梅雨の恋人達
まだギリギリ梅雨なので、フォルダの奥深くで眠っていた、多分去年の梅雨に書いていたものを御蔵出し。
同じ組み合わせの二人が三連続続くのを嫌って多分投稿しなかったんだと思いますが、まぁ、その、なんだ。
気に入った組み合わせはしばらく続くのは仕方のないことですね?
新しいの書くときはまた新しいキャラクターにしたいですね。
今朝方から降り始めた雨は留まるところを知らず、道路の一部を冠水させるのに飽き足らず、いくつかの公共交通網をも麻痺させてしまった。いくら梅雨だといっても、これでは風情の欠片もない。下校の見合わせを命じる校内放送を聞き流しながら、桜井文則は、本日何度目になるかわからないため息をついた。
人気のない旧校舎の生徒会室では惜しげもなくエアコンが使われ、じめじめとした蒸し暑さから一時的に彼を救っていてくれた。下校できないというストレスを緩和しているのは、ほかならぬこのエアコンのおかげである。他の一般生徒はまず旧校舎に行くという発想すらなく、旧校舎に部室がある者もわざわざ一階の隅にある生徒会室に行こうとする者もいない。であるので、雨が弱まって下校できるようになるか、学校側が已む無しと判断してタクシーでも呼ぶか、両親が車を出してくれるのを待つ間というのも、それほど苦にはならなかった。なので、彼は怠惰にも机に突っ伏して、睡魔への抵抗を諦めようとしていた。瞼がゆっくりと重くなり、早々に意識を手放そうとしたところ――。
「居眠りは、感心しませんよ」
ほっそりとした、穏やかな声が彼を咎めた。彼は鬱陶しそうにしながら、やれやれとばかりに上体を起こした。彼はその声の主、即ち自らの恋人である柳井氷雨にどうあっても勝つことはできないので、はいはいと言う事を聞くしかない。そんな調子でばかりでも面白くないので、彼は軽口と減らず口でいつも応戦しているが、今回もそんな風に振舞った。どうせやることもないのだ。
「居眠りなんかじゃ、ありません」
「なら、どういうつもりですか」
眠い眼を擦りながらする彼の減らず口に、彼女はやれやれといった風に応じた。それから彼は小さく伸びをすると、いいですか、と前置きをし、咳払いまでして、如何にも大儀そうに話し始める。さながら政治家といった風情で、だ。
「大体、居眠りというのは何かせにゃならん状況で寝るから居眠りというのです。であるなら、僕は今何かすることがあるわけでもないので、居眠りではなく仮眠というのです。なので、どうかお気になさらず」
どうだ、といわんばかりの彼の態度に、彼女はしばらく呆れたような、感心したような素振りをしていたが、このような答弁をする政治家に対してしばしば識者がするように、彼女は指を立てて反論する。
「ははぁ、なるほど。しかしですね、文則君。あなたは一つ思い違いをしています」
こう切り出され、彼も思わず神妙そうな顔つきになる。どうせ着地点に何か意味のある問答になるとも彼は思わなかったが、どうせすることもないのだという気持ちが彼を僅かに役者にしていた。なので、ふてぶてしい態度を崩さずに彼は返事を返す。憎たらしい政治家程、どっしり構えているものだ。
「なるほど、聞かせてもらえますか、氷雨先輩」
腕を組んで、余裕ありげに彼は氷雨に話を続けるように促した。気分は小狡い弁護士か、さもなければ上っ面だけ立派なディベートサークルの学生だ。
「つまり、あなたにはすることがあるというわけです」
それを受けて彼女は、指を立てて言葉を続ける。こちらは、彼とは違って説得力というものがある振る舞いであった。彼が姑息な小悪党なら、彼女はそれを破る正義の人か。論じている内容に、そこまで意味はないにしても。
「まさか、この雨について号外でも書けというわけですか」
「いいえ、それは校内環境部の仕事ではありません」
「では、一体僕がするべきこととは何でしょう?」
「わかりませんか」
「はい。皆目検討もつきません」
「文則君は、鈍いですねぇ」
「それはすいません。それで?」
「要するに、文則君は、恋人である私を構わなければいけません」
「先輩は、甘えんぼうですねえ」
「文則君が、意地悪すぎるんです」
案の定、ろくな着地点ではなかったが、彼はこの掛け合いにも一種の愛着を感じていたので、自分の頬が釣りあがるのをどうしても否定できずにいた。であるので、彼はもう少し続けるべく、態度は崩さずに言葉を重ねる。
「それなら、どう構えばいいでしょうか」
「少なくとも、眠ってしまう以外のことではないでしょうか」
「少し漠然としていますね」
「何かしなければならないと考えるから、難しいんです」
