夜会でダンスは踊らない
令嬢が婚約破棄されてから幸せになるだけの話。
「アマリリス・ボーフォール伯爵令嬢。私と婚約していただけませんか? 宜しければ、ファーストダンスをご一緒に」
アマリリスの前に笑顔で跪き、手を差し伸べたのは、太陽の光のようにきらめく金髪に青空のような碧眼を備えた、見目麗しい他国からの留学生。王家とも縁深いとされる、伯爵家の長男だ。
学園の卒業パーティー。たったいま、さんざんな言いがかりを付けて婚約破棄を叫んだアマリリスの婚約者である侯爵家の次男は、勢いをそがれてたじろいでいる。婚約者の腕に装備された浮気相手も、先ほどまでの悲劇のヒロインのような態度から一転して、アマリリスを淑女らしからぬ形相で睨みつけている。
アマリリスは、扇で顔を隠しながらも、潤んだ瞳と紅潮した頬を隠しきれておらず、差し伸べられた手を──。
取らなかった。
***
後日、ボーフォール伯爵邸にて。
卒業パーティーでの騒乱が落ち着き、婚約は元婚約者の有責にて解消されたのちのこと。
アマリリスは喫茶室にて、学友二人に詰め寄られていた。
「そろそろ教えてくださいな。何があなたのお気に召さなかったんですの?」
「あら。あなたが持ってきてくれたケーキはとても素敵よ。食べ過ぎてコルセットが苦しいの」
「いいえ。侯爵令息様のことですわ」
「わたくしも聞きたいわ、アマリィ。あなた、あんなに頬を紅潮させていたのに」
ああ、とアマリリスは嘆息する。
「怒りのあまり頬を紅潮させてしまうなんて、はしたないことをしてしまったわ」
「お怒りでしたの?」
「てっきり胸をときめかせているのだとばかり思っていましたわ」
「あの方、わたくしに婚約を申し出る前に、なんておっしゃってたか覚えてます?」
「『学園でも以前よりお慕いしておりました』でしょう?」
「そのあとよ。『婚約者に何を言われようと前を向き続けるあなたの凛とした姿に感動した』ともおっしゃってたわよね? あの方は、ずーーーーーっと片隅から見てただけということです。けっこうなご趣味だこと」
小指を立て、ティーカップを傾けるアマリリス。その表情には乙女のときめきなどは一切うかがえない。
素敵な恋の予感に胸を高鳴らせていたアマリリスの友人たちは、少し不満げな顔をして、身を乗り出す。
「仕方ないじゃない。あなた婚約者がいたのよ、おおっぴらに助けたりなんかできないわ」
「そうですわ。むしろ慎み深い殿方だと思いますのに」
アマリリスは眉根を寄せ、ティーカップから唇を離す。
「慎み深い殿方?」
「そうよ。来賓の立場もわきまえず、恋だ愛だなどという私情で、婚約は家同士の契約であるということも考慮できない元婚約者の方とは大違い!」
アマリリスが、ティーカップを、とん、とソーサーのうえに載せた。
「来賓の立場もわきまえず、恋だ愛だなどという私情で、婚約は家同士の契約であるということも考慮できない──のは、あの方も同じですわよ?」
卒業パーティーという場において、主役は他家の貴族を含む卒業生たち全員であった。それなのに他国の来賓という立場でありながら主役を置いてけぼりにして目立つ場所で婚姻の申し出を行った。
理由は惹かれたからという私情。
婚約は家同士の契約である。破棄だけでなく、もちろん締結する際にも言えることだ。確認した限り、そうした根回しをしていたという事実は見受けられなかった。当然だ。婚約者のいる相手に、前もって根回しをできるはずがない。
そもそも、良識ある貴族たちは、愛人を伴って私情で婚約破棄をするなどという元婚約者の暴挙に眉をひそめていた。やり玉に挙げられたアマリリスは気の毒に思われてこそいたものの、決して不名誉な中傷の対象になどはされていなかった。そのような空気感を読めず名乗り出てしまうというのは貴族として致命的である。
あの場でアマリリスが侯爵令息の手を取っていたら、十把一絡げに常識のない貴族の一員として名を連ねてしまっていたことは想像に易い。
「……いわれてみれば確かにそうね、勝手に盛り上がってしまっていたわ」
「つい、わたくしたちはアマリィをひいき目に見てしまっていたから、まるで歌劇の騎士様のように思ってしまったけども、あの方もたいがいでしたわね」
「いいのよ。あなたたちがわたくしを案じてくれているのはよく知っているもの。愚痴になってしまってごめんなさい」
