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紆余曲折ある恋人達(中)

 さて、そういうわけで俺の決意も固まり、氷川さんとの奇妙な友人関係がスタートした。しかしながら、俺も彼女も、男女の間に友情は芽生えるのか否かという、昔から言われていた問題に直面することになるのだが、この場合、俺は彼女と恋仲になるのが最初から目的なので、この際無視する。彼女がこの先どう認識していくかは、さてはて。俺にはどうすることもできないところだ。夢破れたりするのも青春ということで今の俺ならばテンションで納得できてしまいそうな気がする。普通に落ち込むだろうけど。


 とりあえず、さしあたっては映画だ。友人同士で映画を見に行くにしたって、二人きりということもないだろうという考えがないこともなかったのだが、「誰かを誘おうか?」の一言が言い出せず、なるようになれと当日を迎えた。映画館の前で待ち合わせし、とりあえず俺からは誰もつれてこなかったが、彼女は誰か連れてきたりするのだろうか――そんなことを考えながら待っていると――。


「早いな。待たせたか」

「いいや、今来たところ……」


 思わずありきたりなやり取りをしてしまったが、彼女も一人だった。やはりこれは映画デート以外の何物でもないのではないだろうか。私服の氷川さんというものにいやに感動してしまったが、やはりというかなんというか、私服はあまり女の子らしくない恰好だ。


 ファッションについてさっぱり知らないので何がどうだとか、気の利いたことは言えないのだが……。スキニーデニム、白地に青のボーダーシャツにカーキの……えーと、ジャケットでいいのかこれは。履物はサンダル。夏らしく爽やかで、何となく男性的なのは彼女の長身に良く映えるし、カワイイとかキレイとかいうより格好いいと表現できる。ちなみに俺はファッションを知らぬアホな男子高校生らしく、ジーンズにTシャツ、スニーカーである。この上なく安直だが文句でもあるか。シルバーなんぞ知らん。


「……どこを見ているんだ、君」

「いや、我が身のファッションセンスとそちらのセンスの月とすっぽん具合を……」

「別に君も変じゃないだろう?」

「年相応に見えればそれでいいです。はい」


 変なやつだな、と言いたげな視線を背に浴びながら、気を取り直してチケットを購入。席についてからは会話も無く予告をぼーっと見ていた。本編が始まったら? 勿論、おしゃべりは厳禁だ。折角なんだから楽しまなければ。


 結論からいえば、やはり俺は間違いではなかった。冒頭でNYにて爆弾テロが発生し、おじさんの娘もケガをしたというスタートから始まり、おじさんは捜査官としてテロリストを追いかけていく。前作で強盗犯をひき殺したような残虐な手口は今回も色褪せることはない(本当にこんな警官がいたらとは思いたくないが)息を呑むようなバイオレンス。バイオレンス。そしてバイオレンス。昔の奥さんとのアレコレなどは弁当の隅の漬物が如くぞんざいに消費され、ノルマ達成したからもういいよねとばかりにテロリストを追い詰める。捕まえる。抵抗されれば殺す! 車で逃げるテロリストに先回りし、トレーラーに乗せられていたブルドーザーを拝借して激突! 上がる爆炎! 断末魔! 飛び散る血飛沫! ラストは高跳びしようとするテロリストの航空機にしがみつき、無理矢理中に突入し、ガンガンと銃を撃ちながら殺して回り、最後に首魁とお約束の殴り合いの上、両肩を脱臼させてやり逮捕。おじさんはアメリカで無敵の男だ。


「どうだった、氷川さん」

「案外悪くなかったな」


 ほら見ろ。氷川さんも笑顔だ。おじさんの情け容赦ない暴力は人々を笑顔にする。悪党は悪党らしくくたばる姿に、最近の変にヒューマニズムとお涙頂戴に傾注したシナリオにはないカタルシスがあるのだ。見に来てよかった。


「ああいうのを見ていると、単純だと思われてしまうだろうが……」

「うん?」

「登場する小道具なんかを部屋に一つほしくなる。今回ならピストルがな」

「……なるほど」


 結構かわいいところがあるじゃないか。にやけるのを堪え、とりあえず映画館から出て喫茶店で一息つこうと提案。彼女も快諾したので、映画館近くのお店に入ることにした。


 喫茶、『メガリス』即ち巨石記念物を意味する名称である。喫茶店につける名前として適当かどうかは判断しかねる。作戦会議場所となった『ジュピトリス』なんかと比べればまだマシな内装だろう。ところどころにストーンヘンジだのの写真があるぐらいなんてことはない。適当な席に、向かい合うようにして座る。……二人しかいないんだから、当然といえば当然である。これで横に座る奴は変人だ。だから、別に普通のことだ。


「……なんだ。人の顔をじろじろと」

「ああいや、何でも。気にしないで。俺はコーヒーがあればいいんだけど、氷川さんは何か食べるかい。どうやら、それなりにお菓子類が充実しているようだけど」


 誤魔化すようにメニューを広げて彼女に見せる。悪手だと思ったのは、どれどれと彼女が身を乗り出したことだ。近い。さっきは映画に集中していたから思いもよらなかったが、何か、近くないか。距離。香水をつけるようなタイプには見えないが、微かに柑橘類のような甘い、爽やかな香りがする。……先日の作戦会議のせいでもあるが、ドキドキする。


「魅力的だが、太りそうだ。私も紅茶だけでいい」

「そっか。氷川さんは少し痩せすぎな気もするけどね……と」


 メニューに並ぶ菓子類の写真から、やや名残惜しそうに眼を逸らして乗り出した身を引く彼女にややほっとしたような、もう少し近くにいたかったような気がしつつ、何でもない風を装って店員を呼んで注文。ほどなくして運ばれる暖かなソレに口をつけて、無言なのもあれなので、映画の後の醍醐味の感想タイムとする。


