蒸気と歯車と“二人”の妹
スチームパンクモノを書こうと思って書いたものです。時間を見つけて続きを書いていきたいと思います。
部屋の隅に、一人の少女が立っている。
彼女は何も言わず、微動だにせず、そこに立ち続ける。
暗い部屋の中、彼女の無機質な顔は、ただじっと、一つのものに向けられている。
即ち、ベッドの上に横たわる一人の青年。
年の頃は二十歳を過ぎるかどうかといったところだろうか。幼さが大分抜けたとはいえ、こうして寝顔を見る分には、まだ愛嬌があると言える。
彼女は飽きもせず、ただひたすらその青年の顔を眺め続ける。
机の上に置いてある時計が時を刻む音だけが、部屋を支配する。
やがて、日が昇り、部屋に光が差し込みだした。
その頃になって、やっと彼女は動き出す。
部屋の隅で直立していた少女は、音も無く、未だ眠り続ける青年の横に移動すると、彼の肩に手をかける。
そのまま、青年の肩を、二度、三度と揺する。
「時間です。起床を求めます」
少女の口から、そう、言葉が発せられた。
その表情と同じく、無機質で平坦な声は、少女に感情と言うものを感じさせない。
「……ん、……朝、か」
それでようやく目を覚ました青年は、まだ眠り足り無いとばかりに一つ大きなあくびをすると、隣に立つ少女のほうを見た。
「はい。おはようございます。お兄様」
少女は青年の顔に視点を合わせたまま、そう返す。その目は、じっと青年の目を見つめていた。
「おはよう。毎朝ありがとうな。……アリス。でも、一つ言わせてくれないか」
「なんでしょうか」
青年の言葉に、少女――アリスは無表情なまま答える。
それに大して、彼は苦笑を浮かべ、口を開いた。
「お兄様はやめてくれよ。俺はお前の兄じゃあない」
「それは、ご命令でしょうか?」
表情を変えないまま、少し首を傾けてそう答えるアリスに、青年は、首を横に振って返す。
「いいや、命令ではないよ。お前がそう呼びたいのなら、好きにするがいい」
「感謝します。お兄様」
言葉とは裏腹に、彼女の表情は最後まで変わることはなかった。
階段を下りると、厨房で朝食の準備をしていた一人の少女が、声をかけてきた。
「兄さん。おはようございます。もう少し待っていてくださいね。すぐ用意しちゃいますから」
「ああ、わかった。コーヒーでも飲みながら待っているよ」
今度は、青年が自分のことを兄と呼んだ少女を訂正することは無かった。
それもそのはず、声をかけつつも手を休めることなく食事の準備を進めるこの少女は、正真正銘、彼の妹であった。
「コーヒーですか?それくらいなら、すぐお入れしますけど……」
そう言いながら、調理の手を止め、コーヒーの準備に取り掛かろうとする妹を、青年は慌てて止めた。
「あ、待ってくれエリス。昨日、作ってみたものがあるんだ。試させてくれないか?」
心なしかそわそわとしながら、そんなことを言う兄を見て、少女――エリスはすぐに彼の言うことの意味を把握した。
「新作ですか?最近は失敗作続きでしたけれど、今回は何を作ったんです?」
言葉では非難しているようだが、心なしか楽しそうな声音でエリスは聞く。
「今回のはバッチリだよ。 アリス!No.23を頼む」
青年の寝ていたベッドを整えた後、部屋に入ってきていたのだが、朝と同様、部屋の隅で静止していたアリスが、青年の声を聞いて初めて動き出した。
「了解しました。お兄様」
アリスの言葉を聞いて、それまで楽しげにしていたエリスが急に機嫌を損ねたような声を出した。
「兄さん、まだそれに、お兄様などと呼ばせているのですか?」
また始まった、と思いつつ、青年は苦笑いを浮かべて彼女に答える。
「アリスがやめてくれないんだよ。毎朝やめてくれと言っているのだけれどね。まあ、許してくれ。確かに俺はあいつの兄じゃないが、だからといって兄と呼ばれたところで問題はない。そう思うことにしたよ」
それを聞いて、エリスはくやしげに顔をそらす。
「問題ならありますよ……。あれは兄さんの妹じゃない。兄さんのことを兄と呼んでいいのは――」
「持ってまいりました」
エリスが言い切る前に、階段を下りてきたアリスが姿を現した。
「この話は止めだ。エリス、料理はいいのか?」
「……わかりました。すぐ、用意します」