「いやね、謝らないで」
「わたくしたち、話を聞くくらいしかできませんもの」
固く手を取り合う友人たち。アマリリスは、恋人には恵まれなかったものの、友人には恵まれた、としみじみ思った。
「そもそも、長女であるわたくしが領主を継ぐのよ。彼だって長子だもの。きちんと申し出をしていただいたとしても、受けるわけにはいきません」
「隣国は男領主しか認められていないもの。もしかしたら、アマリィをお嫁さんにしたかったのかもしれないわね」
「同じ領主コースのクラスに所属していたのに? 迂闊すぎるわね。やっぱり受ける気になれないわ」
「アマリィは厳しすぎるわね」
「あなたはとても魅力的な人だけど、あなたの気に入る方と巡り会えるか少し心配になってきてしまったわ」
「そうですわ! 幸い、きょうだいも親戚もたくさんいるから私の子に継がせなくともボーフォール家は絶えないわ」
「ええ? 婿を迎えないつもりなの?」
「だって、しっかりした方はもうお相手を見つけているでしょう。おかしな者を婿に迎えるくらいなら、そのほうがずぅっといい」
既に、アマリリスの婿になろうと釣り書きを送ってきた者たちはたくさんいた。だが、身辺調査をさせると、女性関係にだらしなかったり、自ら身を立てるほどの力がなかったりする者ばかり。
「貴族としての務めは家名を守ることですもの。後継者が育つまでのつなぎとして働くことができれば十分よ」
「それは立派だけど、アマリィ。あなた本当にそれでいいの?」
「夜会でダンスを踊らなくても、立派に領主として務めてみせますわ」
晴れやかに笑うアマリリスに、友人たちは、顔を見合わせるばかりだった。
その後のアマリリスの行動は早かった。
「アマリィ。貴族として血をつなぐのも一つの役目だ」
などと渋る父親に、
「お父様が見繕った婚約者があのような有様でしたのよ。ボーフォール家の乗っ取りにあうかもしれなかったところです」
と訴え、兄弟のうち最も早く生まれた子どもを後継者として育てることを認めさせた。
「アマリィ。確かにあなたは次期領主だけど、親としては、幸せになってほしいと思っているわ。初めは政略でも、信頼を積み重ねていってささえ合える夫婦になる人達はたくさんいるのよ。悲観しないで」
と慰める母親に、
「安心してくださいませ、お母さま。後継者を育てながら領地を経営する生活はわたくしにとって楽しいの。ささえ合う相手を夫にしなくても、わたくしは大丈夫ですわ」
と潔く断りを入れた。
アマリリスは優秀で、経営においてはすべてが順調だった。元婚約者とのやりとりなどを考えなくて気楽になっていた。
とはいえ、ボーフォール家領主として、上位貴族に呼び出されれば、夜会には顔を出す必要がある。
社交は情報交換の重要な場所である。領主の身なりひとつで侮られてはならない。生まれながらの貴族であるアマリリスは、個人資産を福祉に回すより、商人たちに正当な報酬として支払うことが重要であることを理解していた。
理解していることと、納得できるかどうかは別である。
「ねえあなた。ダンスを踊るパートナーもいませんのに、わざわざ衣装を仕立てるなんて、可笑しなことだと思わない?」
尋ねられた恰幅のいい商人は、苦笑する。
「こちらのシルクはボーフォール領にて、村人たちが紡いだものとなります」
「知っているわ。領地のことですもの。なめらかで素敵な布地だと思っているわよ。だからこそ、着たくないの。わたくしのような者が着ていたら、若い令嬢たちは、きっと縁起の悪い服だといって、着るのを嫌がるわ。かといって、領地のもの以外の服を着るのでは意味がないもの。どうしましょう」
「いやはや」
ボーフォール家の女領主に変なことを言うわけにはいかない。困り顔の商人の傍らから、若い男が身を乗り出す。
「こちらはいかがでしょうか。こちらの生地もボーフォール領にて採られ、染められたものでございます」
勧められた生地は、アマリリスの年齢にしては少し落ち着いた色味の生地だった。いや、それ以前に、硬めのウールの素材である。
「どうしてこちらを?」
尋ねると、男は笑った。
「領主さまにふさわしい、威厳あふれる衣装です」
商人の言葉に、はっと胸を突かれた。