「それにしても、氷川さんが楽しんでくれてよかったよ」

「そうか? まぁ、確かに乱暴だし、ストーリー自体は添え物の感は否めなかったにしても、娯楽作品ということを考えれば十分だろう。……などと偉そうなことを言うが、私はそもそも、映画をあまり見たことがなくてね」

「俺はアクションが見られればいいから、映画論みたいなのは考えたことがないなぁ。見た目通り薄い男で申し訳ないんだけども」

「申し訳なく思うようなことでもないだろうに」


 苦笑するような、おかしそうにころころ笑う彼女の姿に見とれそうになり、自分も苦笑で誤魔化しつつ、視線を彼女から外す。とてもじゃないが直視できない。難儀なもので、相手を見ないで話すというのは難しい……というより、じゃあどこ見てればいいんだという話になる。そりゃあ、話している最中にずっと相手の顔を見ているってのも、面接じゃないんだからおかしいにしても、最初から最後まで相手を見ないのも変だろう。だというのに、彼女の顔を直視していたらおかしくなってしまいそうだ。


「それにしてもアクションか。君はああいうのが好みなんだな。じゃあ、そうだな。さっきの映画なら、どのシーンでグッときたんだ? 隣でもわかるぐらい笑顔だったから、大体のシーンが好きなのはわかるんだが、その中でも特別なところだ」


 見られていたのか。血飛沫に興奮する男というのは危ない印象を与えなかっただろうか。いやでも待ってほしい。あそこまで派手に殺しまわってくれると嬉しくなるだろう。

 ……まぁ、それはいい。おいておこう。折角氷川さんから話をふってくれたのだ。それに乗らない手はないし、質問されたところは俺の語りたいところでもあった。


「ブルドーザーで車ごとぺしゃんこにするところも、最後の派手な格闘も勿論好みなんだけど、一番は、作品の大半を彩った銃撃戦だね」

「他のと比べると地味なように見えるが?」


 氷川さんは間違いなくわざと尋ねている。こういう質問されると嬉しくなる男の心理を突いているというべきか。語りたいことを語るように促されてうれしくならない男なんていやしない。だから俺は普通だ。


「何しろ一番動くからね。主役が棒立ちなのに銃撃戦で致命打をもらわないのは論外だから、何となく納得できそうな、軍隊風の立ち回りで説得力をもたす。潜伏からの奇襲。格闘に持ち込んで銃を奪い、その場を凌いだらすぐに移動。銃を奪って次々に持ち替えていくから、その銃に何発入っているんだ、なんて野暮な突っ込みをつぶせるのも大きいと思う。そしてこれで主役に色んな種類の銃器をもたすことができる。場面によってはとっても絵になって痺れる格好良さだ。破壊されたパトカーに飛び乗って散弾銃を取り出して、車列に飛び込み、敵の背後から忍び寄って無防備な背中にズドン! とかね」


 いやもう。ついつい嬉しくなって本当にわくわくと話してしまった。仕方がない。あの奇襲は痺れる格好良さだった。コッキングして、振り向いたもう一人の顔面にぶち当てるところとか喝采をあげたくなるほどだ。


「つまり、多種多様な銃器や状況で大量殺戮するのがいいと」

「極論するとそういうことになるかな」


 しかしそう分析されると俺は稀代の大悪人みたいに聞こえるんですが。


「よし。そうだな、こうしよう。じゃあ実際にやってみようじゃないか」

「……はい?」

「銃撃戦をだよ。サバイバルゲームって言うんだったか?」

「……お、おお?」


 しかし、あれは初期投資で莫大な金額が吹き飛んでいく。仲間も集めるのは困難だろう。

「……そういうフィールドは、レンタルができるんじゃないのか?」

「あ、ああ。そうか。そうだね……っていうか、氷川さん。もしかして」

「どうした?」

「前から、やってみたかったりする?」

「……わかってしまったか。興味はあったんだ」


 結構気が合うかもしれない。……などと喜んでいる場合ではない。サバイバルゲーム。確かに、使用するエアガンは貸し出しているところも多い。それでも、服装なんかは基本自前だ。貸してくれることもあるが、気分の問題は銃よりも大きい。何しろ服だし。だから、服装だけは自前でそろえるということにしても、それだって結構かかる。いや、だが。


「じゃあ、今度声かけてみようか。周りに」

「そうしよう。男女混交戦になるな」


 これも青春、青春。楽しむことにする。友人らでチーム組んでバカ騒ぎしながらサバイバルゲームなんて、愉快にしかならない。今から声かけて人を集めて準備して、夏休みに入るぐらいにはゲームに入れるだろう。……そう、高校生であるという身分は、自分が認識しているよりも賞味期限というものが短い。青春らしい楽しみ方ができるのは、二年生までだろう。三年生からは受験ということもあり、学生らしい楽しみ方なんていうのは機会が遥かに限られてくる。で、俺は去年を無為に過ごした。春もそうだ。である以上、高校生としての青春は今しかない。乗るしかない。


「それでも、やるとなったら自分の使う銃器は自分の好きなものが欲しくなるよね。こりゃ、ちょっとやってみて気に入ったら、バイトでもするしかないね」

「それが人情というものだな。時に、君が好きなのはどんな銃だ?」

「女の子と銃器談義というのも変な感じだなぁ……。まぁ、好みはブルパップ銃かな。イギリスとかフランス辺りのメーカーの」

「ブルパップ?」

「引き金よりも後方にマガジンがあるタイプの銃だね。さっきの映画でも、空港内での銃撃戦の際に、敵から奪って横に薙ぎ払いつつ撃った銃があったでしょう。ああいうやつかな。確か、あれはオーストリアの銃だったはず」

