第2話 “変態”悪役令嬢にクラス・アップですわ!
群青色の長衣に身を包んだ老医師は、無駄のない手つきで診察を終えると、深く一礼した。
「お体に重篤な異変は認められません。おそらくは過度のお疲れによるものでしょう。念のために数日ご静養なさるのがよろしいかと存じます」
とのことだった。
ストロベリーはベッドの上で身を起こし、枕に背を預け、
「まあ、先生。ほっといたしましたわ」
と穏やかに微笑んだ。
しかし胸の中では、
(ほっとしている場合ではありませんのよー!)
悲鳴を上げていた。
何しろ前世の記憶を書きつけた便箋が、誤って漏洩してしまったのだ!
(貴族学院の文芸部の部室にいますぐ駆け込んだらどうかしら!? あるいは、誰かの目に触れる前に便箋を回収できないかしらん)
とも考えたが――ストロベリーは王太子の婚約者である。つまりは未来の王妃だ。
そんな彼女から原稿が届いたらどうするだろうか? 小説コンテストの実行委員たちはどうするだろうか?
(そりゃもう、いの一番に開封しますわよねー!)
(「おい、ストロベリーさまから応募があったぞ!」「ロイヤル文学キター!」「しかし考えてみればこりゃ事だぞ。大賞に選べば忖度を疑われ、選外にすればストロベリーさまから恨まれ……」「とりあえず読んでみようぜ」と急ぎページをめくりますわよねー!)
(そして……)
ストロベリーはゴクリと唾を飲んだ。
いざ目を通して見れば、オー・マイ・ファッキン・ゴッド! それは信じがたい原稿だ。
実在人物が実名でバンバン登場し、【ルート①:生徒会室で、聖女と王太子が文化祭の企画を詰めている。やがて聖女がニコッと微笑んだ。王太子はあっという間に陥落した。チョロいことこの上なし】だの、【隠しルート②:文化祭の準備も佳境に入ったある日、屋上にて貴族の子息同士のBL乱交が始まった。組んず解れつの大騒動だ。王太子は主にネコである。ニャーン】だの、悪夢のような未来図が克明に描写されているのだ。それも何パターンも、である。
小説コンテストの委員は、茫乎として立ちすくむだろう。
彼らは対応に苦慮し、または写真週刊誌的なスケベ根性から、王太子たちにご注進にあがるに違いない。
で、話を聞いた王太子たちは――。
ストロベリーは首をかしげた。
(――殿下はどんな反応を示すかしらん?)
執事のセバスが、老医師を玄関ホールまで送っていった。
ストロベリーは部屋に残ったミルクに、
「ねえ」
と声をかけた。
「はい、お嬢さま」
ミルクがベッド・サイドにやってきた。
「あなたの想像力をちょっと拝借したいんだけれど、よくって?」
ミルクはグイッと頭を突き出し、
「こんな貧相なものでよければいくらでもお使いください」
と笑った。
「フフッ。ありがとう」
チラッと目をやると、カーテンの隙間から庭師のウッズが土仕事に精を出しているのが見えた。
「――例えば、ウッズがね」
「はい」
「彼が小説を書いたとするでしょう?」
「ああ、人がいっぱい死ぬ小説ですね?」
「……何ですって?」
「あれ、違います? だってウッズさんが書いたんですよね? 『苦しみは深い方がいい、出血は多い方がいい』がウッズさんの口癖ですから」
「……」
「……」
「えーと。どんな文脈でそのセリフが飛び出したのかわからないけれど、ああ、そう。屋敷に勤めて半世紀の大ベテラン、枯れた老人と思ったから新人の教育係を任せていたけれど、へえ、そうなの。……配置転換を検討しようかしら」
「そうですね。それがいいかもしれません」
「情報提供に感謝するわ。ただね、ミルク、今回の小説は血まみれのスプラッタではないの。そうではなくて――わかったわ。小説を書いたのはセバスということにしましょう」
「セバスさん」
「そう、セバスよ。ある日、セバスが『読んでみてほしい』とあなたに原稿を差し出したとしましょう」
「それは……」
ミルクが微笑んだ。
「興味深いですねぇ」
「フフッ。ちょっとドキドキしてきた?」
「ええ、ドキドキしてきました」
「あなたは早速ページを繰る」
「はい、早速繰ります」
「すると、あらびっくり。セバスが書いたのは、この屋敷の人間が実名で登場する作品だったの」
「……えーと」
「一例をあげるなら、そうね、ウッズとお父さまの」
「ウッズさんとご主人さまの?」
「主従逆転わからせ展開からのお兄さま乱入NTRエンドとか」
「……はい?」
「つまりね、お父さまがウッズに押し倒」
「いえいえ、お嬢さま! お待ちください、お嬢さま! 意味はわかります! いえ、本当はよくわかりませんが、語感から何となくは。そのぉ、大変不謹慎なことをおっしゃったと伝わっておりますので!」
「あらそう。それはよかったわ。話を続けるわね」
「……続くんですね?」
「セバスが書いたのは一種の連作小説だったの。だからウッズとハイデマリーの『俺さま攻め×女王さま受け』があったり」
「……」
「もちろんミルク、あなただって登場するのよ。ハイデマリー鬼畜攻めの――」
「あのぉ、お嬢さま。念のためにおうかがいしますが、もしかして私にセクシャル・ハラスメントをなさろうとしています?」
「まあ、とんでもないことだわ」
ストロベリーは思わず口に手を当てた。
「これは文学の話よ!」
「文学といえば何でも許されると思っていらっしゃいます?」
「いつの世も芸術は理解されづらいものねぇ」
「えっと。そもそもセバスさんはなぜそんなものをお書きになったんでしょう? 何かの罰ゲームですか?」
「フフッ。セバスを突き動かすもの、それはもう情熱以外の何物でもないわ!」
「……私、セバスさんのことは尊敬しているんです」
とミルクが言った。
「同じ使用人としていろいろ教えていただきました。感謝しています。だからもしもセバスさんがそんな小説を書いたなら――」
「ええ。書いたなら?」
「こう、一思いにグサッと」
「グサッと!?」
「私、思うんです。――尊敬する大先輩が道を間違えた時にはしっかり介錯して差し上げるのが後輩の務めだって」
「……」
「だって自分の身の回りの人を実名で登場させて、しかもエッチな話を書くだなんて、そんなの変態の所業じゃないですか!」
「……そ、そうかしら?」
「そうですよ!」
「そ、そう……かなあ」
「絶対にそうですって!」
「そう……かも?」
「そうに違いありません! 変態滅すべし!」
「……」
前世の記憶は、「悪役令嬢」から脱するための武器になるはずだった。
ところがどうだ。実際にはその記憶のせいで、ストロベリーは「“変態”悪役令嬢」にクラス・アップしてしまった!
――いや、クラス・ダウンかも。
ストロベリーは頭を抱えた。
スコーンというギロチンの音が遠くの方で聞こえた気がした。