アマリリスは、若き令嬢としては『失敗』している。しかし、これから彼女が目指すのは、領主としての道である。誰かにエスコートされるのではなく自ら立ち上がる領主なのだ。ドレスにしては地味に見えたその生地は、色味こそ落ち着いているが華やかである。きっとさぞ見栄えのいいスーツになるだろう。
「わかりました。こちらで、仕立ててくださいな。あなた、とてもいい商人ね。お名前はなんとおっしゃるの?」
「ロバートと申します、領主様」
アマリリスのスーツ姿は、夜会で好評を博した。すらっとしたマーメイドラインのドレスのようなシルエットは彼女の理知的な美しさを引き立て、それでいて威厳を醸し出してくれた。
まだアマリリスを量りかねて距離を取っていた他領の領主たちとも、ずいぶん話が弾んだ。
「ロバート。あなた、ボーフォール伯爵家に仕えなさい」
「畏まりました、領主様」
ロバートの目利きは、アマリリス自身の調度品だけに収まらなかった。
パーティーを開くのにちょうどいいタイミング、その贈答品としてふさわしい品の調達。そういった細やかなところまでてきぱきと気が利いた。
それらは、アマリリスの不得意な分野でもあった。
「わたくし、いままで社交をおろそかにしてきたのね。婚約者から嫌われたのも、こういうところなのかしら?」
「領主様には、領土を治めるためのお勉強があります。私がこういったことに詳しいのは、将来貴族の方々を相手に働くとわかっていたためです。誰しも、何もかもを知ることはできません。現に、私は領主様がどのようにして徴税の方針を決めていらっしゃるのかさっぱりわかりません」
アマリリスを尊重しつつ、ロバート自身の立場もしっかりと言語化する。そういった部分も、アマリリスには好ましく思われた。
ロバートはまた、アマリリスの一つ違いの弟に長男が生まれたあとも、支えになってくれた。
後継者として育てるべく養子として迎えたあと、乳母はつけたものの、幼くして両親と引き離された発端は、アマリリスの婚姻関係にある。貴族としての義務とはいえ甥相手に負い目を感じたアマリリスは、距離を取っていた。
そんな中で、ロバートはアマリリスに甥との関わりを保つよう勧めてくれた。
「親が忙しい家庭で育ったので、きょうだいに面倒見てもらいましたけど、兄や姉には感謝してますよ」
おかげでアマリリスは、少しずつ歩み寄ることができるようになっていった。
婚約破棄から10年は経とうかというある日のこと、ロバートと街歩きをしていると、旧友に出会った。
「久しぶりじゃない、アマリィ。あなたの話は夫からもよく聞いているわ。友人として誇らしいわ」
侯爵家に嫁いだ彼女は、アマリリスの甥と同年齢の5歳ほどになりそうな子供を連れていた。
「領主様。この近くに個室付きの喫茶店があります」
「ありがとう、ロバート。席を用意してくださる?」
「もちろんです」
旧友はロバートをちらりと見ると、アマリリスに耳打ちする。
「未婚の身で殿方と親しくしすぎるの、あまりよくないんじゃないかしら」
「従者よ?」
「従者という距離感ではなかった気がするわ。それに、相手が問題よ」
むっとする。
「ロバートはよく仕えてくれているわ。なにが問題なの?」
「彼、フォード男爵家の四男よ。学園卒業と同時に貴族籍を抜けて平民になって働いていると聞いたわ。つまり元男爵家ね。平民になったから、家名を名乗る権利はないはずだけど」
「そんな……初めて聞いたわ」
「雇うときに身分を確認しなかったの? アマリィらしくもない」
「商会に問い合わせたとき、そんなこと言っていなかったわ」
「あら。それではもしかしたら、商会では持て余していたのかもしれないわね。男爵家とはいえ元貴族ですもの」
「え? それは道理が通りませんわ。いま言ったじゃない、彼はもう平民なのよ」
「貴族籍を抜けたら貴族ではなくなるけど、もともと貴族だったという過去が消えるわけではないわ。理屈じゃないの、感情の問題よ」
「そんな……」
それでは、ロバートは貴族でもなければ、平民にもなりきれなかったということになる。
アマリリスは、婚約破棄をされ、後継者の望めない領主である。そのことを侮られることもある。それでも、ボーフォール伯爵家の領主であるという事実はゆるがない。そのことが、アマリリスを支えてくれていた。
いったい、ロバートはどれほどの苦難に立ち向かってきたのだろう?
