第十七話 媒染の調整
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試験布が、四枚並んだ。
同じ藍草、同じ沢の水、同じ工程——違うのは媒染の配合だけだ。一番目はミョウバン多め。二番目はミョウバンと灰汁の半々。三番目は灰汁のみ。四番目は木酢液を加えた特殊な配合。
光に透かして、一枚ずつ見る。
「……違います」
「本当に? 同じ染め液を使ったのに?」とリゼッテが四枚を並べて見比べた。
「媒染によって、布の内部の染料の吸着の仕方が変わります。だから色が変わる」
一番目は青みが強い。四番目は少し緑がかっている。一番良い仕上がりは——二番目だ。深みがある。でもまだ浅い。
「方向は分かりました。次はこの配合を軸に、沢の水の量を変えて試します」
記録を帳面に書き込んでいると、廊下に足音がした。
工房の窓の外を、人が通った。
リゼッテが手を止めた。「……奥様、また来ましたよ」
「誰が?」
「辺境伯様です」
窓から見ると、クラウスが廊下の外を歩いている。馬の世話に行く時の方向と、明らかに違う。馬小屋は城の西側だが、今歩いているのは北棟の工房に面した東廊下だ。
二度目、三度目だった。
最初は偶然かと思った。だが三度目になると、偶然とは言いにくい。
「……なぜ、こちらに来るんでしょう」
「分かりません」とリゼッテが小声で言った。「でも昨日も来てましたよね。一昨日も気がしますが……」
クラウスが窓の前を通りすぎようとした。
イレーネは衝動的に、試験布の二番目を手に取り、窓越しに掲げた。
クラウスが、足を止めた。
窓ガラスを通して、灰青の瞳がこちらを見た。試験布を——見た。
その目が、一瞬だけ、何かに触れるような動きをした。
次の瞬間には、また前を向いて歩いていた。立ち止まったのは、ほんの三秒ほどだ。
それでもイレーネは、手に持った布を下ろせなくなった。
「……」
「奥様」
リゼッテの声で我に返った。
「どうかしましたか」
「何でもありません」
帳面に視線を戻した。媒染の比率の計算が書いてある。数字が並んでいる。
頭に入ってこなかった。
なぜ、こんなに気になるのだろう。夫が廊下を通っただけだ。足を止めただけだ。それだけのことが、なぜ。
「仕事に戻ります」
「……はい」
ペンを持ち直す。計算を続ける。数字を追う。
四枚の試験布の記録を書き終えて、「二番目の配合を基準にする」という結論を記入した。
工程は順調に進んでいる。
ただ、クラウスが廊下を通るたびに、集中が途切れるのが困った。
「明日もこの配合で試します。リゼッテさん、また手伝っていただけますか」
「もちろんです。……あと、辺境伯様のことは気にしないでいいですよ」
「気にしていません」
「そうですか」
リゼッテは微妙な顔をして、でも何も言わなかった。
窓の外の廊下は、もうひとけがなかった。
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