「ああ、なるほど。少しデザインが可愛いやつだな」


 かわいいとは一体。最初からわかっていたつもりだが、氷川さんは他の女子と比べると大分独特な感性をもっているようだ。先日あっさり許してこうして友人として接するようになったり、サバイバルゲームを提案したり、そもさんあの映画を悪くないと評するあたりとか。周囲とズレているということは、それだけ浮いているということでもある。考えてみれば、自分たちもさっぱり氷川さんについてのことを知らなかった。同じクラスであるのにだ。近寄りがたい美人さんだったというのも一因ではあるが、やっぱり目が鋭い辺りと、口数が少ないからだろう。ウチのクラスの偉いところは、女子たちはそれでも仲間外れを作らないという点だ。ヨソの事情はよく知らないが、漫画なら氷川さんのような女子は他の女子との協調性がないという点を責められ、そのまま迫害対象足りうる。……彼女の場合、下手なことをすると武力制圧しかねない凄みがあるけれども。

 そして男は、特に俺のような喪男共はそもさん周囲に興味をもたずに身内間だけで完結するコミュニティ内コミュニティを形成する傾向にある。そんな俺達も迫害対象になりうるのだが、幸いなことにそうはなっていない。いやはや、いいクラスなんだなぁ。


「……変なことを言っただろうか?」

「ああごめん。ブルパップを可愛いと表現する人を知らなくてね」

「そうか? そうか」


 氷川さんが露骨に残念そうに目じりを下げる。……話してみると、氷川さんは案外表情豊かだ。デフォルトの顔が睨むような眼なので損をしているのだろう。そのギャップが可愛らしいと思う辺り、俺もたいがい、初めての恋というもので頭が煮えている。


「でも、そう言う氷川さんは可愛いと思う」


 ふ、勢いに任せてとても馬鹿馬鹿しく気障な台詞を吐いてしまった。何を言っているんだ俺は。ほらみろ、氷川さん呆気にとられたような顔をしているじゃないか。違うんだ、今のは俺の中にいる邪悪な妖精が俺を乗っ取ったんだ。違う、違うんだ。違わないけど。


「……ぷ、くく。そうか、ありがとう。コーヒーカップが震えていなければ、まだよかっただろうにな。うん、悪い気はしないよ」

「そっかー……よかった」


 すごい笑われてしまったじゃないか。アホなことするから。肩震わせて精一杯笑うのを堪え……きれずに結局声たてて笑われてしまう。くそう。


「あはは……そうだ。氷川さんはどんなのが好きなんだい」


 無理矢理話を元に戻す。氷川さんはまだ笑っていたが、紅茶を飲みつつ落ち着こうとしていた。そんなに面白かったか、そうか。何よりだ! ちくしょう。


「ええと、そうだな。私は難しいところまでは知らないが、やっぱりピストルがいい」

「拳銃にもいろいろあるけど、どういうのかな?」

「銀色をした大きなやつだな。さっきの映画なら、テロリストの首魁が使っていたやつだ」

「ああ……あれか、イスラエルの。ごっついやつ」


 フィクション映えするのでよく映画漫画ゲームでも引っ張りだこの名銃。50口径をガンガン撃つイスラエル生まれの憎い奴。一般流通する拳銃の中では一番威力が高いとか。


「この先本当にエアガンでもモデルガンでも買うことがあるなら、ひとまずあれを目標にしたい。やっぱり、値が張るんだろうか」

「人気だから、ピンキリで幅広くあるけど、ゲームに使えるようなのは結構すると思うよ」

「そういうものか」


 ガスにしろ電動にしろ、一番大手メーカーの手頃なやつでも結構な値が張る。ああ、いや、違った。根本的なところに問題がある。俺がぼんやり考えていた、「気に入ったらアルバイトとをして買う」というその発想を根底から破壊する問題でもある。


「……高校生じゃ年齢制限で買えない」

「なに、そもそも買えないのか」

「法律が厳しくなってて……」

「そうか。少し残念だが、そういうものだと割り切るしかないな」


 いや全く。とはいえ、エアーコッキングという手もあるにはあるし、それ専用のレギュレーションがゲームで存在することも知っている。なんにせよ、一度レンタルでゲームを楽しんでみてから、今後を判断すればいいだろう。うん。多分バイトしてまでエアコキを欲しくはならないと思うから、俺の労働意欲は急激に低下しているけれど。


「じゃあ、他に楽しみを見出すしかないな」

「服装とかってことかな」

「そうなる。映画で半分『やられ役』だった警官隊の格好とか」

「そうだね。そこも楽しみの一つだと思うよ。銃よりかは……よほど凝らない限り、手も出しやすいし、こっちなら基本的に年齢制限はないし」

「いいな。とりあえず、賛同してくれる人間を確保したら、みんなで買いに行こう」

「きっと楽しくなるよ。間違いない」


 勿論村岡と明石はすでに参加確定である。あいつらにはそれぐらいの義務はあるだろう。藤井はどうだろう。猫柳女史には氷川さんから声がかかると思うけど、先日散々に罵られたばかりなだけにもし再会したらとても気まずい。あとは……誰が賛同してくれるんだろうか。とりあえず、当たれるだけ当たってみるしかない。


「そうだな。声をかけて、準備して……あー、あと、期末を乗り越えないとな」

「聞きたくなかった!」


 思わず声を荒げてしまう。期末テスト。何と人の心をささくれ立たせる単語だろうか。全ての不真面目な学生を恐怖のどん底に陥れる、まさに学校行事の悪魔よ。普段から勉強しろという正論がとてつもなく耳に痛く、胸に刺さり、毎度のことであるが自分が如何につまらない、愚かで、小さなダメ学生であるかを否応なく実感する行事である。気を取り直して真面目になることができるような奴もいるだろうが、俺は違う。心底ダメ人間なのだ。……いや、自覚をしているなら直せよ俺。頑張ろうよそこは。


