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夫は色の名前をひとつも知りませんでした。けれど私が染めた布を、一枚も手放しませんでした  作者: ヲワ・おわり


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第三十話 婚礼の依頼

「奥様!大変です!」


リゼッテが工房に飛び込んできたのは、昼過ぎのことだった。


「どうしましたか」


「城下町で買い出しをしていたら——婚礼が近い若いご夫婦がいて、赤い布が欲しいと話していたんです」


「赤い布」


「染め物の話で、この辺りでは手に入らないって困っていて。思い切って声をかけて……こちらに来ていただいてもよいですかと聞いたんですけど」


「話を聞きましょう」とイレーネは言った。


待つこと少し。城の応接間に、若い夫婦が来た。


二十歳前後の女性と男性。二人とも、生成り色の服を着ている。女性の方が少し緊張した顔で、男性が隣で手を握っている。


「あの……奥方様に直接このようなことをお願いするのは恐れ多くて……」


「構いません。どんな布をお望みですか」


「婚礼に、赤い布が欲しいんです。でもこの辺りでは染め物が……お義母さんが、昔の婚礼には赤い布があったと教えてくれて。でも今は手に入らないから仕方ないって」


女性が少し俯いた。


「お受けします」


頭を上げた女性の目が、驚きで丸くなった。


「……え」


「赤い布をお作りします。どんな赤をご希望ですか。明るい赤、落ち着いた赤、深みのある赤——好みはありますか」


「そんなに種類があるんですか」


「染め方によって変わります。婚礼であれば、生命力と喜びを感じる赤がいいと思いますが」


女性が男性を見た。男性が頷いた。


「……奥方様のお任せします。いただけるのであれば、何でもありがたいです」


「では、この土地の茜草で染めた赤にします。グラウエンの土地の色で、婚礼を飾りましょう」


二人が応接間を出ていった後、リゼッテが言った。


「断るかと少し心配でした」


「なぜ」


「法的なこととか、許可がどうとか……」


「辺境伯の許可はいただいています。個人のご依頼に応じることは城内での活動の範囲内です」


「よかった……あとですね、奥様」とリゼッテが少し声を落とした。「あの夫婦と話していて聞いたんですが……三十年間、この土地で色のある婚礼はなかったそうです」


「……三十年間」


「みんな、生成り色の布で婚礼をしてきた。赤い布があれば良かったと思いながら、でも手に入れられなかった」


三十年間、婚礼に赤がなかった。


喪の儀式が形だけになったのと同じように、婚礼もまた、色のない儀式になっていた。


「色は人の暮らしに必要だ」とヨハンが言っていた。


その意味が、今初めて、体の深いところに届いた。


染めたいから染める、ではない。


この土地の人々が、三十年間欲しかったものを、自分は作れる。


工房に戻って、色見本帳を開いた。


婚礼の赤。この土地の茜草から出る赤。どんな色になるか、もう少し試して決めよう。


旧染料園の野生の茜草では、まだ量が足りない。持参した茜根と組み合わせて染めれば——


「土地の色を、婚礼に使いたい」と声に出した。


外から、秋の風の音がした。

次話も更新されます。引き続きよろしくお願いします。

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