第8話 「本当に分かる人間しかわからないだろうからね」
「どうだった? 主人公を掘り下げろって言ってたから、今回はちゃんと盛り込んだんだけど?」
結果として、ダークファンタジーというより寓話に近い雰囲気になってしまった気はする。
舘林の顔色をうかがうと、彼は今回も青白い顔を強張らせていた。
「まったく君は……むしろホラーに寄せてきてるじゃないか。君の小説は、ホラーと書いてダークファンタジーと読むのかい?」
そう言って頭を抱え、ため息を吐く。
徹夜で書き上げた自信作だっただけに、私は顔を顰めて反論した。
「はあ? どこがホラーだってのさ。ちゃんと読んでる?」
すると舘林は、キッチンにいた柳原を呼んだ。
「どうしましたか?」
朝食を調理中だった彼は、やや面倒そうな顔で近付いてくる。
舘林はそのまま、私のスマホを投げ渡した。
「ちょっと、投げないでよ」
「読んでみたまえ」
「……はい」
「って、待って! 他の人に見せるのは……!」
私の制止も虚しく、柳原は言われるがまま画面に目を通す。
小説家志望だと知っているとはいえ、舘林以外に読まれるとは思っていなかった。
恥ずかしさと緊張で、顔が熱くなる。
「あの……ど、どうですか……?」
恐る恐る尋ねると、柳原は静かにスマホを返して言った。
「俺の主観で言いますと、小説の良し悪しは別として」
そこが一番気になったのに、と思いながらも真剣に頷く。
「まあ、その……ホラーにしろダークファンタジーにしろ、そもそも定義は曖昧です。櫻井さんにとってのホラーはゾンビものやゴア表現をイメージしているのでしょうが、千尋くんにとっては違います。となると、この作品は――」
ブツブツと語る柳原。
だが重要なのは、私の小説が“ダークファンタジー”なのか“ホラー”なのか、ただそれだけだ。
私は必死に柳原を見つめ、舘林もまた彼を睨んでいた。
少し考え込んだ末、柳原は答える。
「すみません。ノーコメントでお願いします」
「は?」
「は?」
二人の声が重なる。
逃げるなんてズルい、と私が言うより先に、柳原が続けた。
「それにしても、“ホラー”だと断言しているわりに、彼女の作品を最後まで読めているなんて千尋くん、凄いじゃないですか。いつもなら途中で顔を真っ青にして断念するのに」
え、そうなの?
私が視線を向けると、舘林は得意げに手を振りかざした。
「だから言ったじゃないか。彼女の小説は、僕にとってちょうどいいホラーなんだよ」
「裏を返せば、それは彼女の作品をホラーと認識していない可能性もありますが……?」
柳原の一言で、舘林の表情が一変する。
「そんなわけないだろう? 僕は、現に、こうして、読んで物凄く恐怖したんだ。ならばこれはホラーで間違いないじゃないか」
私は今になって気付いてしまった。
ホラーの判断基準が、舘林にとって怖いかどうかだということに。
コイツなんてグリム童話どころか、日本昔ばなしすらホラー扱いしそうな男なのに。
理不尽な予感に不安を覚えていると、舘林はため息混じりに言った。
「とにかく。君の作品を読ませてもらった以上、報酬は渡さないとね……雅也、例の物を」
すると柳原はすぐ奥の部屋へ向かい、何かを持って戻ってくる。
「さあ、これが今回の報酬だ。受け取りたまえ」
そうだ。ホラー定義は後回しでいい。
約束通り報酬をくれるのなら、それでいいんだ。
そう思い、私は柳原が持つトレイに手を伸ばした。
「それじゃあ、ありがたく――って、えっ!?」
そこにあったのは現金でも封筒でもなく、透明ケースに収められた石だった。
「石ころ……?」
「失礼だな。これはエピドートだよ」
「エピ……何?」
「原石だよ。パワーストーンみたいなものと言えば分かりやすいかな」
そう言われても、ただの緑色の石にしか見えない。
「これでも三万円はする品さ。ありがたく受け取っておきたまえ」
三万円!?
……が、驚いたものの、パワーストーンの相場がよく分からない。
「でも、だったら宝石とか指輪の方が良かったんだけど」
私がそう言うと、舘林は目を細めて反論した。
「君は、出会って数日と経たない男から宝飾品を貰いたいのかい? それに、これだとそう簡単に換金できないから丁度いいんだよ」
図星すぎて言い返せない。
それでも私は口を尖らせて言った。
「そもそも現金ちょうだいよ! こんな石じゃ割に合わない!」
その一言がまずかった。
舘林は近付くと、私のスマホをトントンと叩いた。
「謝礼は弾むと言ったが、“現金で”とは僕は一言も言っていないよ。むしろ、このクソつまんない小説でもちゃんと用意しているんだから、感謝してほしいくらいだね」
口約束の恐ろしさを、今更ながら思い知る。
せめて契約書をちゃんと用意してもらって目を通していれば、こんなことにならなかっただろうか。
——いや、コイツなら詐欺師ばりに、都合の良いことをつらつら書いただけの用紙を用意しそうだ。
「だったら……無理にでも換金しに行ってきて――」
「それは止めた方がいいです」
制したのは意外にも柳原だった。
「ここから町まで車で二十分。徒歩なら倍以上……さらに、買取店のある隣町までは電車で二十分ほどかかります」
「結構遠いっ……!!?」
「それに、一番の危険はそこではありません」
「危険って……?」
柳原は静かに息を飲んで、言った。
「この辺りは出るんですよ」
「で、出るって、幽霊……?」
「いいえ、熊です。特に今は冬眠から目覚めた熊が活発に行動している時期になります」
私は思わず窓を見る。
正面から見ると見晴らしのいい丘の上のこの邸宅だが、裏手には鬱蒼とした雑木林が広がっていた。
どうやら、この奥地に熊が出ることもあるのだという。
「え、嘘でしょ……?」
「足跡は確認されています。一応、電気柵を設置してはありますが、単独での行動はオススメしません」
舘林は悠々と笑って言う。
「なあに、この家を襲ってきたことはないから、心配はいらないがね」
立ち眩みに耐えながら、私は彼を見た。
「じゃ、じゃあ……せめてアンタが連れてってよ」
「あいにく僕はこれから用事があってね。雅也に頼んでも良いが、換金は勧めないよ。なにせその石の価値は、本当に分かる人間しかわからないだろうからね」
そう言い残し、舘林は高笑いしながら部屋へと去っていった。
「それでは、俺も調理の続きをしますので……朝食は六時半頃に出来ます。それまでご自由にお過ごしください」
柳原もキッチンへ戻り、私は一人取り残される。
そして、酷い後悔に襲われた。
貰った謝礼は石ころで。
住処は楽園のようでいて、実態は陸の孤島。
外に出ようにも熊が出ると言われ。
ここを出て行こうにも、帰る自宅はもうない。
もしかすると私は今、人生で一番不幸な状況にいるのかもしれない――そう思った。