 いやいや、トリップしている場合ではない。不味い。非常に不味い。期末テストなんてものの存在をすっかり忘れていた。はしゃいでいる場合か俺は。自慢じゃないが成績は基本的にぼろぼろで、赤点すれすれを低空飛行がデフォルトだ。得意科目はそこそこ自信があるが、今回数学と物理は非常に不味い。あんまり遊んでいる場合ではないじゃないか。不味い。今が6月の半ばだから……あと二週間近くもすれば期末か。そうか、俺はアホだ。


「何だ、自信がないのか君」

「ないです。……しまったなぁ、不味いなぁ」

「……どうやら、勉強会の開催が先に必要みたいだな」

「教えて頂けるんです?」

「友人の勉強に付き合うのも楽しいだろう。それに、私は私で英語が不安でね」

「……なるほど。協力しましょう」


 これなら首の皮一枚つながるか。勉強会。これなら呼びかければ、少なくともサバイバルゲームに誘うよりは遥かに集まるだろう。こればかりは藤井を逃すことはありえない。捕まえて何から何までゲロらせなければならん。


「楽しい夏休みを迎えるには、テストは何としても乗り越えんといけないな」

「補講、補講で前半潰れたらたまったもんじゃないですからね……」


 実際、去年の夏はそんな感じだった。7月の半ば過ぎぐらいまで補講でもっていかれていたはず。あと親にもとんでもないぐらい怒られた。今ではそれなりに反省している。……反省して、テスト目前で慌てる体たらくなのかと詰られてしまうと、もう俺は縮こまるしかない。仕方がないだろう。ダメな男は勉強もダメなんだ。放っておいてくれ。


「二学期の中間じゃ、同じ轍を踏まないようにしないといけないね、君」

「肝に銘じておきます……」


 くつくつとからかうような、愉快そうな笑われ方をしてしまう。さっきの事といい、笑われてしまうばかりだ。しかし、これは大変なことな気がする。半年で、彼女を俺に惚れさせるなんていうのは、非常に厳しいのではないだろうか? 少しは格好のつくようなところを見せねばならないだろうが、俺のようなダメ男に何ができるというのか。


 結局のところ、その問いの答えは出ることがなく、氷川さんとはそれから他愛のない会話を少しして、適当にお開きとすることとなった。といっても、道は結局ほとんど一緒なので、帰りも何かおしゃべりをして、家の前で別れたのだけれども――。


「それでは明日、学校で会おう」

「そうだね。またね、氷川さん」

「ああ。またな、三井君」


 夕焼けをバックに、微笑みながら手を振って去る彼女の姿は、とんでもなく絵になっており――女の子を評価するにあたって妥当なのかどうかわからないが、とても、格好良く見えたのだ。この人には、きっと敵わない。そう確信させられるような微笑だった。


「いや、だったじゃねえよ。このままじゃダメだよ俺。どうすんだよ」


 惚けながら自室に戻った俺は、頭を抱えて机に突っ伏した。どうすればいいのか。どうすれば向こうに異性として認識してもらえるんだ。それをあと半年程度で。目の前の期末テストに躓いている男がそんな難事業はたして可能なのか。俺は無駄だと知りつつ村岡や明石にメールを打った。勿論返事はそっけないものだ。当たり前だ。そんな相談にすらすら答えられるようなら俺たちは喪男ではない!


「本当に単純で、本当に馬鹿馬鹿しいけど――本当に、好きになってしまったのだものなぁ。絶対ダメだって。モテない男が変な暴走しているだけだろこれ! くそっ!」


 それでも、胸中に湧き上がる気持ちは収まることがなく。それでも、脳裏に彼女の微笑が蘇る。夏の夕焼けを背に浴びる彼女の、その姿を。省みるに、今の自分はどうなんだろうか。何も格好良いところなんてなく、どうすればそう思ってもらえるのかもわからない。こんな時に変に焦ると、どこまでも深く墓穴を掘ることはわかっている。何かせずにはいられないが、何をしても悪手なように思える。


 焦燥感ばかりが募り、結局その日はなかなか寝付けなかった。


 *


 翌朝。俺は死んだような顔で、いつもの目覚ましの時間よりも一時間近く遅れて起きることとなる。なお、無意味な早起きが好きな俺の場合、これでも登校時間に余裕がある。なので、遅刻を心配することもないし、母親にどやされることもない。


「シンジ、あんた何その隈」

「高校生してれば、眠れない日ぐらいあるよ母さん」


 そーそー。こんな寝不足も青春のひとつさ。何しろ俺は恋の悩みで眠れぬ夜を過ごすという、もうテンプレすぎてヘソで茶の沸くような不眠を味わったのだから。もう今晩から眠れないとわかったらエアガンのカタログでも眺めていれば眠くなるだろう。

 そんなわけで、俺の朝はブラックコーヒーに始まる。一時間も遅くおきたせいでいつものようにだらだらした身支度が出来ないのは残念極まりないが、カフェインで眠気を無理やり脳髄の奥へ押し込み、さっさと身支度をする。

 それにしても、月曜の朝から寝不足とは、なんてだらしない奴だ。仕方がない。仕方がないんだと己に言い聞かせ、いつもの時間に家を出る。


「おや、おはよう。なんだ、ひどい顔だな」

「おはよう、氷川さん。なんだか眠れなくてねぇ」


 ――不眠の原因と鉢合わせしたのだから、喜ばしいやら複雑なのやら。ここのところ、彼女は毎回、俺を迎えにきてくれている。「恋仲だろうと友人だろうと、このぐらいは普通だと知った。だから、最初の時とは意味合いが異なるが、やっていることは同じだ」とのことだ。彼女は何も気まずいとか思わないのだろうか。不思議である。