そのことを思うと、胸がしめつけられる。
友人はアマリリスをじっと見つめる。
「ねえ、アマリィ。やっぱりあなた、彼のことが好きなんじゃないの」
冗談じみたからかいではない、貴族としての回答を求められていると感じたアマリリスは、その場で、何も答えられなかった。
「ロバート。紹介状を出すから、あなた、商会に戻りなさい。わたくしの口添えがあれば、あなたの出身を気にしない要職に就くこともできるはずよ」
屋敷に帰宅してから身なりを整え、いつもの領主の仕事を済ませたあと。ロバートを広間に呼び出した。
ロバートは一瞬だけ目を見開くと、胸に手を当てて、深くお辞儀をした。
「領主様のお気に召されないことがあれば、仕方のないことです」
「聞いてくれないの?」
「一介の使用人ですから」
「ひどくわがままな話よ。わたくし、あなたを愛してしまったみたいなの。わたくしはボーフォール家のことを一番に考えなければならないわ。悲恋ごっこをしている場合ではないの」
「なぜ、悲恋と申されますか?」
「だって、わたくしは、拒絶したわ。立場もわきまえず、恋だ愛だなどという私情で、家同士の契約であることを理解してくれない人の好意を、拒んだもの。わたくしが、あなたを迎えることは、許されるはずがないわ」
「領主様は、ボーフォールの領主として立派にされています。恋や愛を謳うことを許されないようなお方ではありません」
「ダメよ。どうしても、貴族として許せない。あなたがたとえ、貴族であってもダメなの。わたくしがあなたと結ばれたら、跡目争いが生じてしまう」
「どうして? お世継ぎは、甥御様でしょう。既に、領主様じきじきに教育をなさっています」
「え?」
「私が断種しておけばご安心召されますか。もちろん愛人の身分で構いません」
その提案は、アマリリスにとっては埒外のものだった。
初めの婚約者は、アマリリスが伯爵令嬢でなければ縁が結ばれることすらなかった。
次に求婚してきた伯爵令息も、アマリリスの身分がなければ求愛まではしなかっただろう。
婚約破棄後にアマリリスの婿に立候補してきた者たちは、みな、自らの子どもを世継ぎにすることを狙う野心家ばかりだった。
「……殿方というのは、自分の子に家名を継がせたいものではないの?」
「心外です。私がそのような人間であれば、そもそも貴族籍を抜けて商人になったりなどしておりません」
「では、わたくしに何か、望んでくださるの?」
「貴女様がお許しになるのであれば、ただ、アマリィと」
「『ボーフォール』ではないわたくしのことも、あなたは愛してくれるの?」
「……難しい質問です。アマリリス・ボーフォールとしてこの地を治める貴女を信頼して好きになったから。これじゃ、答えになりませんか」
「一番素敵な答えだわ!」
アマリリスは、ロバートに抱き着いて頬に口づけをした。
***
ボーフォール家歴代領主を語るうえで、女傑アマリリス・ボーフォールの名は欠かせない。
彼女は生涯を独身で貫き通し、その身を領地の繫栄に注いだ。隠居後は、弟の長子の後見人となっている。
いつも凛々しい女領主であった彼女が、夜会でダンスを踊るところを見た者はいない。
恋愛運のみ恵まれぬ領主と侮る者もいたが、彼女はそのような誹りを受けても、スーツに身を包み、不思議と幸福そうにしていたという。
アマリリス・ボーフォール
ボーフォール伯爵家の長子。領主としての経営能力は高いが少し融通が利かない。領地を治めるための知識を蓄えることに邁進しており、社交は苦手としていた。そこを元婚約者の浮気相手に付け入られた。生涯未婚である。本人は理詰めで考えているつもりだが決して完璧な人間ではなく、感情に流されることも多々ある。
ロバート(元ロバート・フォード)
フォード男爵家の四男として生を受けた。姉も含めれば多くのきょうだいを持つ。生まれたときに既に婿入りするか平民として働くかが決まっており、貧乏男爵家の四男で婿入りを狙うのは望ましくないと考えて商人としてやっていくことを考えていた。アマリリスのことを愛していたが、身分違いと思い自分から言い出すことはしなかった。




