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続・手芸部の恋人達

茶子さんは猫又ではなく、マカーブルも存在しないパラレルの手芸部です。

 私は今幸福だ。それは間違いない――いや、そのはずだ、と私は何度目かの自答を、ここ、手芸部部室において行っていた。後輩の男の子と二人で活動していた小さな部活動は、何だかんだとそこの男女を結びつかせるに至り、その名の通り正しい活動を行うようになった。愛が生まれ、活動内容はおおむね正常化した。素晴らしいことではないか、と私はパッチワークなんかをやりながら、傍らのその彼を見やる。


 私よりも小柄で、口が達者な彼だが、本当に手芸が好きらしく、柔らかな微笑みすら湛えて針仕事にいそしむ姿は何だか可愛らしい。その彼が今や私のものだと考えると、胸の奥が熱くなるようですらある。なるほど私は幸福に違いない。

 ただし幸福というのは麻薬の親類に他ならない。耐性ができ、中毒性がある。人間は必ずしも自分が幸福になりたいわけではなく、他者の幸福が我慢ならないだけだと断じた愚か者がこの世には存在するらしいが、あれはもちろん不正確だ。人は幸福になりたいに決まっている。しかし、足ることを知らない。より強い幸福を求める。そこに、幸福そうな誰かを見つけたならば、それをよこせと辻褄の合わない事を言い出すだけなのである。まるっきり麻薬と同じだろう。……であるので、私は今その段階にいる。禁断症状とでも言うべきか。思わず手も止まる。


「なあ、文也君」

「なんですか先輩」

「先輩呼ばわりはやめんか。愛しい恋人に対してそっけなさすぎる」

「構ってほしいからと邪魔をするのはいただけませんね」

「冷たいやつだな……」


 これこの通り、彼の対応は氷のようだ。寂しくて涙の一つもこぼれてしまいかねない。彼の少ない趣味の一つ邪魔をしてやるのは野暮だろうというのは理解しているのだが、少しぐらい相手をしてくれてもいいんじゃないかと思う。編みぐるみの量産をして何がしたいのかいまいち真意を掴みかねる。


「私を放ったらかしにしたら後悔するぞ」

「脅迫までしないでくださいよ」


 まるで本気にしてくれん。少々癪なので、後悔させてやることにする。こういう時は、けれんが大事だ。まだ日が高いので、日が沈みかけるあと一時間程まで、表向きは真面目に針仕事をするそぶりを見せておこうではないか。その頃には、彼も手を止めて帰り支度をするだろう。油断しきったそこが彼の命取りというわけである。


 ――


 条件は整った。橙色となった太陽がここを蜂蜜色にする。私は小さく伸びをして、ここまでにするか、と呟いて帰り支度を始める。彼は横目で私を見て、そうですねと返事をしてから、手を休ませた。まだ目線は手先にある。私はそれを確認して、窓際に立って、夕陽を背にした。――ブレザーのボタンを外し、タイを緩めて――。


「なぁ、文也君」

「なんです? あ、もう片付けるから、帰りま……」


 こちらを向いた彼の言葉が止まった。私はブラウスのボタンを胸元まで外していたからだ。小さく見え隠れする下着はなかなか刺激が大きいだろう。


「な、なんて恰好をしてるんですか!?」

「そりゃあ、私に意地悪ばかりだからだよ。言っただろう、後悔すると」

「だからって何も脱がなくても!」


 彼の見ている前で、私はそのままブラウスのボタンを外していく。ついに下着が丸見えになったところで、私は彼に一歩ずつゆっくりと近づいて行った。彼は雰囲気に飲まれたのか、何もできずに後ずさる。実に可愛らしくてよい。


「誰も来ることはないだろう。我慢することはないのだぞ、文也君」

「あの、が、学校では……いくらなんでも……」

「構うことはないさ。繰り返すようだが、ここには私たちしかいないんだ」


 にじり寄り、彼の背中が壁に当たる。私は彼の腕をとって唇を近づけ――額にキスをくれてやる。唇を奪われるものと思っていたらしいかれはきょとんとした顔で見上げた。


「……期待したかね?」

「ば、馬鹿なことを言わないでください!」

「意地悪されたからな。お返しだよ。辛抱たまらんというなら責任は取るが、そんな情けないことをする文也君でもあるまい?」

「う……」


 赤面して黙り込んでしまったので、私は背を向けて服装をただす。少々刺激が強かったらしい。当たり前ではあるが。


「これに懲りたら少しは構ってくれたまえよ」

「……そうですね。先輩を痴女にさせたくはないので」

「先輩呼ばわりはやめろと言ったろう。ほら、帰るぞ」


 立ち直ったような口ぶりだが、まだ動揺は解けていないだろう。私はしてやったという達成感で、上機嫌で彼の手を取る。今日は殊更くっついて帰ることにしよう。道中、さぞあたふたしてくれるに違いない……と、思っていたところ。


「これじゃ歩きづらいよ、茶子」


 ――とんだ不意打ちを食らってしまったのだった。


 返事も返せず、やられてしまったのには違いはないが――どうしようもない幸福感に包まれて、何とも言えなかった。

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