第三十二話 三十年ぶりの赤い婚礼
婚礼の日、イレーネは城下町に出た。
正式に招かれたわけではない。ただ——見たかった。自分が染めた布が、どう使われるのか。
遠くから、木陰に立って見ていた。
城下町の小さな広場に、若い夫婦がいる。白い服を着た花嫁が、赤い布を肩に掛けている。あの茜色だ。朝の光の中で、布が鮮やかに輝いている。
「……」
広場に集まった人々の中に、老いた女性がいた。
花嫁に近づいて、赤い布に手を当てた。
白い髪、皺深い顔。その目が、潤んでいた。
「……三十年ぶりに見た」
呟きが聞こえた気がした。遠すぎて正確には聞こえなかったが、動いた口がそう言ったと思った。
「赤い婚礼……わたしが嫁に来た時も、こんな色があった」
花嫁が老婆の手を握った。
老婆が泣いた。声を上げるでもなく、ただ涙が伝う。花嫁もうっすらと目が赤くなっている。花婿が二人に少し遠慮しながら横に立っている。
「色が戻ってきた」とイレーネは思った。「一つだけだけど」
一枚の赤い布。たったそれだけで、老婆が三十年間持ち続けていた何かが、溢れ出した。
色は記憶だ。
婚礼の赤は、この人にとって「その頃があった」という証だったのかもしれない。それが三十年間なくなって、また戻ってきた。
しばらく人々の様子を眺めていて、ふと目が止まった。
広場から少し離れた場所に、人影があった。
ヘルミーネだった。
城の侍女長が、一人で、広場を見ている。
普段と違う顔だった。感情を制御している顔ではない。何かに触れて——揺れている顔だ。
老婆が泣いたのと同じタイミングで、ヘルミーネの目が——潤んでいた。
「あの人も、覚えているのかもしれない」
三十年前のグラウエン。色とりどりの祭りの旗。婚礼の赤い布。そういうものを、ヘルミーネも見てきたはずだ。
ならばなぜ、反対するのか。
ならばなぜ、変化を恐れるのか。
答えは、まだ分からない。
城に向かって、歩き出した。
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