第六話 灰色の城の中へ
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翌朝、侍女長のヘルミーネが城内を案内してくれた。
「こちらが食堂、奥が厨房でございます」
廊下を歩きながら、ヘルミーネは淡々と説明する。五十代と思しき女性で、背筋が真っ直ぐだ。白髪交じりの黒髪を束ね、生成り色の仕着せを着こなしている。礼儀は完璧だが、温かみがない。
食堂に入ると、長机と椅子が並んでいた。
木製の家具は磨かれているが、無塗装だ。テーブルクロスもない。窓の外から朝の光が入るが、反射するものがなく、部屋全体がただ白く明るいだけだ。
厨房は大きく、使い勝手が良さそうだった。だが鍋も皿も、焼き物の白か鉄の黒ばかりだ。どこにも、色がない。
応接室、礼拝堂、と案内が続く。
礼拝堂の壁には、かつて絵が描かれていたらしき輪郭の跡があった。絵の具が剥がされた跡か、あるいは漆喰で塗り潰したのか——長方形の影が、壁にうっすら残っている。
「こちらが礼拝堂でございます」
「以前は壁に何かありましたか」
ヘルミーネが一瞬、動きを止めた。
「古い建物ですので、改修した跡がございます」
それだけ言って、次の部屋へ進んだ。
イレーネは礼拝堂の壁をもう一度見た。壁画の輪郭は、人の形をしていた気がした。
昼前に自室へ戻り、荷物を開いた。
着替えを整理していると、嫁入り色の布が手の中に現れた。深い緑——リンデン家の紋章色。母から渡された、この家から来たことを示す布だ。
部屋の壁は、石だ。
タペストリーを掛けるための鉤はある。でも、その鉤には何もかかっていない。
この布を掛けたら、どうだろう。
色のない部屋に、深い緑が一枚。
イレーネは布を広げて、壁に当ててみた。
緑と石の灰色。
合わない、とは思わなかった。むしろ、石の単調さの中で、緑が生きて見えた。
でも——
部屋の扉が少し開いて、廊下のヘルミーネが「お片付けはよろしいでしょうか」と声をかけた。
「はい、もう少しで」
イレーネは布をそっと折り畳んで、引き出しの中にしまった。「今はまだ」と心の中で言った。
今突然に色を飾っても、誰にも何も伝わらない。まず染色の許可をもらったことを、この城の暮らしの中で実現しなければ。
それからだ。
「一つお聞きしてもよいですか、ヘルミーネさん」
「はい」
「工房として使える空き部屋はありますか。染色には水と窓が必要で、あとは——」
「それはまた改めてご相談ください」とヘルミーネは言った。柔らかい口調だが、今は答えないという意思があった。「まだお着きになったばかりですし、まずは城の慣習をお覚えいただければと思います」
「承知しました」
廊下を歩きながら、イレーネは城の構造を頭の中で組み上げていた。東棟と西棟の配置、食堂の隣の使われていない部屋、地下に続く扉の位置——
地下蔵はどこだろう。
廊下の奥、ヘルミーネが案内しなかった方向に、薄暗い石段が見えた。
近づくと、石段の踏み面が微かに摩れていた。何年も使われていないというには、少し減り方が新しい。誰かが最近も通っている。
なぜ気になるのか、と聞かれれば——染料の話と同じだ、とイレーネは思った。使われている場所と使われていない場所とでは、空気が違う。
この先に、何かある。
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