敵意を含んだ目を一瞬アリスに向けてから、エリスは料理に戻った。
小さくため息を吐いてから、青年はアリスに声をかける
「ありがとう。テーブルの上に頼む」
「はい」
そう言ってアリスが置いたもの――青年の言葉によれば、No.23――は、この世界ではありふれた、歯車と細かな部品によって構成された機械であった。上部と下部に穴が開いており、下部の穴の下に、カップを固定するための台がついている。
「それが、今回の機械ですか?」
そう言いながら、準備を済ませたらしいエリスが朝食の皿を運んでくる妹に対し、青年は誇らしげに答える。
「俺式 蒸気機械――スチームガジェット――No.23!名付けて、全自動コーヒーメーカーだ!」
「そのままじゃないですか。 ……まあ、覚えやすくていいですけど」
自信満々に宣言する兄の言葉に、エリスが呆れたようにいう。しかし言葉とは裏腹に、彼女の機嫌は治っていた。
テーブルの上に置かれた、無骨な機械の台座には、文字が彫られていた。
Edward
青年の名前。製作者の署名。彼――エドワードは、機械技師であった。
エドワードは、自分の作った作品全てに自分の署名を入れていた。
壁際で、継続的に歯車の音を響かせる時計。今の季節には静寂を保っている暖炉。先ほどまでエリスが料理をしていた調理場でも、エドワードの作品が使われている。
そして、No.23、コーヒーメイカーをテーブルに置いた後、再び動く気配を見せず、待機しているこの少女にも。
蒸気機械No.8 機械人形アリス
それが、彼女の正式名称であった。
機械職人としてのエドワードは、有能ではあったが、並外れた才能があるわけではない。
彼が製作する蒸気機械は、質こそ優れてはいるが、決して珍しいものではなかった。
蒸気機関が発達したこの国では、蒸気の力を用いた機械は住民にとってなくてはならないものとなっている。
そのため、彼が作ったもの達と同じ目的で作られた機械も、この国にはありふれていた。
このコーヒーメイカーにしても、最近になって発明されたばかりで、まだ手にしているものこそ少ないが、作ったのはエドワードが初めてではないし、あと数ヶ月もすれば国中に広がるだろう。
しかし、彼の作品で唯一、この国で、いいや、この世界で初めて彼が作り出すことに成功したものがある。
即ち、機械人形。
エドワードの最高傑作である。
親を亡くした彼ら兄妹は、幼い頃、エドワードが父から教わった機械作りの技術のおかげで、これまで二人で生きてこられた。
住居を兼ねたこの店で、兄が蒸気機械を作り、妹が売る。そうして彼らは生活している。
エドワードが作る機械は、珍しいわけではないが、質が良く、信頼性が高いと評判で、二人で暮らす分には十分な稼ぎを得ることが出来ていた。
そのため、エドワードの作品は、どれも商品として複数製作されるのだが、機械人形――アリスは、この一機だけの特注品であり、商品にするつもりもなかった。
いや、それ以前に、アリスの存在を知っているのは、エドワードとエリス、そして当のアリスのみである。
蒸気機関が発達してから、多くの機械職人が、機械仕掛けの人形の製作に挑戦した。
その試みは成功し、蒸気と歯車によって動く人形は、この世界にも珍しくないものとなった。
そして、技師達は、次の段階に踏み出した。
機械仕掛けの人形の次。それは、機械仕掛けの人間。
世界中の技師達が、本当に自分の手で作り出してみたかったもの。それは、自分達と同じ、人間であった。
しかし、今度の試みは敢え無くも潰えることとなる。
機械で人形を動かすことはできても、その人形に思考を与えることはできなかったのである。
人間に、人間は作れなかった。
そうして、機械人形の技術は廃れ、今となっては娯楽用の人形があるのみである。
アリスを除いて。
テーブルに料理が並べられ、二人で席に着く。食事を必要としないアリスは、また待機に戻っている。
昔から変わらない、兄妹二人だけで囲む食卓は、エリスにとって心地のいいものであった。
しかし、今日の食卓には、普段はないものがある。昨夜にエドワードが完成させたばかりの蒸気機械だ。
「相変わらず手際がいいな。コーヒーを飲みながら待つといったのに、先に食事の用意が終わってしまった」
「兄さんをお待たせするわけにはいきませんから」
