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step.8


 イチのマンションにやってきたわたしはその部屋の呼び鈴を鳴らした。

 カチャ、というノブの回る音とともに、彼女の不機嫌な顔がわたしを睨んだ。

「なによ、また来たの?」

 懐柔するにはなかなかに手強い相手だ。

 しかし。

 それくらいで怯むニノちゃんではないのだ。ちゃんと奥の手も持参しているのだっ。

「はいっ、差し入れ持ってきました。今日はシャルームのチーズスフレです、センセ」

 億劫そうに目を瞬かせると、とりあえず門前払いは免れて中に入ることを許された。

「毎日毎日よく来るわね。コレって新手の嫌がらせ?」

「そんなことありませんよぉ、まさかイチのお姉さんが あの 橘真理子〔たちばな まりこ〕センセだなんて……わたし、超カンドーです。センセの小説はマイ☆バイブルですから」

「……言い間違えたわ。きっと聖也の嫌がらせね」

 仕事用の眼鏡をかけたイチのお姉さん、弥生〔やよい〕さんは嫌そうに顔を顰めた。オン、オフの切り替えが激しいらしくひっつめた髪型やノーメイクの印象はかなり中世的で、最初のふんわりとしたイメージとは少し違う。

「え?」

 よく理解できなくて、わたしは首をかしげた。だって、イチが弥生さんに嫌がらせなんてするハズないのに。

 なんで?

 どうやって?

「ここのマンション、完全オートロックだし。エントランスにある扉の開錠にはカードキーの照合か住人の許可が必要だもの……「イチ」から合鍵でも貰ったんでしょ?」

 でなきゃここまで簡単に入って来れる ワケ がないと弥生さんは言い切って、わたしも確かにカードキーをイチから受け取ったものだから反論はできなかった。

「よく……分かりますね? やっぱり姉弟だからかなあ?」

 以心伝心、イチと出来るなんて羨ましい。方法があるんだったら是非ともご伝授いただきたい。

 魚を見る猫よろしく爛々〔ランラン〕とした目でうかがえば、お姉さんは呆れたとばかりに答えた。

「んなワケないでしょ。当然の推測よ……むしろ、分からない方が摩訶不思議だわ」

 と、何故かわたしの顔を凝視して難しそうな表情になる。

「えーっと、わたしの顔に何かツイてますか?」

「弟の気持ちを分析してたの。我が弟ながら厄介な子を好きだなあ、と」

「厄介? イチの彼女ってそんなに面倒な人なんですか?」

「……ある意味、ね」

 諦めたように弥生さんは言って、奥のリビングに歩いていった。

 そっか、それなら入りこむスキくらいあるよね。……ヤバい、にやけてきた。


「まあ、ゆっくりしていきなさいよ。差し入れのセンスだけは褒めてあげるわ」


「わーい!」

「そのうち、聖也も来るだろうしね。……って、たぶん貴女の本命はそっちでしょ?」

 ぐっ、と言葉を失ってつい弥生さんの顔をうかがってしまう。

 なんで、そんなに勘がいいの。

 恋愛小説の先生だからですかっ……やっぱり、恋愛マスターは伊達じゃないね。拝んどけ!




 橘センセの小説を橘センセのリビングでソファに座って読み耽る贅沢を満喫していると、後ろから抱きつかれた。

「ニノ」

「イチ」

 軽くキス、まるで気心の知れた恋人同士みたいだ。嬉しくて、とろけちゃいそう。

「ちょっと、人の居間でイチャつくのやめてくれる? したいなら隣に移ってしなさいよ」

 あ、センセの機嫌が悪いわ。

 機嫌がよかったらギリギリまで声をかけずに創作の糧にしたりするのよ。半裸で止められた時は流石に笑って誤魔化したけど……アレは悪魔の所業だったなー。どうせなら最後まで黙って見ててくれたらよかったのに。

 なんて。

 それじゃ、官能小説か。どんだけ欲求不満なんだ、わたしは。

 だって、イチの「好き」って言葉が足りない。そりゃあ、浮気だってことは知ってるけど……少しずつ女の子は 強欲 になるんだよ? 当たり前、だよね?

 ソファに押し倒された格好でわたしは「すみません」と謝って、イチは何事もなかったように催促した。

「橘先生、原稿は?」

 本来の彼の目的は、コレ。

 イチは橘真理子先生の担当をしている編集者だ。お姉さんが小説家になって、イチの勤めている出版社に所属していたのは偶々〔たまたま〕だったのだけれど……それが上司にバレて、担当に抜擢されたのだとか。

 彼曰く、「姉さんのワガママに誰も対処できないんだ。なまじデビュー作で売れて、固定のファンも多いもんだから編集長も強気に出れない」らしい。

 その点、イチは身内だし、彼女の扱いも慣れているから催促もしやすいのだろう。

「貴方のマブダチのせいで、まだ、よ。嫌な男ね」

「お互い様だよ」

 ピリピリ。

 あ、また険悪になってる。

 姉弟間のこの空気、案外いつものことだって知ってた?



 何を隠そう、わたしは最近知りました。


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