最終話 「この超絶イケメンは私のダークファンタジー小説をホラーだって言ってくる」
脱走未遂から五日後。私は、あの夜に入り込んだ森の中に来ていた。
だが、今回は一人ではない。
「――そこは足場が狭いから、気をつけたまえ」
私の前方を、舘林が歩いている。
「大丈夫。ちゃんと見てるから、わかるって」
いつになく少しだけ親切で、逆にそれが不気味だ。
まあ、その原因はわかっているのだが。
「……足の状態は、もう平気なのかい?」
おもむろに、舘林の視線が私の足元へ向く。
私はケロリと笑いながら答えた。
「もともと一人で歩けるくらいの軽いやつだったし、ずっと安静にしてたんだから、もう完治してるって」
念のため翌日に病院で診てもらったが、やはり軽度のねんざだった。
一応、包帯まで巻いて処置してもらった。
――が、私はそのままの足で小日向たちに改めて挨拶回り、もとい決意表明をする羽目になり、逆に心配されて恥ずかしい思いをした。
決意表明に関して、町の人たちの反応は思っていたよりもあっけらかんとしていた。
まあ、突然押しかけてきたと思ったら『私は絶対、勝手に舘林から逃げませんから』などと断言されても、何が何やらという感じだろう。
私自身も、言いながら『変なこと言ってるな』と思ったくらいだ。
ただ一人、小日向だけは真剣な表情で受け止めていた。
私の決断に安堵したのか、それとも別の感情が渦巻いたのか。それは彼女にしかわからない。
だが、これでもう『出て行ってください』などという驚くような発言をされる心配はないだろう。たぶん。
しかし……これで本当に、この生活が嫌になっても、やすやすと逃げられなくなってしまった。
舘林のせいで町民から冷ややかな目で見られるよりはマシだが、それでもこの事実だけは、どうにも腑に落ちない。
「……っていうか、今みたいにちょっとは優しく扱ってくれてもいいのに。町の人たちには紳士的なのにさ」
不意に漏れたぼやき。
ハッと気づいたときには、舘林がいつもの強気な笑みを浮かべ、こちらを見ていた。
「ふーん、なるほど。つまり君は、この僕に甘く口説かれたかったということか。言動はどうあれ、君も一応は乙女であることを失念していたよ。ああ、そうだったね、失敬」
……こいつは、どうしてこうも余計な一言が多いのか。
怒りを通り越して、呆れてしまう。
「そういう意味じゃないっての。たまに労ってほしいだけで、別に口説かれたいとか、そういうのじゃないから。それと、一応は余計だ」
私がしかめっ面をすると、舘林は静かに笑みを解いた。
「……まあ、そうだろうね」
彼は苦笑混じりに続ける。
「君は、どちらかといえば甘い囁きを『歯の浮くような台詞』だと言って拒絶するタイプだと思ったからね。だから君とは、ありのままに接しているんだよ」
確かに、この男と初めて出会ったとき。
真っ先に思ったのは、詐欺かドッキリ番組か、という疑念だった。
仮にあのとき口説かれていたとしても、恐ろしくなって黙って逃げ出していたに違いない。
「君の方こそ、僕に対しては随分と無遠慮に見えるけどね。雅也や町の者たちには礼儀正しいというのに……」
舘林は足を止め、こちらを振り向く。
……無遠慮な理由?