肩をすくめつつ言うエドワードに平然とそう返してから、エリスは期待に満ちた顔を彼に向ける。
「もし良ければ、それで作った最初のコーヒーを、私に飲ませていただけませんか?」
「ん?構わないが……味は保障できないぞ?」
そう言いつつも、エドワードはすでにコーヒーメイカーの準備に移っている。
彼の作ったものを、真っ先にエリスが試したがるのはいつものことなので、エドワードはこうなることもある程度予測していたのだった。
コーヒーメイカーが作動し、小型蒸気機関の稼動音が響く。
安物のコーヒー豆が抽出され、台に置かれたカップに黒色の液体がそそがれる。
「よし、ここまでは設計通りだな。あとは味だけだ」
そう言いながら、エドワードはコーヒーの並々と注がれたカップをエリスの前に置く。
「それでは、頂きますね」
エリスはカップを手に持ち、一口、口をつけた。
その味を楽しむようにしてから、喉を通す。
「どうだ?味のほうは」
「おいしいですよ。とっても」
嬉しそうにそう言う妹を見ながら、エドワードはほっと息を漏らした。
「それならよかった。使っているのが安物のコーヒーだからな。それでもおいしく感じられると言うのなら、成功だろう」
「兄さんの機械が作ったコーヒーなんです。まずいわけがないですよ」
エドワードの言葉に、少しずれた答えを返すエリスを見て、エドワードは苦笑いを浮かべた。
エリスは、エドワードが作ったものを盲目的に信用し、愛着を持つ傾向がある。
エドワードに貰った懐中時計は肌身離さず持ち歩いているし、彼が新しく料理用の機械を製作する度に、厨房にはエドワードの名前の入った機械が増えていく。
先ほどは、最近は失敗作続きだなどと言ってはいたが、それはエドワード自身が失敗作の烙印を押したからに他ならない。
もし、彼が失敗したと言わなければ、エリスはそれがどんなものであっても、使用しようとしただろう。
そんなエリスにも一つだけ、例外はある。
エリスは、その“例外”を視界の端に捉え、優越感に浸っていた。
機械の貴方にこのコーヒーを飲むことは出来ない。兄の作った機械を使って作られたこのコーヒーをこうして口にできるのは、人間である自分の特権であると。
アリスは、そんなエリスには目もくれず、ただ静かに、感情の篭らない瞳で見つめ続けているだけだった。
彼女にとっての“兄”――エドワードを。
食事が済むと、エドワードはさっそくNo.23を商品化するために部屋に戻った。
この家に、機械を量産するための設備などなく、彼の作品は一つ一つ手作りである。
なので、商品として並べるためには、自分の手で同じ機械を複数生産する必要があるのだった。
エドワードのいなくなったリビングでは、二人の少女が向かい合っていた。
エドワードの後を追って、階段を登ろうとしたアリスをの前に、エリスが立ちふさがったのである。
「今日は私のほうを手伝ってくれませんか?兄さんのところにいたって、あなたに何かできるわけではないのでしょう?」
沈黙を保ったままエリスに無機質な視線を向けるアリスに、エリスがそう口を開く。
それでもなお、口を閉ざしたままのアリスに、エリスはあからさまにいらついた様子を見せる。
「またそうやってだんまりですか?機械は、人間の言うことを聞くものですよ?」
それを聞いて、やっとアリスはその重い口を開いた。
「私は、人間の命令を聞くために作られたものではない」
「そう。それなら、あなたの価値はなんなのですか?人間の言うことに従うことのできない機械に、何の意味が?」
「私は、お兄様に従うために作られた。他の人間に……あなたに従う義務はない」
アリスがそう言った途端、エリスの表情が急激に歪む。
「またそれですか!あなたはただの人形でしょう!兄さんとあなたは、製作者とその作品でしかないんです。どうしてそんな簡単なこともわからないのですか……!?」
激昂するエリスと対照的に、表情一つ変えないままに、アリスは目の前の少女を見据える。
「そう。私とあの人は、製作者とその作品。でも、それだけではない」
その時、これまで何の表情も映さなかった。映すはずのない。アリスの蒼玉でできた瞳に、明確な感情が浮かんだように、エリスには見えた。
「私は、お兄様の妹。あなたと同じ」
