第七話 侍女長ヘルミーネの歓迎
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「奥方様、少しよろしいでしょうか」
朝食が終わって間もなく、ヘルミーネが部屋を訪ねてきた。
「この城の慣習についてお伝えしたいことがあります」
部屋の椅子に向かい合って座った。ヘルミーネの姿勢は真っ直ぐで、手は膝の上に揃えられている。
「この城では、染め物はおこなっておりません」
「はい、存じております」
「生活用品は全て生成りか灰色でございます。調度も、衣服も、備品も——それがこの城三十年のやり方です」
三十年。
イレーネはその言葉の重さを、一瞬かみしめた。
三十年というのは、今の自分の年齢より長い。この城の使用人の多くが、色のない暮らしの中でしか働いたことがないということだ。
「承知しました」
「それから」とヘルミーネは続けた。「使用人への指示は、まず私を通していただければと存じます。城の運営には慣例がございますので」
「もちろんです」
「以上です」
ヘルミーネが立ち上がろうとしたので、イレーネは静かに言った。
「一点だけ。辺境伯様から、城内のことは任せると仰っていただきました。染めることの許可もいただいております」
ヘルミーネが、ほんの少し動きを止めた。
「……辺境伯様は、大らかな方でいらっしゃいますので」
「ありがとうございます。ですのでご安心いただければ」
「私が申し上げたいのは」とヘルミーネは言葉を選ぶように言った。「染め物は、この城では必要とされておりません。使用人たちもそのことを弁えております」
「そうですか」
「余計な混乱が生じなければ、と思っております」
混乱、という言葉。
この人は何かを守ろうとしている、とイレーネは感じた。城を。城のやり方を。三十年間続けてきた何かを。
意地悪ではない。怖いのだ。
変わることが。あるいは、変えることで何かが起きることが。
「分かりました。ご心配をかけないよう努めます」
ヘルミーネは頷き、部屋を出ていった。
扉が閉まると、イレーネは椅子に深く座り直した。
やりづらい、とは思う。でも正直なところ、ヘルミーネの言いたいことは分かる。新しく来た者が、長年の慣習を変えようとすることへの警戒心だ。それは自然なことだ。
ただ、染めることを止めるつもりはない。
許可はもらった。方法を考えればいい。
廊下に出たとき、若い女性とほぼぶつかりそうになった。
「あっ、申し訳ございません!」
丸い目をした、二十歳前後の娘だ。生成り色の仕着せを着ているが、ヘルミーネと違って背中が丸い。少し慌て者の気配がある。
「大丈夫ですよ」
「あの……奥方様ですよね」
「はい」
「わたし、侍女としてご奉仕することになりました。リゼッテと申します。よろしくお願いします!」
ぺこ、と大きく頭を下げた。勢いがあって、少しかわいらしかった。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「さっき、ヘルミーネ様と話しておられましたよね」とリゼッテは声を低めた。「怖かったですか、ヘルミーネ様。わたし、いつも怖いんですけど」
「少し緊張しました」
「ですよね!」
廊下の壁を背に並んで立った。リゼッテの話し方はまっすぐで、隠し事をしなさそうだった。
「ヘルミーネ様は悪い人ではないんです。ただ……この城のことが、とても大事なんだと思います。ずっといらっしゃるから。もう三十年以上らしいです」
「三十年以上」
「辺境伯様がお生まれになる前から、ここにいると聞きました」
三十年以上。クラウスが生まれる前から、この城にいる。
ヘルミーネにとって、この城の三十年間のあり方こそが「本物」なのだ。色のない城が、彼女の守ってきたものだ。
「クラウス様のことは……辺境伯様のことは、どんな方ですか」
「無口で、怖そうで……でも不思議と怖くないんです。笑ったお顔を、誰も見たことがないらしいですけど」
「笑ったことがないのですか」
「見た人がいない、という話で……そんなことはないと思うんですけど。どうなんでしょうね」
リゼッテは少し首を傾けた。
「奥方様がいらっしゃったから、もしかしたら笑うようになるかもしれませんよ」
「さあ、どうでしょう」
イレーネは答えながら、廊下の奥を見た。
夫の笑顔よりも今は、地下蔵の扉が気になっていた。
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