第二十五話 クラウスが工房を覗く
「今日で七回目です」
リゼッテが指を折りながら宣言した。
「七回?」
「辺境伯様が工房の外を通った回数です。一回目、二回目と数えていたんですよ」
「……そんなに数えていたんですか」
「だって気になるじゃないですか。馬の世話が毎日七回って、馬が何頭いるんだって話で」
確かに、馬小屋は城の西側だ。北棟の工房に面した廊下とは、方向が真逆になる。
イレーネは作業台に視線を戻した。今日は色名体系の整理をしている。地下蔵で書き写した文字と、ヨハンから聞いた色の説明を、一覧にまとめている。
「気にしなくていいです」
「奥様も気にしてますよね」
「していません」
「今、窓に目が行きましたよ」
窓の外に、見慣れた後ろ姿があった。
灰銀の髪。背の高い体躯。馬を連れているが——その馬は、今まで見たことのない鹿毛の馬だ。城内の馬は灰か黒か白ばかりのはずだが、どこから連れてきたのか。
七回も来ている。
「邪魔にはならんか」ではなく「邪魔にはならんか」——
考えているうちに、気づいたら廊下の窓を開けていた。
「辺境伯様」
クラウスが振り返った。
「工房をご覧になりますか」
間があった。
クラウスは少し、考えるような目をした。
「……邪魔にはならんか」
「なりません」
「……」
また間があって、クラウスは馬を繋いで工房の扉の方へ歩いてきた。
リゼッテが「私は外に」とそっと出ていった。
クラウスが工房の中に入った。
広くはない部屋に、二人がいる。
「こちらが染料棚です。种類ごとに並べています。植物性、鉱物性、複合のもの」
イレーネは説明しながら、クラウスの目の動きを追った。棚を、丁寧に見ている。染料の瓶を、表から確認している。
「色の名前が書いてありますね」
「はい。壺ごとに名前と産地を書いています。混同しないように」
「……霧朝」
棚の一角に、帳面から書き写した色名を貼りつけていた。地下蔵の布に記録されていた色名体系の整理用だ。まだ試染できていない色が多いが、仮置きとして名前だけ書いた。
クラウスがその貼り紙の前で、少し長く立ち止まった。
「ご存知ですか、この名前」
「……知らない」
「地下蔵の古い布に刺繍してありました。この土地でかつて使われていた色の名前だと思います」
クラウスは何も言わなかった。
貼り紙から目を離して、窓の外を見た。旧染料園の方向だ。
しばらく黙って見ていて、「一色ずつ、取り戻しているのか」と言った。
「はい。できる限り」
「……そうか」
工房の中を一回り見て、クラウスは扉に向かった。出ていく直前に、立ち止まった。
「祈り色、というものは……あるのか」
「え」
「名前だけ知っている。昔の書物で読んだ」
イレーネは驚きで、次の言葉がすぐに出てこなかった。
「……あります。祭礼や儀式で使う、特別な意味を持つ色のことです。なぜそれを」
「名前だけだ」
それだけ言って、クラウスは廊下へ出ていった。
馬を連れて、城の奥へ消えていく。
イレーネは工房の中で、その背中を見送った。
「祈り色」は、グラウエンでも使われていたはずだ。三十年間途絶えている、この土地の儀式の色。
なぜ今、その言葉を。
昔の書物で読んだ——という言葉の意味が、気になった。
次話も更新されます。引き続きよろしくお願いします。




