第十五話 藍の失敗
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最初の失敗は、あっさりと来た。
ヨハンが崖の下から採ってきた藍草を、王都でやっていた通りの工程で処理した。葉を水に漬け、温度を管理しながら発酵させ、三日後に染液を作った。
「いい色が出そうですか」とリゼッテが覗き込む。
「少し様子が違いますが……やってみます」
王都の藍とは葉の肉厚が違う。発酵の進み具合も、いつもと少し感触が異なる。だが原理は同じはずだ。経験と勘を使えば補正できると思っていた。
布を染液に浸し、引き上げる。また浸す。繰り返す。
引き上げた布を光にかざしたとき、「あ」と声が出た。
薄い。
淡い青緑色で、深みがない。くすんで見える。いつもの藍染めと明らかに違う仕上がりだ。
もう一度、今度は浸す時間を長くして試した。
同じ結果だった。
布を広げてリゼッテに見せると、リゼッテは「失敗ですか……」と眉を下げた。
「失敗です」
「どうして?」
「それを今から調べます」
感情的にはならなかった。失敗は情報だ。何がうまくいかなかったかを分析すれば、次の手が見えてくる。師匠にそう教わった。
失敗した布と、使った染液の残り、工程のメモを並べて見た。
「水が違うのか、植物の種が違うのか、媒染の割合が合わないのか」
考えられる原因を声に出す。リゼッテが「どれだと思いますか」と聞いた。
「全部かもしれません。でも一番可能性が高いのは……水です」
王都の工房では井戸水を使っていた。グラウエンの水は成分が違うはずだ。山岳地帯の水は、石灰や鉄分の割合が平野部と異なる。藍の発酵には水の性質が大きく影響する。
「水を変えたら改善できますか」
「試してみないと分かりません。城の井戸水と、ヨハンさんが言っていた沢の水を比べてみます」
リゼッテは少し考えてから言った。
「……奥方様って、失敗しても落ち込まないんですね」
「落ち込む時間があったら次の手を考えた方がいいですし」
「でも嫌じゃないですか」
「嫌ですよ。でも嫌だという気持ちと、次の手を考えることは同時にできます」
リゼッテは少し笑った。「なるほど」
失敗した布を折り畳んで、棚に置いた。捨てない。後で改善後の布と比較するために使う。失敗の証拠は、成功へのヒントになる。
「今日はここまでにしましょう」
「はい。また明日」
工房の片付けをしていると、廊下に足音がした。ヨハンだった。
「まだやっとるか」
「今日は失敗しました」
「そうか」とヨハンは言って、部屋に入ってきた。失敗した布を見て、少し考えた。「水が合わなかったか」
「そう思っています。明日、城の井戸水と沢の水を比べてみます」
ヨハンは頷いた。
「城の井戸と、あの沢の水は違う。昔の染め師はどっちを使っとったか……」
「どっちだと思いますか」
「沢だと思う。崖の下の沢。ただ……冬になると水量が減る」
「今から始めれば間に合いますね」
「あんたは急ぐのか」
「急ぎます」とイレーネは言った。「冬が来る前にできることをやっておきたい」
ヨハンは少し目を細めた。何を見るような目だった。
「……明日、沢まで案内してやる」
「ありがとうございます」
夜、工房の窓から外を見た。
旧染料園の石組みが、月明かりの中に浮かんでいる。野生化した茜草の細い茎が、夜風に揺れていた。
——明日は沢へ行く。水が違えば、藍は違う顔を見せるはずだ。
まだ始まったばかりだ。
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