「何だ、そんなに期末試験が恐ろしかったか。だからといって、授業中に寝るなよ?」

「昨日あんなに血の気が引くような思いをしたのに、授業中寝るなんて致命的だよ」

「自覚があるようで結構だ」


 とはいえ、自信はない。朝のコーヒーが習慣になっている俺は、すでに身体にカフェインの耐性ができている。早い話が、コーヒーで摂取できるカフェイン程度では覚醒効果はかなり弱いということだ。どうにか、こうにか。起きる方法を考えて過ごさないと。


 一限、二限を死んだ目で過ごし、三限に突入するころ、俺はさらなるカフェインを求めて、校内の自販機で購入してきたエナジードリンクに頼らざるを得なくなっていた。もってくれ俺の身体。帰ったらすぐに寝てやるからな。俺の成績をこれ以上破壊させるわけにはいかないんだ。この碌に働かない脳みそに少しでも知識を詰めないといけないんだ。テスト前の授業がとんでもなく大事なことぐらい俺にもわかっているんだよぉーっ!


「……お、おい。三井。大丈夫かお前。朝よりさらに隈がひどいぞ」

「大丈夫だよ村岡。明日になったら元通りだから……」


 そう。明日からなら元通りになるさ俺は。ただ昨晩は青春を楽しみすぎただけだ。その代償がこれっていうだけだ。大丈夫、眠い時、辛い時に俺にはカフェインがいる。


「こいつバッドトリップ寸前だな。……うお、熱っぽいぞお前。おい、明石、明石。こいつ保健室に連行するぞ。このまま3限受けさせたら4限まで持たずにぶっ倒れるぞ」

「ばかだなー、みーつーい。こどもじゃねーんだぞー」

「おいばか、俺は平気だ。変な気を回すな。離せって」


 しかし、俺の主張は聞かれることもなく。満足な抵抗ができぬまま俺は保健室に連行された。若干の発熱が認められたことで俺は薬を飲まされ、ベッドに放り込まれた。こんなことをしている場合ではない。3限は物理なんだぞ……そう叫びたかったのだが、ひとたび横になってしまうと、薬のせいもあるだろうが、呆れるほど早く意識を手放してしまった。もっと意識を強くもてる子になりたかったです。


 *


 目が覚めた時、俺は驚くほど気分の回復を感じた。やっぱり人間、寝ないとダメだね。今何時なんだと思い視線を彷徨わせたが、時計なんてない。当たり前だ。保健室のベッドなんてカーテンで区切られているんだから、時計が見える範囲にあるわけないのである。

 感覚では、そこまで長い間昏倒するように寝ていたわけじゃない。最悪4限まで寝てしまっているかもしれないが……。


「先生。三井君はどうですか?」

「あら、氷川さん。寝不足で無理に起きて授業を受けていたから熱を出したってだけだから、起きたらもう動けると思うけれど。5限には普通に出れるでしょう。このぐらいで早退なんかさせてやらないから」

「それは本人もそう望むでしょうね。起こしても大丈夫でしょうか」

「そうね。いつまでもただの寝不足君をベッドに入れていたくはないから、連れて行ってあげて。もうお昼休みなんだし、これ以上眠っていたければ教室で寝るのね」


 ……などと、会話が聞こえてきた。どうも氷川さんが心配して様子を見に来てくれたらしい。ありがたいような恥ずかしいような。いや、恥ずかしさの方が大分強い。あとで一人で教室にいくから、先に行っていてほしいとも思うのだが……。


「おい、起きているか。君」


 有無を言わせぬ言葉の響きと共に、カーテンが開かれた。半身を起こしていた俺は、力なく、誤魔化すように笑う。笑うしかなかった。


「まったく。なんで眠れなかったのかは聞かないでおいてやるが、そんなにふらふらならどうしてもっと早く誰かに言わないんだ。それで倒れたら馬鹿馬鹿しいだろうに。村岡と明石の奴に感謝するんだぞ」

「返す言葉もございません。勿論あの両名には感謝しております」


 保険医からの早く出ていけという視線を背中に浴び、何か不満げな彼女に返事を返しつつ保健室を出る。しかし、こんな俺を友人だからという理由で心配してきてくれるとは、やはり氷川さんは優しい。格好良いだけでなくたまにかわいくて心優しいとか欠点が見当たらない。よくアニメのヒロインを天使と騒ぎだてるのがSNSで流行っているが、少しその気持ちもわかったかもしれない。天使っているんだな。


「まったく……。ほら」


 ため息と共に、氷川さんは二冊のノートを差し出す。……おや、これは3限の物理と4限の現文のノートなのではないか。もしかして貸してくれるのか。


「明日の朝には返すんだぞ」

「ありがたく。………ところで、氷川さん、お昼はまだかな」

「4限が終わってすぐにきたからな」

「……一緒に食べない?」

「心得た。大丈夫だ、知っているから」


 ノートを受け取りつつ、どさくさに紛れて昼食に誘ってみたが、うまくいった。起きた直後で少し寝ぼけているからできたのだろう。普通なら照れとか気後れのせいで絶対言い出せない。いやぁ、言ってみるもんだ。……ん?


