第二十話 深い藍が染まる日
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翌朝。
乾燥台の布を光にかざして、確かめた。
「……よし」
乾いた布の色は、思っていたより深かった。湿っている間は正確な色が分からない。乾燥すると本来の発色が出る。昨日よりさらに深く、澄んだ藍だ。
「色定めを始めます。少し時間がかかるかもしれません」
「見ていていいですか」とリゼッテが言った。
「静かにしていてくれれば」
「はい」
布を作業台に広げた。
両手を重ねる。深く息を吸う。
魔力を通していく。
藍の染色は、茜より繊維の内部への定着が難しい。色が粒子として入り込む構造が複雑で、全体に均一に魔力を通すのに時間がかかる。急いではいけない。丁寧に、一部分ずつ。
集中していると、時間の感覚が消える。
どれほど経ったか——終わったとき、手に力が入らなくなっていた。頭が重い。足元が少し揺れた。
「奥様?」
「大丈夫です」
椅子に座った。深呼吸を繰り返す。色定めの消耗は毎回のことだが、今日は大きめに使った。
「水をお持ちします」
「ありがとう」
リゼッテが水を取りに行く間、布を見た。
色が、定着している。
光を当てると、藍の深さが均一に伸びている。光の角度によって少し紫が滲む——上質な藍の証だ。これは王都でも、こんな色は出せないかもしれない。グラウエンの沢の水と山の藍草が、この色を作った。
「この色——こんな藍は、王都でも出せない」
工房の扉の近くに、ヨハンがいた。
いつから来ていたのか分からない。無言で立っている。
「ヨハンさん」
「……昔の色に」とヨハンは言った。「似とる」
声が、少しかすれていた。
「三十年前の色ですか」
「もっと深かった。でも……これは近い。わしが子どもの頃に見た、あの祭りの布に」
ヨハンの目が、遠い場所を見ていた。
隣でリゼッテが「きれい……」と言った。水を持ったまま、布を見て、目が潤んでいた。「綺麗すぎて……」と言いかけて、言葉にならなかった。
報告に行こう、と思った。
クラウスに、というより——なぜか、一番に見せたかった、という気持ちが確かにあった。
執務室の扉を叩いた。
「入れ」
布を持って中に入った。クラウスが執務机の前にいた。書類から顔を上げる。
「藍が染まりました。ご覧いただけますか」
布を広げて差し出した。
クラウスが受け取った。
しばらく見た。何も言わない。長い沈黙だった。
ただ、受け取った布を、手渡さない。自分の手の中で、角度を変えながら見ている。
「……きれいだな」
低い声だった。
一言だけ。
「ありがとうございます」とイレーネは言った。声が少し、掠れた。
「これはどこに飾るのか」
「まだ決めていません。どこが良いと思われますか」
クラウスは少しの間、布を見たまま黙っていた。
「……好きにしろ」
でも、布を返さなかった。
廊下に出ると、リゼッテが待っていた。
「奥様、辺境伯様があんなことを言うなんて、初めて聞きました。きれいだな、なんて」
「……そうなの?」
「はい。本当に。クラウス様が、ものを見て、きれい、と言う——それだけで城の使用人は全員驚きます」
「……」
「奥様、顔が赤いですよ」
「そんなことはありません」
廊下を歩きながら、「きれいだな」という声が、頭の中でいつまでも響いていた。
布への感想か。それとも——
考えてはいけない気がして、工房へ急いだ。
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