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夫は色の名前をひとつも知りませんでした。けれど私が染めた布を、一枚も手放しませんでした  作者: ヲワ・おわり


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第八話 リゼッテという侍女

毎日5話ずつ、07:30 / 12:30 / 17:30 / 19:30 / 21:30 に更新予定です。

面白かったら評価やブックマークで応援してもらえると嬉しいです。

「奥方様の荷物って……すごいにおいがしますね」


リゼッテが荷物の整理を手伝いながら、鼻をひくひくさせた。


「染料の匂いです。慣れると気にならなくなりますよ」


「これは……何の匂いですか」と布に包まれた瓶を指した。「酸っぱいような、土のような」


「藍の染料です。発酵させてから使うので、匂いが出るんです」


「はっこう……」


「葉を水に漬けて、温めて、時間をかけて変化させます。その過程で匂いが出て、代わりに色が濃くなる」


「色が、濃くなる?」


「この瓶の中の染料から、あの色が出るんです」


イレーネは色見本帳を棚から下ろして、藍のページを開いた。


藍の色が五段階で並んでいる。薄い青から始まり、段階を踏んで深くなり、最後は夜の空のような深藍になる。どれも均一で、むらがない。


リゼッテの目が丸くなった。


「これが全部、あの匂いのする瓶から?」


「染める回数によって濃さが変わります。一回浸すと薄い青。十回浸すと深い藍。布を空気にさらすたびに色が深まるので、繰り返しが大事なんです」


「……へえ」


リゼッテは色見本帳を覗き込んだ。ページをめくる手つきが恐る恐るだったが、本物の好奇心があった。


「これ、全部覚えてるんですか? 何色あるんですか」


「師匠の帳面と合わせると二百色近くあります。材料と手順は覚えています」


「二百色……」


リゼッテは呆然とした顔で帳面を見た。


「わたし、色なんて十色も言えないかも。赤、青、黄色、緑、あと……茶色と黒と白と灰色と……あとは何だろう」


「それで十分生活できますよ。染色師でなければ」


「奥方様はすごいんですね」


「師匠がすごいんです」


荷物を整理しながら、二人で話した。


リゼッテは話し好きで、聞き上手だった。イレーネが染料の説明を始めると、知らない言葉が出てくるたびに「それって何ですか」と聞いてくる。飽きずに聞いてくれる相手というのは、仕事の話になると口が軽くなるイレーネには、ありがたかった。


「媒染というのは、布に染料が入りやすくするための前処理です。ミョウバンを使うと明るい色が出て、鉄を使うと渋い色になる」


「同じ染料でも色が変わるんですか?」


「同じ茜でも、媒染によって朱色になったり、くすんだ赤になったりします。水の成分でも変わります。それが染色の面白いところです」


「へえ……じゃあここの水で染めたら、どんな色になるんでしょう」


「それは、わたしもまだ知りません」


リゼッテが顔を上げた。


「試してみたいんですか」


「はい」


「できると思いますか」


「やってみなければ分かりませんが……試させてもらえる環境があれば、と思っています」


リゼッテは少し考えてから言った。


「ヘルミーネ様には気をつけてください。悪い方じゃないんですけど……染め物については、特に。昨日も何か言われましたよね」


「少し」


「城の方がみんな、なんとなく……染め物に慎重なんです。昔から。わたしも理由は知らないんですけど」


リゼッテは窓の外を見た。


荷物を全部片付けて、リゼッテが部屋を出ていく前に「また明日」と手を振った。


一人になると、部屋が静かだった。


棚に色見本帳を並べ、染料の瓶を確認する。全部揃っている。


部屋の窓から廊下へ出て、城の構造を頭の中で辿ってみた。食堂から東へ進んで、石段を下りると——


あそこだ。


廊下の突き当たりに、暗がりがあった。近づくと、低い木の扉がある。古い鍵穴が大きく、錆びている。使われていない扉だ。


手を当てると、冷たい木の感触。


その向こうに、何があるのだろう。


鍵穴から漏れる空気が、少しだけ古いものの匂いをしていた。


——明日、管理人に頼んでみよう。

次話も更新されます。引き続きよろしくお願いします。

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