いやしかし、知っているって、何だろう。


「こういう時は、屋上で食べるんだろう?」

「あ、ああ。そっか。そうなのかな……?」


 すごくワクワクした表情で言われてしまった。ウチの学校、屋上って解放されていたっけかな。そんな用のないところに足を踏み入れたことがないから、勝手がわからない。……いや、しかし、まだ6月とはいえ十分に暑いのにわざわざ……。


「……む、ダメだろうか」

「いやいやそんなことはないよ。いこっか」


 残念そうに言われてしまっては勝てない。とりあえず行くだけ行ってみるかと屋上に行ってみたが、何と本当に鍵がかかっていない。今どき珍しいらしいが、ウチはその珍しい学校の一つだったらしい。ラッキーと思うことにしよう。


 思っていたよりも気温は気にならない。風が吹いているからだろう。いや、それでも照り付ける太陽はなかなか強烈だけれども。しかし俺は思う。こんな夏の日を、俺はあとどれだけ過ごせるのか。三年生になってしまったときにこの陽光を、今日と同じように思えるだろうか。その先はどうなる? 大学生になったら? 社会人になったら? ……やめよう。未来のことを想うと、わけもなく不安になる。


「案外、殺風景なものだな。屋上というのは」

「転落防止フェンスがあるし、むき出しの室外機。まぁ、あんまり……」


 そういいつつ、氷川さんはフェンスまで歩き、そこからフェンス越しに見降ろした。それからぐるりを見渡して、一段高くなっているそこに腰かけた。


「まぁ、屋上そのものより、屋上から見える風景はなかなかだ。お昼にしよう」

「いい具合に晴れていてよかった。そうしようか」


 そういうわけで、自分も隣に失礼してカバンから弁当を取り出す。いやしかし、村岡も明石も、わざわざカバンまで保健室に放り込んでいったわけで。早退すると思ったのかもしれない。やっぱり後で礼を……いや、今メールでもいれておくか。


「……言い出しておいて、あれなんだがね」


 氷川さんが何事か言いにくそうにしつつ、可愛らしい包みに入ったお弁当を取り出した。……なるほど、そういうところはやっぱり女の子しているのだなぁ。男から見ると、それは本当に食事と呼んでいいのだろうかと悩んでしまうような小ささのお弁当をもってくる女の子は多いが、彼女もその例に漏れなかったようだ。……おなかすかないのかな。


 何か気まずそうな彼女は、一旦言葉を区切り、こちらに向き直る。そして一言。


「やっぱり暑いな」

「そうでしょうとも」


 案の定、である。このひと、賢そうに見えても実はそんなことはないのでは。


「いや、まぁ、いいんだ。風も出ているしな」

「そうだね、食べようか」


 なお、俺のお弁当はありがたい母親作である。世の中には自分で作る料理男子がいるという噂だが、そんなのは空想上の存在ではないだろうかと思っている。一度試してみればわかるが、あんなもの、やってくれる人がいるなら絶対投げるぞ。ちなみに、中身は面白味のない海苔弁当である。うははは。今日は上に乗っているのがきんぴらだけだ。まぁいいか。状況的に、凝ったものを食える精神状態でもない。


「何というか、大きさの割にシンプルだな君」

「氷川さんのは小さくても凝っているね」

「別に、昨日の夕食の内容を詰めなおしただけだよ」


 この口ぶり、さては普段からお料理をしているのでは。いつか彼女の手料理を食べてみたい。やっぱり、見た目通り得意料理は和食なのだろうか。お弁当も和風のようだし。


「……君が期待していることはわかっている」

「あれ、声に出てた……?」


 だとしたら恥ずかしい。食い物を恵んでくれと訴えているも同然じゃないか。うん、あれ? そうだとしたら「わかっている」などという表現は適当ではないような。


「もしも恋仲になったならば、『あーん』と呼ばれることをしてみたいのだろう」

「……はい?」

「恋仲の男女はお互いに食べさせ合うという習性があるのだろう。知っているとも」

「いやそういう人がいるのは知っているけど、習性って」

「あれはどういう本能に因るものなのだろうなぁ。不思議だが、その身になればわかるのだろうか。君、期待しているよ。私はまだ恋が何かも知らないからな。ぜひ君に『ぞっこん』になってみたいと思っている。不思議な語感であるよな、『ぞっこん』」

「ああもう何と答えればいいものやら」


 というかなんだ。俺はそれを聞いてどんな感情を抱けばいいんだ。というかそんなことを言われると、喪男の俺は『脈ありなのでは?』などとはしゃいでしまうという、死ぬほど恥ずかしいうえに悲しい習性をもっているのだから、控えてほしいところだ。モテない男は少し優しくされただけで惚れるんだもんな! 明確に認識したのは目の前の氷川さんが初めてだけど、考えてみれば何かはしゃいだような記憶があるような、ないような。


 俺のそんな悶絶、というか困惑を知らないように、氷川さんは「そうそう」と話題を切り替える。会話のジェットコースターかよ。


「それで、勉強会のメンバーなんだが」

「あれ、もうそっちは集まったんだ。こっちはまだ声かけてもいないよ」

「君は寝ていたわけだからな」

「それを言われると」


 とりあえず、村岡と明石は話してはいないものの、参加は確定している。あいつらだってまさか嫌だとは言わないだろう。成績低空飛行トリオなんだから。旧喪男会議において、成績優秀者と言えそうなのは藤井の奴ぐらいだ。ああそうだ、あいつは確保しないといけないんだった。最悪三人で拉致りにいかねばならない。この前のことで若干の対立姿勢を見せた猫柳女史への備えも必要だろうか。何としても奴は確保せねば。


「とりあえず、春野と青葉が参加に了解してくれた」

「あの二人ですか」


 春野都子、青葉桜。二人とも、それなりの有名人である。前者はポジティブな、校舎はネガティブな有名さではあるが。いや本当に、八木東高校の二年生の中でも飛び切り濃い女子を集めたものだと感心してしまう。省みるに男共の冴えなさといったら。


