第八話 リゼッテという侍女
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「奥方様の荷物って……すごいにおいがしますね」
リゼッテが荷物の整理を手伝いながら、鼻をひくひくさせた。
「染料の匂いです。慣れると気にならなくなりますよ」
「これは……何の匂いですか」と布に包まれた瓶を指した。「酸っぱいような、土のような」
「藍の染料です。発酵させてから使うので、匂いが出るんです」
「はっこう……」
「葉を水に漬けて、温めて、時間をかけて変化させます。その過程で匂いが出て、代わりに色が濃くなる」
「色が、濃くなる?」
「この瓶の中の染料から、あの色が出るんです」
イレーネは色見本帳を棚から下ろして、藍のページを開いた。
藍の色が五段階で並んでいる。薄い青から始まり、段階を踏んで深くなり、最後は夜の空のような深藍になる。どれも均一で、むらがない。
リゼッテの目が丸くなった。
「これが全部、あの匂いのする瓶から?」
「染める回数によって濃さが変わります。一回浸すと薄い青。十回浸すと深い藍。布を空気にさらすたびに色が深まるので、繰り返しが大事なんです」
「……へえ」
リゼッテは色見本帳を覗き込んだ。ページをめくる手つきが恐る恐るだったが、本物の好奇心があった。
「これ、全部覚えてるんですか? 何色あるんですか」
「師匠の帳面と合わせると二百色近くあります。材料と手順は覚えています」
「二百色……」
リゼッテは呆然とした顔で帳面を見た。
「わたし、色なんて十色も言えないかも。赤、青、黄色、緑、あと……茶色と黒と白と灰色と……あとは何だろう」
「それで十分生活できますよ。染色師でなければ」
「奥方様はすごいんですね」
「師匠がすごいんです」
荷物を整理しながら、二人で話した。
リゼッテは話し好きで、聞き上手だった。イレーネが染料の説明を始めると、知らない言葉が出てくるたびに「それって何ですか」と聞いてくる。飽きずに聞いてくれる相手というのは、仕事の話になると口が軽くなるイレーネには、ありがたかった。
「媒染というのは、布に染料が入りやすくするための前処理です。ミョウバンを使うと明るい色が出て、鉄を使うと渋い色になる」
「同じ染料でも色が変わるんですか?」
「同じ茜でも、媒染によって朱色になったり、くすんだ赤になったりします。水の成分でも変わります。それが染色の面白いところです」
「へえ……じゃあここの水で染めたら、どんな色になるんでしょう」
「それは、わたしもまだ知りません」
リゼッテが顔を上げた。
「試してみたいんですか」
「はい」
「できると思いますか」
「やってみなければ分かりませんが……試させてもらえる環境があれば、と思っています」
リゼッテは少し考えてから言った。
「ヘルミーネ様には気をつけてください。悪い方じゃないんですけど……染め物については、特に。昨日も何か言われましたよね」
「少し」
「城の方がみんな、なんとなく……染め物に慎重なんです。昔から。わたしも理由は知らないんですけど」
リゼッテは窓の外を見た。
荷物を全部片付けて、リゼッテが部屋を出ていく前に「また明日」と手を振った。
一人になると、部屋が静かだった。
棚に色見本帳を並べ、染料の瓶を確認する。全部揃っている。
部屋の窓から廊下へ出て、城の構造を頭の中で辿ってみた。食堂から東へ進んで、石段を下りると——
あそこだ。
廊下の突き当たりに、暗がりがあった。近づくと、低い木の扉がある。古い鍵穴が大きく、錆びている。使われていない扉だ。
手を当てると、冷たい木の感触。
その向こうに、何があるのだろう。
鍵穴から漏れる空気が、少しだけ古いものの匂いをしていた。
——明日、管理人に頼んでみよう。
次話も更新されます。引き続きよろしくお願いします。




