表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夫は色の名前をひとつも知りませんでした。けれど私が染めた布を、一枚も手放しませんでした  作者: ヲワ・おわり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

20/35

第二十話 深い藍が染まる日

毎日5話ずつ、07:30 / 12:30 / 17:30 / 19:30 / 21:30 に更新予定です。

面白かったら評価やブックマークで応援してもらえると嬉しいです。

翌朝。


乾燥台の布を光にかざして、確かめた。


「……よし」


乾いた布の色は、思っていたより深かった。湿っている間は正確な色が分からない。乾燥すると本来の発色が出る。昨日よりさらに深く、澄んだ藍だ。


「色定めを始めます。少し時間がかかるかもしれません」


「見ていていいですか」とリゼッテが言った。


「静かにしていてくれれば」


「はい」


布を作業台に広げた。


両手を重ねる。深く息を吸う。


魔力を通していく。


藍の染色は、茜より繊維の内部への定着が難しい。色が粒子として入り込む構造が複雑で、全体に均一に魔力を通すのに時間がかかる。急いではいけない。丁寧に、一部分ずつ。


集中していると、時間の感覚が消える。


どれほど経ったか——終わったとき、手に力が入らなくなっていた。頭が重い。足元が少し揺れた。


「奥様?」


「大丈夫です」


椅子に座った。深呼吸を繰り返す。色定めの消耗は毎回のことだが、今日は大きめに使った。


「水をお持ちします」


「ありがとう」


リゼッテが水を取りに行く間、布を見た。


色が、定着している。


光を当てると、藍の深さが均一に伸びている。光の角度によって少し紫が滲む——上質な藍の証だ。これは王都でも、こんな色は出せないかもしれない。グラウエンの沢の水と山の藍草が、この色を作った。


「この色——こんな藍は、王都でも出せない」


工房の扉の近くに、ヨハンがいた。


いつから来ていたのか分からない。無言で立っている。


「ヨハンさん」


「……昔の色に」とヨハンは言った。「似とる」


声が、少しかすれていた。


「三十年前の色ですか」


「もっと深かった。でも……これは近い。わしが子どもの頃に見た、あの祭りの布に」


ヨハンの目が、遠い場所を見ていた。


隣でリゼッテが「きれい……」と言った。水を持ったまま、布を見て、目が潤んでいた。「綺麗すぎて……」と言いかけて、言葉にならなかった。


報告に行こう、と思った。


クラウスに、というより——なぜか、一番に見せたかった、という気持ちが確かにあった。


執務室の扉を叩いた。


「入れ」


布を持って中に入った。クラウスが執務机の前にいた。書類から顔を上げる。


「藍が染まりました。ご覧いただけますか」


布を広げて差し出した。


クラウスが受け取った。


しばらく見た。何も言わない。長い沈黙だった。


ただ、受け取った布を、手渡さない。自分の手の中で、角度を変えながら見ている。


「……きれいだな」


低い声だった。


一言だけ。


「ありがとうございます」とイレーネは言った。声が少し、掠れた。


「これはどこに飾るのか」


「まだ決めていません。どこが良いと思われますか」


クラウスは少しの間、布を見たまま黙っていた。


「……好きにしろ」


でも、布を返さなかった。


廊下に出ると、リゼッテが待っていた。


「奥様、辺境伯様があんなことを言うなんて、初めて聞きました。きれいだな、なんて」


「……そうなの?」


「はい。本当に。クラウス様が、ものを見て、きれい、と言う——それだけで城の使用人は全員驚きます」


「……」


「奥様、顔が赤いですよ」


「そんなことはありません」


廊下を歩きながら、「きれいだな」という声が、頭の中でいつまでも響いていた。


布への感想か。それとも——


考えてはいけない気がして、工房へ急いだ。

次話も更新されます。引き続きよろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