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夫は色の名前をひとつも知りませんでした。けれど私が染めた布を、一枚も手放しませんでした  作者: ヲワ・おわり


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19/30

第十九話 藍の染め直し

毎日5話ずつ、07:30 / 12:30 / 17:30 / 19:30 / 21:30 に更新予定です。

面白かったら評価やブックマークで応援してもらえると嬉しいです。

三日後。


藍瓶を開けると、発酵の状態が違った。


酸っぱい匂い、泡の出方、表面の膜の色——全てが、最初の失敗の時とは異なる。沢の水の効果だ。微妙な成分の違いが、発酵の速度と質を変えた。


「今日はうまくいきそうですか」とリゼッテが緊張した声で聞いた。


「分かりません。でも、始めましょう」


布を媒染液に浸した。前回と配合を変えた、ミョウバンと灰汁の調整版。浸す時間も計った。


準備が整ったところで、布を藍瓶に入れた。


沈める。ゆっくりと、空気が布の繊維から抜けるように。


染液の中で布が揺れる。


「……どのくらい待ちますか」とリゼッテが囁いた。


「見ながら判断します。一分、二分……引き上げます」


布を引き上げた瞬間、まだ緑色だ。空気に触れると、じわじわと青に変わり始める。


「色が変わってる」


「酸化です。藍は空気に触れてから色になる」


「さっきは緑だったのに……」


「一分待って、また浸します」


繰り返した。浸して、引き上げて、空気に当てて、また浸す。一回、二回、三回。


三回目の引き上げで、リゼッテが「変わりましたよ」と言った。


確かに、違う。前回の失敗の時とは、布の色の深さが違う。まだ薄いが、方向が合っている。


「まだです。あと一回」


布を持ったまま、少し考えた。


ここで引き上げると色が浅い。もう一回浸せば深くなる可能性があるが、浸しすぎると今度は発色が崩れることがある。判断が要る。


「入れます」


藍瓶に布を戻した。


少し長めに待った。一分半。


引き上げた。


布が空気に触れた瞬間、色が動いた。


「……」


リゼッテが息をのんだ。


藍の青が、じわじわと深くなっていく。最初の試験と同じ青ではない。もっと深い。もっと澄んでいる。今まで見たことのない方向の青だ、と思った。


「もう少し」


まだ空気にさらす。色が定まるまで待つ。


窓の外から、人の気配がした。


チラリと見ると、ヨハンが工房の扉の近くに立っていた。中には入らず、扉を少し開けたまま、こちらを見ている。


無言だが、姿がある。


それだけで、落ち着いた。


布を窓の光に透かした。


深い。均一だ。むらがない。


色定めはまだだが、この段階でこの色が出ていれば、仕上げは満足できるものになる。


「明日、色定めをします」


「今日はここまでですか」


「色定めは集中が要る。今日は体力を使いすぎました」


「でも……うまくいきましたよね?」


「もう少し深くなれば、うまくいったと言えます」


「充分じゃないですか、この色」


「まだです」


リゼッテが苦笑した。


ヨハンが扉を閉めて去っていく音がした。


「ヨハンさんも見てましたよ」とリゼッテが言った。「何も言わないけど」


「そうですね」


それでいい。


明日、この色に魔力を通す。定着させる。そうしてはじめて、「染め上がった」と言える。


布を乾燥台に掛けながら、「もう少し深くなりますように」と思った。


職人でも、願うことがある。

次話も更新されます。引き続きよろしくお願いします。

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