「そっちは誰かアテはないのか」

「村岡と明石は来てくれると思う。あと、藤井は確保予定といったところかな」

「男4の、女3。まぁ、見合いでもあるまいし、7名もいれば十分か」

「そちらは、サバイバルゲームにも参加してくれるんで?」


 あんまり、女子ではいそうですかと参加してみようと考える人はいないんじゃないだろうか。最近は女性プレイヤー人口も増えてきたとはいえ、じゃあ高校生女子がやってみたがるようなスポーツなのかといえばそうでもないような気がする。

 氷川さんは眉間を揉みつつ、多分……と前置きして答えた。


「……案外大丈夫じゃないか? 春野はもともとスポーツ好きな性質であるし、青葉は青葉で、何か少しは派手な動きで発散させないと、次に何するか……」

「やっぱり危険人物扱いかあの人……」


 青葉桜。彼女は、少しばかり愛が重い女性として有名だ。普段は内向的で弱気なぐらいなのに、スイッチが入るととたんに人が変わってしまう……勿論、俺がその『豹変』を目撃したことはない。ないが、その噂は校内に広く知れ渡っている。


「……ところで君、食が進んでいないようだが、やはり体調が優れないのか」

「あ、ああいや、そういうわけでなく」


『豹変』する危険人物の話をこれ以上続けるのを嫌ったのか、多少誤魔化す意味も込めてなのだろうが、彼女はまだ半分ほども残っている俺の弁当に視線をやり、どこか心配そうに尋ねた。まぁ、たしかに、量が違うとはいえ、女の子より食べるのが遅いのは少し変だろう。氷川さんが特別早食いというわけでもないのだから。

 しかしそれは話に夢中になっていたという単純な理由ばかりでもない。海苔と醤油に飽きたというか。氷川さんの食べる姿を見る方がよかったというか。まぁそういうことなのだ。それを誤魔化すようにかきこんで、お茶で流し込む。行儀の悪さは気にしない。


「ああいや、別に急かすつもりもなかったんだが」

「ほ、ほら。どのみちもう少しで予鈴だし。食わないで5限6限過ごすのは厳しいし」


 男子高校生というのはいつも腹が減っている生き物である。食える時に食っていなければ5限と6限はとてもじゃないが戦えない。いやしかし、今の少し心配するような眼差しはなんだか嬉しくなってしまう。何て単純なんだろう俺。


 予鈴が鳴る前に戻り、その後はどうにか普通に授業を受けることができた。ちゃんと寝てちゃんとご飯を食べることが学業においても大事なことなのであるなぁ。ふと1限の数学と二限の英語のノートを見返したのだが、ものの見事に象形文字と化していた。これはひどい。英語なんてアルファベットどころかフェニキア文字と言っても通じるかもしれないという有様であった。これは授業に参加したというカウントをしていいのかどうか判断に悩むところだ。いやそうじゃないよ。テスト前なんだよ俺。


「お前、5限始まる前に戻ってきたと思ったら今度は色つやいいな……」


 放課後、村岡に呆れたように話しかけられた。今回ばかりはこいつらに感謝せねばなるまい。いやまさか、たかだか一日ろくに寝てないだけで熱まで出るとは思ってもいなかったんだよ。それとも俺の信頼するカフェイン君のせいだというのか。


「保健室のベッドで授業二コマもぶちぬいて寝ていたらそうもなるだろ。しかし村岡、俺に数学と英語のノートを貸すつもりはないかね」

「いやそれぐらいはいいが、頼む相手が他にいるんじゃないのか」

「氷川さんの事か」

「むしろ他に何がある。お前にできることは何かと用を見つけては彼女と接触を繰り返し、適当にイベントをこなしてエンディングに行くことだろうが」

「そんなゲームみたいな単純に考えてくれるなよ。……あ、イベントといえば、お前、今度期末テストに向けて勉強会をすることになったんだが、来るよな?」

「おお、丁度いいな。……で、氷川がくるのか?」

「春野と青葉も参加するそうだ」

「……濃い面子だなぁ。明石がスケープゴートになってくれりゃいいんだが」


 いや本当に、想像してみると胸やけしそうな程濃い面子だ。男共の薄さが目立ってしょうがない。いやこれで、男も変人奇人集めました、だと取り返しのつかないことになりそうな気もするが。とりあえず、明石という変な奴がいるので、俺らからは彼が代表ということにしよう。……あいつじゃ防風林にもならん気がしないこともないが。


「俺がどーしたってー?」

「今度の勉強会にお前も来いよという話だ」

「おー、たーすかーるぜー。いーくーよ」


 よし、もとより心配はしていなかったが、とりあえず村岡と明石を付き合わせることに成功。あとは藤井だが……おや、もういない。すぐに部活に顔を出したとみえる。もう少しで部活動停止期間だものな。時が惜しくなる気持ちもわかる。メールしておこう。


「……よし、ならお前はもう帰れ。な?」

「何だよ村岡。お前らは何かあんのか?」


 ため息をつきながら村岡が俺の肩を叩き、つんつんと指で俺の腹をつつく。何の仕草だ気持ち悪い。……ああ、振り向けって意味か。なんだろう。


 ――そこには、何やらそわそわしてこちらの様子を伺う氷川さんの姿があった。なんだろうあの可愛い生き物は。身長とのギャップがたまらない。ただうすらでかいだけの村岡とは天と地ほどの格の違いというものが……。あいた。


