第九話 地下蔵の古い染め布
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管理人は不思議そうな顔をしたが、断りはしなかった。
「地下の蔵でしたら、古い備品が入っているだけですよ。何十年も誰も使っていません」
「一度見てもよいですか」
「構いませんが……何かお入り用でしょうか」
「整理の参考にと思いまして」
管理人は渋々、鍵束から一本を外してくれた。大きく、重い鍵だった。
リゼッテを連れて、廊下の突き当たりに向かった。
「わたしも初めて行きます」とリゼッテは言った。「何があるんでしょう」
「開けてみれば分かります」
鍵を差し込むと、金属の擦れる音がした。長いこと使われていない鍵の、きつい感触。それでも、回った。
扉を引くと、石の階段が下に続いていた。
ひんやりとした空気が流れてくる。地下の冷えた空気だ。手で持ったランタンを先に入れて、ゆっくりと下りた。
地下蔵の扉を開けた瞬間、イレーネは思わず立ち止まった。
広い。
天井の低い石蔵だが、奥行きがある。そして——棚の端から端まで、布が積まれていた。
「なんですか、これ……」とリゼッテが呟いた。
布だ。古い布が、棚に几帳面に積み重なっている。折り畳まれ、棚一段ずつに収められた布の量は、ざっと見ても百枚を超えていた。
イレーネは棚に近づき、一枚を手に取った。
折り目を広げると、大きな布だ。縦一メートル半ほど。横幅は二メートルはある。かつては何かを覆っていた、あるいは掛けていた布だろう。
色が褪せている。
だが、かすかに色が残っていた。
「……茜だ」
指でなぞると、くすんだ赤褐色の染みが見える。長い年月で日光も届かない場所に置かれていたからか、思ったより色が残っていた。
「茜色って言うんですか、これ」とリゼッテが覗き込む。
「かつてはもっと鮮やかな赤だったはずです。茜根から出る朱色です」
隣の棚の布を引き出してみると、別の色の痕跡があった。青みが感じられる。藍の染めだ。さらに別の棚には、黄がかった布。黄蘗か、刈安か——見ただけでは判断できないが、植物系の染料を使っていたことは分かる。
「緑……これは」
別の布には、緑の成分が重なっていた。藍と黄色の二重染めだ。高度な技法だ。単色でなく、重ねて色を作れる染色師がここにいたということだ。
「これを全部、この土地の人が染めた?」とリゼッテが聞いた。
「そう思います」
「いつ?」
「ずっと昔です。三十年より前」
リゼッテが黙った。
イレーネは棚の布を一枚ずつ確認した。どれも保存状態が良い。ほこりが積もっていない。石蔵の冷えた空気のせいもあるが——床を見ると、掃き目がある。最近、誰かが掃除をした跡だ。
「誰かが手入れしているようですね」
「え?」とリゼッテが床を見た。「本当だ。誰がするんでしょう」
管理人は「誰も使っていない」と言った。だが掃き目は新しい。
不思議なことだ。
布を積み直しながら、最後の棚に来たとき、一枚だけ他と違う布があった。
小さい布だ。手のひらほどの大きさ。折り畳まれているが、他と材質が違う。手触りが細かく、上質な絹だ。
広げてみると——裏に何かが刺繍されていた。
糸が細く、色が褪せていて読めない。文字か、紋様か。
「何か書いてありますか」とリゼッテが聞く。
「……よく見えません」
ランタンを近づけると、文字のような形が浮かんだ。でも解読できなかった。
イレーネは布を元に戻した。今は急がなくていい。
立ち上がり、石蔵全体を見渡した。
かつてここに、染色の文化があった。これだけの量と質の布を染めた人々が、この土地にいた。そして今は、誰もいない。なぜ。
「取り戻せるはずです」
「え?」とリゼッテが顔を上げた。
「この土地の色を」とイレーネは言った。「かつてあったものを、もう一度」
リゼッテはしばらく黙って、それから小さく笑った。
「……やってみてください」
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