咄嗟に反論しようとしたエリスだが、言葉が出ることは無かった。
階段の上から、エドワードが顔を覗かせたのである。
「さっきから何か騒いでるけど、どうかしたのか?」
流石に、上の階にも騒ぎは聞こえていたようで、エドワードは怪訝そうにこちらを見下ろしていた。
「いえ、何でもありません。少し、開店の準備に手間取ってしまいまして」
何ごともなかったかのようにそう言って、エリスはアリスを一睨みしてから本当に店の準備に向かう。
アリスの瞳には、もう何も映ってはおらず、エリスには、アリスの瞳の中に一瞬見えたものがなんなのか、結局わからなかった。
「アリスはどうする?」
「お兄様のお側に」
間髪入れずに答えるアリスに一つ頷いて、エドワードは再び、自室へ戻っていった。
今度は、アリスと共に。
店の準備をさっさと済ませたエリスは、カウンターの前の椅子に腰を下ろした。
朝日の差す店内を眺めながら、カウンターの上に肘をついて物思いにふける。
店内に客がいないとはいえ、接客をするにはあまりに不向きな態度である。
そして、客が来てもそのまま回れ右してしまいそうなあからさまな不機嫌顔。
こんな顔をしながら、エリスが考えることは一つしかない。
機械人形。アリスのことである。
エドワードの作った機械をことごとく愛するエリスが、唯一愛すことのできないもの。いや、嫌悪しているとすら言えるのが、エドワードの8番目の作品である、彼女であった。
エドワードが蒸気機械を作るのは、売ることで生計を立てるためでもあるが、それ以前に彼の趣味でもある。
今、彼らが住んでいる家は、元々両親が蒸気機械を売って暮らしていた店でもあり、機械技師であった父から技術を教わった彼は、幼い頃から暇さえあれば機械を弄っているような子供であった。
彼の初めての作品。蒸気機械No.1はそんな彼が妹のために作ったものだった。
蒸気機械と言っても、この機械には蒸気技術は使われておらず、多くの歯車によってのみ構成された、単純なものだった。
今もエリスの服のポケットに入っている、一つの懐中時計。
エリスの、一番の宝物。
しかし、彼らの母が若くして病気で亡くなり、相次ぐように父も他界すると、エドワードの機械弄りは、生きるための技術へと変化した。
蒸気機関が発達して以降、飛躍的に高まる蒸気機械のニーズとは裏腹に、今でこそ世界中にいる機械技師だが、当時、実用に足るだけの蒸気機械を作ることのできる技師の数は足りているとは言えなかった。
そこで、幼いながらも商品として通用するレベルの機械を作るだけの技術を手にしていたエドワードと、母の元で店を手伝っていたエリスが両親の仕事を受け継ぎ、父の代わりにエドワードが機械を作り、母の代わりにエリスが店を管理するようになったのである。
兄妹が生まれる前の時代には、蒸気機関が生まれてからまだそれほど時は経っておらず、機械技師の数は少数に限られていた。
その中の一人で、蒸気時代の幕開けから蒸気機械に携わってきた人物。
それが、彼らの父親だった。
彼は、優れた技師であった。
いくつかの機械を新しく発明し、蒸気機関技術の発展に大きく貢献した。
そして、多くの機械人形を残した。
彼の作った人形達は、まるで本物の人間のようだと評判であった。
しかし、そんな彼でも、次に進むことはなかった。
機械で人間を作ることは、不可能だったのである。
――――というのが、公式に発表されている彼らの父親の経歴である。
しかし、蒸気機械の第一人者と呼ばれ、また、最も機械人間の完成に近づいた男と呼ばれた彼には、ある噂があった。
彼によって作られた精巧な人形達は、全て売却されたことになっている。
しかし、その売却された人形達は、一つの完成品のための試作品であると言うのである。
そして、彼の家には、その完成品が、日の目を見ないまま眠っている。
完成された機械人形。 即ち、完全な機械仕掛けの人間が。
結論から言うと、この噂は、半分真実で、半分虚偽であった。
両親が死んだ後、家の倉庫を整理していたエドワードは、作りかけの人形と出会った。
そして、その人形には、人の意志を生み出すもの――誰にも成し得なかった人工頭脳の元となる機関が備わっていた。
これが、エドワードとアリスの出会いであり。
エリスの不幸の始まりであった―――――