「そうは言いましても、何かしなければ構うことにはならないのでしょう」
「文則君は、頭が硬いですねぇ」
「先輩が、難解すぎるんです」
他人が見ていれば砂を吐きかねないやりとりであったが、当人達は楽しげであった。彼はわかったわかったとばかりに肩をすくめ、ゆるゆると首を振った。
「都合よく、二人きりですものね」
「ようやくわかってもらえましたか。文則君」
彼は、論破したといわんばかりの彼女にゆっくりと近づくと、指先でくいと下顎を持ち上げて、もう片手で髪を撫でた。彼らしからぬ大胆な行為に、彼女は目を白黒させて、先ほどまで湛えていた精神的優位などは音を立てて崩壊した。
「ふ、文則君?」
「構えと言ったのは、氷雨先輩じゃないですか」
「確かにそうですけど、そんな、急にどうしたんですか」
「先輩が一番かわいい瞬間は、余裕が崩れたときですから」
「それは一体どうい――」
抗議の声は、唇によって無理やりに閉ざされた。手をばたつかせて抗議なのか抵抗なのかわからぬことをしばらくしていたが、その手はやがて彼の背にへと回された。一度受け入れてしまえば、形容しがたい浮遊感が漂い、唇を通して生気でも吸われているのではないかと思う彼女であったが、勿論文則という少年がプレイボーイというわけでもなんでもないので、単に彼女も経験不足というだけである。
『電車の運行が再開されました。校内に残っている生徒は十分注意の上、下校してください。道路は以前一部冠水しています』
校内放送が入ると、二人は驚いて飛び退いた。なんだかんだいって二人共に小心者なもので、決まりが悪そうにお互いに視線を合わせると、それが妙に面白くて笑い転げた。ひとしきり笑った後、彼は仕方ない、と肩をすくめる。
「だ、そうです。帰りましょうか、先輩」
「そうですね。そうしましょうか、文則君」
外を見れば、弱まったというのはどのぐらい前と比較してのものなのかわからないぐらいざんざんに振っていたが、相合傘で密着できる口実ぐらいにしか二人は思わなかった。付き合い始めてから日がたち、すでにその事実が露見している今、誰かに見られて恥ずかしいというのは今更である。
「梅雨も悪いばかりではありませんね」
お互いに身を寄せ合い、それでも互いに半身を濡らしながら、彼女はクスクスと笑いながら、そんな風に呟いた。彼は気のない返事をしつつ、傘をどれぐらい傾ければ自分の許容範囲内に納めつつ、彼女を濡らさずにできるかという静かな戦いを行っていた。
「すぐにそんな暢気もいえなくなりますよ」
「どういうことでしょうか?」
「何って、ぼんやりしていたらそのまま梅雨なんかあけますから。夏は暑いですよ。
ええ。僕は断然冬派ですからね」
「今から、お日様の心配ですか?」
「毎年、夏なんてこなけりゃいいと思ってますよ」
丁度いい位置を見つけた彼は、濡れながらもぶっきらぼうに話す。先ほどより濡れなくなった彼女が、どうやらそういうことだとわかると、それが妙に愉快であったので、ただでさえ密着して暑いぐらいなのに、さらに彼にへとひっついた。
「そこまでされると歩きづらい上に、流石に視線がですね」
「ああ、いえ、文則君が、どうしてもかわいかったので」
「男がもらう評価としては、とてもじゃないが喜べないですね」
「いいじゃないですか。それに、今年はきっと、文則君も梅雨明けが待ち遠しくなりますよ。間違いないです」
「はぁ。夏休みがあるから、なんてつまらんことは言わないでくださいよ」
駅が見えてきたところで、流石に人通りも増えてきた。そこには勿論同じ学び舎の生徒も混ざっている。中には知人もいただろう。今さら隠すことではないにしても、公衆面前の中ここまでベタベタとするのはどうなのだろうか、と彼は不安そうにあたりを見回した。それを茶化すように、彼女は彼の頬をつつく。
「夏休みに、きっと二人で海にでもいきましょう」
「あまりにお約束ですが、まさか、僕が海を好きなタイプに見えますか?」
「私の水着が見れますよ」
「ははぁ。なるほど。ところで、今から二月程スポーツジムに通うとして、どれぐらい効果があると思いますかね」
「冷静に混乱してますねぇ、文則君」
「それほどでもないですよ、先輩」
なるほど、これから訪れる本格的な夏も悪くない。暑気にはまさか負けぬだろうと、彼には悲しいまでに素直なやる気が満ちた。そんな様子は脇から見ていれば筒抜けというもので、また彼女はクスクスと笑う。
「わかりやすいですねぇ、文則君」
「放っておいてもらえますか、先輩」
これは、またしばらくは彼女の優位を崩すのは無理だろうなと、彼は力なく笑った。所詮男なんて、単純なものさとぼやきを零しながら――。




