうなんだよ」
「私は案内人なので大丈夫だそうだ」
「……」
(都合の良い話だな)
「でだ、連中はAの体をすぐには再生できないらしい。当然だ。世界の理に触れるのだからな。つまりAの滞在限界時間が先か連中の蘇生が先かの対決だった」
「……」
「結果はAの限界時間が先だった。そして全てが崩壊するはずだった。オマエが現れなければな。連中は奇跡を見たのだ。今まで滅多に生まれてこなかったイレギュラーを二度もこの短期間に目撃してしまったのだからな。そして連中はこれを好機と言わんばかりにAの魂をお前の体に移したのだよ」
彼女は淡々と過去を語った。しかし、虫のいい話に思えた。奇跡が二度も生じたのだからな。
「そして連中はオマエの精神を蘇生し終わったAの肉体に一時的に移すようだ」
「一時的に?」
「そうだ。連中は一時的にオマエたちの精神を交換しているが将来的には元に戻すそうだ」
「将来的にはっていつのことだ」
「さぁな。連中は蘇生ということと転生に対して大きな力を使いいま消耗しているらしい。だからいつになるかとはわからないが半年以内には元に戻るだろう」
「……半年か」
一生戻ることができないのかと思ったがそうではないことに安堵した。
「じゃあ、俺は半年Aとして過ごせばいいわけだな」
「そうだ」
「じゃあ、早速そのAの肉体に転生させてくれよ」
「おや、さっきまで興味なかったのに随分積極的だな」
俺の態度にびっくりしている彼女がいた。
「それはそうだろ。他人として生活できるなんて普通じゃありえないことだからな」
一ヶ月という短い期間だけという限定的な交換だが、自分が戻ることができるという確信と他人として生きる楽しみが俺の心を興奮させた。
「ふっ、面白いことを言うな」
彼女の唇に笑みがこぼれた。
「では、早速転生してもらうぞ」
「ああ、いいぜ」
心の準備は万全だった。
「ああ、出発の前に一つだけ頼まれてくれないか」
深刻な表情で彼女は言った
「何だ?」
「今回オマエにイレギュラーが生じた理由なのだがまだ分かっていないのだよ。だからオマエには身辺をあらってもらいたい。オマエの記憶だが現世に戻れば思い出すだろう。だからお前はその記憶を頼りに原因を探してもらいたい。その原因は以前に必ずオマエに接触してきているはずだからな」
「わかった」
そう不備があるということは必ず原因が存在するのだ。
「それと現世に着いたら自分の体を頼ると良い。必ずオマエの物語は面白い方向に展開していくはずだ」
彼女は不敵な笑みを浮かべた。
「ああ。……それと最後にお前も元気で、な」
俺は笑顔で彼女に別れを告げた。
「ふっ、○○○」
彼女が最後になんといったのかを聞き取ることができずに俺はこの世界とお別れをした。
目を覚ますと俺は何かの上に横たわっており視線の先には見知らぬ天井だった。起き上がろうと体を起こすが体中が少し痛い。しかしすぐにその痛みも和らぎ俺はそのベッドから立ち上がった。辺りを見渡すと白いカーテンやベッドが目に入った。どうやらここは病室のようだ。俺は顔を洗うために部屋内にある洗面所を見つけ顔をゆすいだ。自分がいつもの自分でないことは理解しているがまだ完全に目が覚めていない目を覚ますために。取り付けてある側のタオルを手に顔を拭いた。そして取り付けてある鏡を見て自分の転生した顔を確認した。鏡の中にはパッチリとした二重の双眸にすっと通った鼻梁と整った顔立ちで、肌は白く澄んでおり、十代後半の顔立ちだった案内人と名乗る彼女がいたのだった。