Circus Ticket(サーカス・チケット)
登場人物紹介*
宇尾貝拓巳…20歳の青年。片田舎の港町で骨董店を経営する一方、訳あって月城を追う。16の時に母を亡くした。
夕壱…宇尾貝の幼馴染。21歳。
月城…最近、街を賑わせている「人の夢(夜見る夢)」を盗む怪盗。被害者は一切夢を見なくなり、やがて神経衰弱を起こすと言われている。
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「なんだ、これ。」
夜半過ぎ、店に帰ってきた宇尾貝は、店内のコルク板に画鋲で貼り付けられた、見慣れない封筒を手に取った。色はいぶし金風で、青いシールが貼ってある。こんなものが配達された記憶もなければ、貼り付けた記憶も、もちろんない。首をかしげながら手にとると、カウンターの椅子にどっかりと腰を下ろした。
先日、町外れの農家から、蔵を解体するから骨董を買い取って欲しいという依頼を受けた。蔵の中身は思ったより多く、半分まで整理した頃にはすっかり暗くなり、申し訳ないからと夕食がふるまわれ、結局帰宅したのはこの時間だ。
ため息をつきながら、テーブルの上で封筒を開く。出かける前に書き物をしていた帳面がそのまま放りだされていたことに、やや苦笑する。
中には、手紙の代わりに1枚の赤いチケットが入っていた。しかし、それには単に「Ticket」と印字されているだけで、他の情報は何もない。けれども不思議と、半券の部分にはきちんとミシン線が入っていた。鼻を近づけると、微かに潮の香りする。
誰が、いつ、どうやってこんなものを…?
普段、コルク板には、あらゆるメモが乱雑に貼られている。出かける前にそれらの内容を確認した時は、確かに何もなかったはずだ。まさか、夕壱?と友人の青白い顔を思い浮かべるが、すぐに打ち消した。今夜はいないことを伝えてあるし、建物の鍵は全部かけてあるわけだし…。
考えても答えが出ないことや、どっと疲れが出たこともあって、宇尾貝はおもわず目を閉じた…が、すぐに瞼を開けて、窓の外を見る。商店街の向こうに、深夜には似つかわしくない、赤いドーム状の光と、サーチライト。方角から言うと、海岸のあたりだ。まるで、砂浜にサーカスのテントを張ったような…。
宇尾貝ははっとして、放り出したばかりのチケットを手に取った。そして勢いよく椅子から立ち上がると、そのまま店を飛び出した。
「いつの間に…。」
海岸に駆け付けた宇尾貝の目に飛び込んだものは、予想通り、サーカスのテントだった。満月をバックにしたその存在の周囲は静まり返っていたが、おそるおそる入り口を開けた瞬間、どっと歓声が沸き上がった。
「!?」
その熱気と、突然飛び込んで来た色とりどりの光に、宇尾貝は圧倒される。会場は観客で埋め尽くされ、大きく盛り上がっている様子だが、中央のステージに出演者の姿はなかった。ただ、天井から下がった1本のブランコが、左右に勢いよく揺れ続けている。観客の目はそれにくぎ付けとなり、時折、歓声が上がる。宇尾貝は気味悪さを感じながらも、通路側の空席を見つけて座る。
すると、突然会場内の照明が暗転。ステージの中央にだけ、一筋のスポットライトがあたる。
そこには、背の高い、細身の人物が佇んでいた。
フード付きの黒い布をまとい、ピエロの仮面をつけているが、背格好からして男性だろう。彼の前には、細長いテーブルが一つ。その上には、ミルクが入ったガラスのコップ。彼は着物のように長い袖でそれを隠すと、ぱちん、と指を鳴らした。そして袖をどけると、そこにはコップの代わりに一羽のカモメが…。それは観客の上を悠々と旋回し、やがて天窓から飛び去った。なるほど、この男は奇術師か。
次に男は、長い両手を大きく広げて見せた。
誰かお一人、ステージへ…。
やがて、片方の腕が宇尾貝へと向けられた瞬間、カッと真上からスポットライトが当たった。眩しさに、思わず下を向く。顔を上げると、全ての観客が無表情のまま、じっと宇尾貝を見つめていた。
「え、俺…?」
男は伸ばした手の指先をくいくいと曲げ、こちらへ来いと合図している。宇尾貝は背中に嫌な汗をかきながらも、通路の階段を下りて、ステージに上がった。腕を下ろした男は、じっと佇んだまま、身動きしない。テーブルの上にはいつの間にか、裏返された写真が4枚。男は黙ったまま、それらを順に指差した。
好きなものを選んでください。
宇尾貝は戸惑いながらも、右から2番目を選び取り、裏返した。
「!?」
これは…。
テーブルの向かい側にいたはずの男は、宇尾貝が動揺している間に、いつの間にか傍らへと移動していた。二人は、面と向かって向き合う姿勢となった。
すると突然、男はその両手で宇尾貝の頬を覆った。驚いて振り払おうとするが、男のものだと思っていたそれは、柔らかく肉付きのいい女性の手。しかも、忘れもしない温かい手…。
「拓巳…。」
仮面の下から、声がした。聞きなれた、懐かしい声だ。
「拓巳…一人にしてごめんね。店を守ってくれてありがとう…。」
「か…」
宇尾貝はもう一度、先ほど裏返した写真を見る。そこには、4年前に死んだ母の姿があった。小柄で、ぽってりとした体形の、心臓が弱かった母…。
「母さん…?」
思わず声に出すと、ピエロの仮面が落ちて、床の上に乾いた音を立てた。仮面の下には確かに、母の顔があった。宇尾貝の頬を撫でながら、泣き笑いしている。
