絵本部の恋人達
これを書いたのは大分前になるんですが、このカップルは小さくてかわいい組み合わせというコンセプトがスタートだったはずなんですが、見返すと「ムッツリスケベなカップル」ですね。
僕、秋川秀一には恋人が居る。丁度去年の秋。文化祭を終えた打ち上げの日、僕達は結ばれたのだ。お互いに異性恐怖症を抱えていたが、絵本部の結成と、二人でお話を作り上げていったことで僕達の距離は縮まっていった。しかしながら、お互いに異性への苦手意識は完全には払拭できずにいる。お互いが特別なだけで、周囲を見る目は多少の軟化に留まったからだ。それでも、僕達にとっては大きな改善である。何しろ、それまでは異性というのは何か、非常に恐ろしい悪魔と殆ど同義の存在だったからである。それが、どうしてまた二人で絵本を作って、付き合って、スイーツめぐりなんてするような仲になったのか、自分でも良くわからないのだが、好きになってしまったものは仕方ないのだろう。
「どうしました。秋川君」
「いや。感慨深いなぁ、と思って」
学校近くの、僕達の行きつけの喫茶店『ジュピトリス』そこに僕らはいつものように訪れていた。ここはアニメ好きの店長が何やら色々なロボットのプラモデルを飾っている割に、味は飲み物も甘味も両方優れているという、何だか妙な店だ。そのため、特にその手の知識がない僕の恋人、冬森雪花も気に入っている。僕も別段ロボットアニメが得意というわけでもないが、少しぐらいなら見知ったものもある。……だから何だということでもないが。それに、変に知識を持ち合わせていると店長のロボット話につき合わされそうだ。今は、恋人同士の時間である。僕は不思議そうにしている彼女の顔を、何だか暖かな気持ちになりながら一瞥して、それを隠すように紅茶を口に含んだ。本当はもっとまじまじと見ていたいのだけれど、あんまり人の顔を覗きこむというのは行儀がいいものではないだろう。……余計彼女を困惑させてしまうだろうし。
「……ああ。そうですね、もう、丸一年になりますか」
「今年の絵本も人気が出てよかったよ。春野さんのおかげだね」
「夏原さんも、良く協力してくれたと思いますよ。本当、いい人たちです」
春野都子、そして夏原智一。共に僕達の善い友人だ。こんな調子の僕達を補佐し、同じ絵本部の仲間である。彼らは僕らのお話作り以外の仕事を手伝ってくれるし、学校で人気の高い春野さんはいい広告塔になってくれるし、夏原はその見た目の屈強さで力仕事からトラブル解決までカバーしてくれる。本当に、いい人たちなのだ。
「まぁ、僕達から見れば、進んでいるのが恐ろしいところなんだけどね」
「普通の恋人というのは、ああも進んでいるのでしょうか」
そして、彼らもまた恋人同士である。まさに美女と野獣のような組み合わせなのだが、学校では『妙に納得行く』カップルとして有名である。美女と野獣が、いいムードで、いい場所で二人きりになればやることは一つ――睦事である。別に彼らがそれらを公言したわけではないが、態度というか、言葉の節から何となく周囲は察するのだ。
そして、彼らは僕達が付き合いだした後から付き合い始めたのに、今だ清い関係の僕らを差し置いて、そんなことになっているのである。若者は爛れている。そんな風に僕らは思うのだが、彼らから言わせれば僕達が枯れているのだとか。
「その、秋川君は、やっぱりそういうことしたいですか?」
「それが、自分でも良くわからないんだよね。そんな欲求が無いわけ無い、と考えるとそんなものだろうかと思うし、本当に必要なことなのか、と考えるとそうでもないように感じる。それに、第一、冬森さんを傷つけたくは無くてね」
「私も、その、覚悟は出来ているつもりなのですが、決心が」
「……ま、僕らは焦らなくてもいいはずだ。強制される行為でもないし」
「その内、雰囲気次第、でしょうか」
「まぁ、そんな認識でいいんじゃないかな」
喫茶店でなんて会話をしているんだ、と自分でも思うが、大丈夫。直接的な単語は含んでいないはず。他のお客さんも少ないし、店長は若い店員さんと話しているようだし。うん。平気だ。そもそも、こんな会話をするというのも、それは春野さんと夏原が僕らより先に睦事を経験しているから、という理由だけではなくて、僕達は常々、「恋人らしい行動とは何か」で悩んでいるからだ。僕達を指して、枯れている、とか、恋人らしからぬ、とか、友人以上ではないのではないか、といった評価を、少なからず気にしているのだ。
「でも、私達、これでも結構、恋人らしいことはしていると思うんです」
「そうだね。互いの部屋に出入りできるし、デートもするし、手だって繋ぐ。雨が降れば相合傘もするし、興が乗ればキスだって」
「これ以上を求められても、という気が……」
「そうだねぇ。何がいけないんだろう」
それでも、周囲から見れば僕達には一定の距離がある。それは薄い壁だが、はっきりと両者を隔している。そんな何かが存在するのではないだろうか。……しかして、その壁の正体がわからないのでは、どうすればいいのか皆目わからない。
「――いや、それ以上を求めるんじゃなくて」
逆転の発想だ。足元を見つめてみよう。僕達は何か、一番初歩的なことを踏み忘れたままだという可能性はないだろうか。一塁ベースを踏まずに二塁に走ったとか、そんなちぐはぐなことをしてきていた可能性がある。
「どういうことです? 秋川君」
「まだ考えがまとまってないんだけどね……あ、いや」
わかったかもしれない。僕達を隔てる薄い壁。すでにそれを超えたつもりでいただけのソレ。恋人同士が真っ先に行う重大な行為の一つ。
「――名前だ! 僕達、未だに苗字に敬称付けで呼び合っているじゃないか」
「あ、なるほど……でも」
「わかってるよ。今更名前呼びが恥ずかしいこと、ぐらいは」
散々これで慣れてきてしまっているから、今から変えるというのも何だか気恥ずかしい。でも、恋人を指して苗字と敬称で呼ぶのはいくらなんでもよそよそしすぎはしないだろうか。何となく距離があるような言動ではないだろうか。やっぱり、ここはお互いに名前で呼び捨てにするのが、一番それらしいはずだ。
だから、今こそ、勇気を出して踏み出そうじゃないか。健全な恋人というものを。
「――ユキ、カ」
僕がゆっくりと彼女の名を呼ぶ。すると、彼女はびくりと身体を小さく震わせて、縮めていた身体を正す。それから、少し照れ隠しのように微笑んだ。
「シュウ、イチ……?」
彼女がそう遠慮がちに呟くと、なるほどこれは恥ずかしい。言うときも恥ずかしかったが、言われるともっと恥ずかしい。この羞恥に世間の恋人は耐えているのだろうか。
「慣れの問題だとは、思うんですけどね」
「それも、そうか」
そういうことなら、この、嬉しくも気恥ずかしい期間を楽しんでみるのも、いいかもしれない。ともあれ、これで僕達は改めて恋人として恥ずかしくない道を歩みだしたのである。これ以上のことは、その内どうにかしていけばよいのだと思う。
「こんな状況でなんだけど、好きだよ、ユキカ」
「私もですよ、シュウイチ」
ああ、なんとも、恥ずかしいものだ――。