「け、蹴りやがったあいつ……」

「大方失礼なことを言ったのだろう」


 蹴りだされて氷川さんのところに誘導されてしまった。村岡はわざとらしくため息をついて教室から出ていき、明石もそれに手を振りながら続いた。


「……帰ろうか?」


 俺は誤魔化すように力なく笑いながら提案し、氷川さんは力強く頷いた。三人で話していたから割って入りづらかったのだろうか。見た目より繊細なんだなぁこの子。


「心得た。そうだ、知っているかね。友人関係だろうと、恋仲なのであろうと、帰り道には寄り道の一つするのだそうだ。君はあの村岡や明石と散々やっていることなのだろうがね、私はやったことがない。君さえよければ、どうだろうか」

「……えーと。そうだな、じゃあ、喫茶店にでも入ろうか」

「買い食いというやつだな。面白そうだ」


 まさか、わくわくとした様子で寄り道を提案する彼女に『真っ直ぐ帰ろう』などと言えるわけもなく。……喫茶店に入ってお茶なり、軽食なりを食べる行為が『買い食い』なのかどうかの判断は俺にはしかねる。多分違うんじゃないかなとも思う。


 *


 とりあえず、パンケーキを食べて嬉しそうにしているところを見計らって数学と英語のノートを貸してもらえるように頼んでおいた。上手くいった。


 *


 家に帰り、メールを確認する。藤井は勉強会には参加するが、サバイバルゲームには不参加だそうだ。恐らく夏休みは猫柳女史に連れまわされるイベントが待っているのだろう。まぁいい、あいつを勉強会に呼び寄せることができただけでもこちらの目論見通りというものだ。少なくとも、赤点は回避できるだろう。……ああそうだ、今日借りたノートを写さねばならない。四コマ分のノートを写すのはなかなか骨が折れる作業だが、こなさなければ困る。まったく、テストなんてものは学生の大敵であることだなぁ。


 作業を開始してから数分、落ち着かないことだが電話が鳴った。氷川さんからだ。何かあっただろうかと思いつつ、ハンズフリーにして電話に出る。


「私だが、今大丈夫だろうか?」

「まぁ。大体は」


 勉強しているというよりはコピーしているのだから、多少気が散っても問題ない。……うん? コピー? ……コンビニでコピーをとればいいだけの話だったのでは? おや、とてつもなく久々に机に向かっているこの作業、実は無駄?


「別に何か用があるわけじゃなくてね。迷惑でなければいいのだが……」

「……いえいえ、氷川さんの声が聞こえるのであれば、迷惑だなんてとても」


 ふ、どうだ。今度はコーヒーカップを握っていないから、無理矢理何かクサい台詞を吐こうとしているとはわかるまい。やろうとしていたノート取りが実は無駄なんじゃないかという自棄から実行したともわかるまい。


「声を震わしてまで言いたい台詞だったかね、それは」

「男なら、映画の登場人物を気取って格好つけてみたくなる時があるんです」

「……それが今かね?」

「正気でやれる挙動でもないですからね。俺は今正気じゃないのです」


 うん、決めた。あとでコンビニにでも走ってコピーしてこよう。これも効率化だ。代わりに公示されたテスト範囲でも眺めることにする。……うお、難敵揃い。


「そうか。じゃあ私も正気でないから言うのだが……」


 何やら向こうで覚悟を決めるような深呼吸が聞こえる。なんだ、なんだ。何を言い出すつもりなのか。基本アホなことしかしない、言わない、の俺が言う「正気ではない」と彼女の言う「正気ではない」の間には南極のクレヴァスよりも深く長い溝が横たわっている気がしてならないぞ。それを今、電話で何をカジュアルに。


「君には感謝している。君はあの時、悪ノリで私に告白したと言ったが、いつまでも気に病まないで欲しいんだ。結果として得た君との気安い関係が、とても楽しい。だから、変に恰好をつけようとしなくていい。……その、ありがとう。どうかこれからも頼む」

「え、あ。……こ、こちらこそ」


 思わずしどろもどろに反応してしまうが、これは『そういうこと』と捕らえていいのだろうか。これは要するに、脈アリだと、そう認識してもいいのだろうか。いやそれ以外にどう解釈すればいいんだ。誰か教えてくれ。恋愛博士とかいないのか。


「……何を言っているんだろうな。私は。とりあえず、言いたいことはそれだけだ。何をしているか知らないが、邪魔をしてすまなかった。おやすみ、三井君」


 それを最後に、電話は切れた。俺の心に飛来した困惑を放っておいたまま。これは、そういうことでいいのか。彼女からも、程度はさておいておくとして、それなりに好感のようなものを獲得できていて、その延長上に『恋情』があると認識していいのか。それとも、彼女にとっては『友情』の認識しか持てないだろうということの表れなのか。一体どっちなのか。隠せぬ期待と、高まる不安で、頭が茹りそうになる。


そんな中で――頭の、どこか冷静な部分は、ある種の防衛反応なのだろうか。最悪を想定せよと主張する。都合のいいことなどはありえない。今回は相手と状況が特殊だったために、転寝に見た夢のようにふわふわした事態になっているが、それが夢ならば覚めるのみなのだと。過度な期待は身を亡ぼす。過剰な思い入れは心を壊す。これまでと同様に、片足を少し後ろに置いておけと。いつ、不安定な足元が崩れてもいいように。


「初恋は叶わぬものと言いはするが……」


 呟きは虚空に消える。ありえない、と俺の心は叫ぶようだ。それでも、と考えてしまうのは、やはりそれだけ彼女が好きで、それだけ未練であり、はっきりと拒絶されるまで、それでもという考えは改まることはないだろう。恐らくそれが恋心というのだろから。


 それにしても、と思う。せめて、せめて。心を惑わす彼女の言葉の真意ぐらい、もう少し解ってもいいようなものなのに。そうすれば、心のざわめきも、刺すような痛みもきっと減るだろう。しかし――そうはならないから人なのだと思う。


 ――窓を開ける。夜空には、不快な熱気と湿度の中、欠けた月が浮かんでいた。

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