第十二話 工房になった空き部屋
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北棟の角部屋は、長い間使われていなかった。
床に積もった埃を手で拭うと、指が灰色になった。窓は小さくなかったが、何年もの汚れで光が遮られていた。壁の隅に、昔何かを掛けていたらしき鉄の鉤が数本残っている。
「これ、全部拭かないといけませんね」とリゼッテが言った。
「手伝ってくれますか」
「もちろんです。一人では大変ですよ」
桶に水を汲んで、二人で拭き始めた。
まず窓。布で拭くと、光が部屋に入ってきた。午後の日が差し込んで、床の埃が白く浮かぶ。次に床。石の目地に染みついた汚れは手ごわいが、丁寧にこすると薄くなった。
「この部屋、昔は何に使われていたんでしょうね」とリゼッテが言った。
「使われた跡の形を見ると……引っ張り用の台が置かれていたかもしれません。布を張るための」
「え、つまり」
「昔は工房として使われていた可能性があります」
リゼッテは少し驚いた顔をしてから、室内を見回した。「なるほど。この鉤も、そのためですか」
「たぶん」
壁の鉤は布を乾燥させるのに使えそうだ。そう考えて、位置と数を確認した。六本。これだけあれば、染め上がった布を複数同時に干せる。
道具を運び込んだ。
染料の壺を窓際の棚に並べる。媒染用の鍋、染め桶の鍋、水甕、布漉しの網。師匠の工房の配置を思い出しながら、手際よく並べていく。
「これが媒染用で、これが染め桶用で……」と説明しながら作業していると、リゼッテが熱心に見ていた。
「染液を鍋で煮るから、臭いが出るんですよね」
「そうです。窓を開けておけば外に出ます」
「ヘルミーネ様が何か言うかも」
「そのときはそのとき、です」
色見本帳を棚の一番取り出しやすい場所に置いた。作業中に参照することが多い。師匠の帳面と自分の帳面を並べると、棚の半分を占めた。
「二冊もあるんですか」と驚くリゼッテ。
「師匠が旅立ちに持たせてくれたものと、自分でまとめたもの。合わせると二百色近くあります」
「二百色……」
「この土地で染めると、また違う色が出るかもしれない。そうなれば三冊目が必要になります」
リゼッテはそれを聞いて、少し目を輝かせた。
「新しい色、見てみたいです」
「見ていただけます。失敗も含めて」
「失敗も?」
「染色は失敗の方が多いですよ。うまくいくまでが面白いんです」
工房の整備が一段落したころ、廊下に足音がした。
扉が少し開いて、ヘルミーネが中を見た。
「こんな場所で……」と一言、呟いた。
「よろしければ見ていただいても構いません」とイレーネは穏やかに言った。「工房の配置をご確認いただけるなら、むしろありがたいです」
ヘルミーネは部屋を一瞥した。染料の壺、鍋、色見本帳。その全てをゆっくりと見てから、何も言わずに扉を閉めた。
「……」
リゼッテが小声で「どうしましょう」と言ったが、イレーネは「今日はここまでにしましょう」と答えた。
ヘルミーネは禁じなかった。ただ見た。
窓から見える外の景色に、荒れた石組みの庭があった。
「あそこ、何の畑だったんでしょうね」とリゼッテが窓の外を指さした。
「さあ」
「老庭師のヨハンじいさんは知ってるかもしれません。城の裏手によく行っているから。ご存知ですか?」
「まだお会いしていません」
「一度、話を聞いてみてください。あの人、昔のことをよく知ってるみたいなので」
窓の外の荒れた庭が、夕方の光で長い影を作っていた。
石組みの畝が、なんとなく染料畑の形に見えた。
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