「大人になったんだね…」
もはや、男と呼べばよいのか母と呼べばよいのか、わからなくなったその存在は、そのまま宇尾貝をぎゅっと抱きしめた。その感触も、宇尾貝に懐かしさと切なさを溢れさせた。しかし、その感情に逆らって、宇尾貝は首を激しく振った。
母は、死んだ。こんな所にいるはずがない。
そのとたん、抱きしめていた腕の爪が鋭く伸び始め、ぎりぎりと背中の皮膚に刺さり始めた。
「!」
「やれ、嬉しや…。」
耳元で、そんな声がする。同時に、からんという音がして、足もとにまた一つ、仮面が転がった。それは、先ほど宇尾貝を見つめて泣いていた、あの母の顔であった。
「ようやく、願いが叶った…あぁ、探偵君…私はね、君の切ない顔を見ながら、こうして自分の腕に抱いてみたかったんだ…。」
その言葉と共に、宇尾貝を抱きしめていた腕が、ゆっくりと男のものへ変化していく。宇尾貝の全身が、一気に粟立った。渾身の力で男の腕に抗いながら、叫ぶ。
「やめろっ、またお前か月城っ!」
舌なめずりしつつ、ようやく宇尾貝を離したその男は、全身を覆っていた黒布を外した。猛禽類のような鋭い爪が、ライトを反射して光る。そして、その顔には、ピエロでも母でもない、別の仮面がつけられていた。目の部分に細く切れ目が入った、鼻まで隠れる白いマスク。1本に束ねられた、銀色の長い髪。朱色がかった紅の装い。首や腕にまとわりつく、いぶし金のアクセサリー。月モチーフのアンティークブローチ。男が一歩、また一歩と後ろへ下がるたびに、それらがしゃらん、と音をたてた。
怪盗・月城。人の夢を盗む魔物。こうして対峙したのは、もう幾度目になるだろうか…。しかし、宇尾貝はそれどころではない。抱きしめられた気味の悪さと、母の姿を利用されたことで、頭の中が煮えくりかえっていた。
「いい加減にしろっ…気色の悪い…!」
失敬な…と、月城は喉の奥で笑う。
「自分からここへ来たくせに。」
「黙れっ!お前は俺をどうしたいんだよぅ!」
すると月城は伸びのある低い声で、歌うように言った。
「私の話を聞いていなかったのかね?嘆かわしい…『人の話はちゃんと聞きましょう…』。そうお母様に教わったはずだがね。では、もう一度言おうか?私は今夜、君をこの腕に抱…」
月城がそういうか言わないかのうちに、宇尾貝は真っ赤になって月城を睨みつける。
「怖いなあ。まあ、そういう顔も可愛いけれど…。仕方がない、それじゃあ、君をここに呼んだもう一つの目的を、教えてあげようか。」
そう言いながら月城は両手を広げ、さんさんと降り注ぐスポットライトを浴びた。
「このコレクションを、一度君に見せたかった。この観客はね、一人一人が、夢そのものなのだよ。私が手に入れた、大勢の人々の夢…!彼らは各々(おのおの)の肉体を離れて、こうして終わることのないエンターテイメントに酔いしれている。」
宇尾貝は、ステージを取り囲む観客たちを見回した。全員が、ステージに立つ二人の行動を見つめている。彼らの表情は一様に恍惚としており、まるで楽しい芝居に夢中になっているかのようだ。
「君が主役だよ。さあ、続きをしようじゃないか。」
月城は、しゃらん、しゃらん、とこちらへ近づいてくる。宇尾貝の体はいつのまにか、どんなにあがいても動かなくなっていた。次第に息が荒くなる。
「いいねえ、色っぽいじゃないか?さァ、次は何がいいかな。」
月城は、そう言いながら宇尾貝の顎に手を触れようとする…。
「『夢』を持ち主に返せっ…」
宇尾貝は、やっとそれだけの言葉が出た。月城は形のいい唇の片側を引き上げながら、なるほど、と頷いた。
「いいだろう。今夜の、君への出演料だ。それに私はもう、『欲しい夢』は手に入った。これ以上はいらない。」
続きは、次に会った時のお楽しみにいようじゃないか…。そう言いながら、月城は再びぱちん、と指を鳴らした。そのとたん、けたたましいまでのカモメの鳴き声で、会場内が包まれた。
「!?」
金縛りから解かれた宇尾貝は思わず顔を覆った。観客…いや、夢たちが…それぞれカモメへと変化し、いっせいにその場を飛び立ち、ステージに立つ二人の周りに渦をつくって上空へと登り始めたのである。
その時宇尾貝は、周囲を取り囲む白とグレーの羽の間から、月城の体もまた、数羽のカモメとなって群れに溶け、混じり、昇っていくのを見た。
「家に送ってあげよう。愛しい君が迷わないように…」
宇尾貝は、そこではっと目を覚ました。体がぐらりと傾き、けたたましい音を立てて、カウンターの椅子から落ちる。足もとにあったカエルの置物に後頭部をしたたかにぶつけて、しばらく声が出なかった。
「うぅ…」
しばらくして体を起こし、はて今までのことは夢だったのかと、痛む頭を押さえながら立ち上がる。全身にぐっしょりと脂汗をかくほど、あまりにリアルな夢だった。空はすでにぼんやりと白くなっており、日の出も近い。
呆然と立ち尽くすその目に、机の上に置かれた、例のいぶし金の封筒が目に入った。
中を開いてみて、宇尾貝はそばにあったゴミ箱を思いっきり蹴飛ばした。
倒れて中身が散らばったが、そんなことはどうでもよかった。ちぎれるほどに、唇を噛む。
月城め。
その奇妙なチケットは、宇尾貝が眠ってしまう前と同じように、きちんと封筒の中にある。ただし、半券はきっちりと切り取られていたのだった。