第十八話 ヨハンの話す昔のこと
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旧染料園で、ヨハンと一緒に作業した。
枯れかけた刈安の周りの雑草を抜き、茜草の根元に肥料を施す。染料植物を生かすための基礎的な作業だが、ヨハンの手早さには到底ついていけなかった。それでもやることに意味がある。
「ヨハンさん、昔のグラウエンはどんなところでしたか」
作業の手を止めずに聞いた。
ヨハンはしばらく答えなかった。草を引きながら、遠いところを見るような目をした。
「あんたが生まれる前の話だ」
「聞かせていただけますか」
「……あの頃はのう」
ゆっくりと、話し始めた。
「この辺境は『虹の辺境』と呼ばれていた。よその土地にはない色が出ると、王都でも評判で」
「虹の辺境」
「秋の収穫祭には、城の塔に色とりどりの旗が上がった。赤、青、黄色、緑、紫……子どもだったわしは、毎年その日が楽しみで」
色見本帳の余白を開いた。言葉を書き留める。
「染色師の工房は、今の旧染料園の向こうにあった。毎朝、師匠たちが働く音が聞こえてきた。槌の音、染料を混ぜる音、水が流れる音——賑やかだったな」
「ヨハンさんはその頃、何をしていたんですか」
「庭の見習いだ。植物を育てる仕事。染料植物も、わしらが世話していた」
「どんな植物がありましたか」
「茜、藍、刈安……それから、山のものを育てていた。名前は何て言ったかな」
イレーネは帳面に「山藍」と書きかけてから、止めた。
「『山の色』のような呼び方だったか。師匠たちがそう言っとったが……そういう名前じゃなかった気もする。独自の名前があったような」
独自の名前。
「今は誰も覚えていないんですか」
「わしが知っている限りでは、いないな」
ヨハンは草を一本引いて、地面に置いた。
「師匠たちは楽しそうだった。毎日、新しいことを試して。今日は何色が出た、あの布が仕上がった、来年の祭りはこの色にしようと——そういう話をいつも聞いていた」
「それが、三十年前に」
「ある日突然、全部終わった」
ヨハンの手が止まった。
「突然に?」
「わしには理由が分からなかった。師匠たちがいなくなって、工房が閉じて、旗が下りて。子どもだったから、大人の事情は教えてもらえなかった。ただ、色が消えた」
「師匠たちはどこへ?」
「……行ったまま、戻らなかった」
沈黙が落ちた。
イレーネは帳面を見た。書き留めた言葉が並んでいる。「虹の辺境」「収穫祭の旗」「山の色の独自の名前」「師匠たちがいなくなった」。
「ヨハンさんは、守り続けているんですね。ここを」
「誰かが手入れしなければ、全部枯れる」
旧染料園の石組みが、夕方の光を受けて影を作っている。
「ヨハンさん、明日もここに来ていいですか」
「あんたが来るなら、邪魔はしないよ」
素直ではない言い方だが、リゼッテに聞くと「ヨハンじいさんなりの歓迎の言葉です」と後で教えてくれた。
帰り道、「虹の辺境」という言葉が頭から離れなかった。
かつて、ここは虹の土地だった。
それを取り戻すことが、自分にできるだろうか。
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