それは当然、出会い方のせいだろ。
出会って二言目で毒舌をかましてきた相手に、無礼だなんだと言われたくない。
――とはいえ、それ以外の理由も、ないわけじゃない。
不満そうな視線を向ける彼に、私は首を傾けて言った。
「いや、ほら……アンタってさ。なんか弟みたいな感じなんだよね」
「弟……?」
不服そうな舘林を気にも留めず、私は続ける。
「柳原さんから聞いたけど、アンタたちって私の二つ下なんでしょ? だからかな、家の弟たちと、生意気なところとか似てるなーって思っちゃって」
ケラリと笑う私を見て、舘林は黙って踵を返した。
「僕にしてみたら、君が姉だとは微塵も思えないがね」
背を向けたまま、ポツリと呟く。
どういう意味だ、と文句を言ってやろうかと思ったが、私が口を開くより早く、彼は続けた。
「……けどまあ、君とは“対等”でいたいからね。下手に畏まられるよりは、断然いいさ」
“対等”。
その言葉を引っ張り出されては、もう何も言えない。
私は開きかけた口を閉じ、黙って舘林の後に続いた。
森林の小道を歩いてから数分後、舘林が着いたと言わんばかりに足を止めた。
「この場所を、君に見せたかったんだよ」
ポツンと開けた広場の中央に、一本の桜が悠然と花を咲かせている。
舞い散る花弁が、私の髪や肩にそっと優しく乗っていく。
「綺麗……」
思わず漏れた言葉に、舘林も頷く。
「僕も初めてこの桜を見つけたときは、心が洗われるような気持ちになってね。それ以来、毎年この時期になると足を運んでいるのさ」
だから軽症とはいえ、完治したばかりの私を、こんなところまで連れてきたわけか。
早朝から突拍子もなく『ついてきたまえ』なんて言われたから何事かと思ったが。
……まあ、この男の唐突さは今に始まったことじゃない。
今回は、この満開の桜に免じて許しておこう。
舘林は桜の近くへ歩み寄ると、折りたたみ式の椅子を手際よく用意し始めた。
やたらと大きなリュックを背負っていると思っていたが、どうやら花見道具一式が詰め込まれていたらしい。
「でも、こんなところで勝手に花見なんかして、土地の所有者に怒られたりしないかな」
「怒られるわけがないだろう。所有者は、この僕なんだからね」
「……え?」
「ああ、言っていなかったかい? この辺り一帯は、すべて僕の私有地なのさ。だから君が転がり落ちたあの場所も、僕の庭だったというわけだ」
この辺り一帯って……どこからどこまでだよ。
改めて思い知らされる、この男の金持ちっぷり。
驚きを通り越して、目眩すらしてくる。
ふらつく私をよそに、花見の準備を終えた舘林が声を掛けてきた。
「そこで大口を開けて突っ立っていないで、椅子に座ったらどうだい?」
言われるまま、椅子に腰を下ろす。
やがて、風がそよぐ音だけが耳に届く、静かな時間が流れ始めた。
改めてこうして二人並んで座ると、なぜだろう。妙な緊張感に包まれる。
ドライブ中も、食事中も、こんなふうに意識したことはなかったのに……。
たぶんその原因は、桜の風景と舘林が、あまりにも絵になりすぎているからだ。
容姿端麗なこの男の横顔と、神秘的な淡い桜吹雪。その組み合わせは、正直反則だと思う。
この光景を留めておきたいと願う人間は、相当いるだろうな。
……もっとも、私はそういうことはしないけれど。
「去年までは雅也と一緒に来ていたんだが、今日はどうしても外せない用事があるらしくてね。それでせっかくだから君を誘ったというわけさ。病み上がりとはいえ、家でぐうたら死んだ魚の目で暇を潰しているよりも、リハビリ代わりになって丁度いいだろう?」
そして当然のように吐く余計な一言が、私の感動を邪魔する。
とはいえ、その嫌味のおかげで緊張は多少ほぐれた。
私はこのタイミングしかないと思い、意を決して口を開く。
「あのさ、舘林。ちょっといいかな……」
「な、なんだい。急に改まって」
少し畏まった私の様子に、舘林は目を丸くする。
そんな彼へ、私は静かにスマホを差し出した。
「これ……新しく書き上げた小説。読んでくれない?」
その小説の内容をかいつまんで説明すると、こんな話だ。
◆
舞台は霧深い森の中。
迷い込んだ冒険者たちが、一体の魔物と遭遇する。
その魔物は“ドライアド”と呼ばれる森の精霊で――。
◆
「——いや、今読むのは却下だ」
まさかの拒否。それも即答だった。
「な、なんで!?」
舘林は顔色を青くしながら言った。
「決まっているだろう。君のホラー小説なんか読んだら、せっかくの花見が台無しじゃないか」
「でもこの間、この森林を歩いてるときに思いついたこの場にピッタリの話なんだって。それと、私の小説はホラーじゃないって何回言ったら……」
「毎回あんなゾッとする結末を書いておいて、よく否定が出来たものだよ……」
彼は深いため息を吐くと、不敵な笑みを浮かべて言った。
「改めて断言しようじゃないか。君の小説は、間違いなくホラーなんだ。だからこんな場面で読むのは断固却下だ」
そう言って、舘林は頑としてスマホを受け取らなかった。
「そんなものを読むくらいなら、淹れたての珈琲を味わう方が何万倍も有意義だね。ほら、君もこれを飲んで、たまにはあのおぞましいジャンルから離れる脳でも養ってみたらどうだい? ハーハハハハッ!」
高笑いしながら、優雅に珈琲を口に運ぶ舘林。
対する私は、楽しむ気分など完全に消え失せていた。珈琲の味も何も、わかったもんじゃない。
本当に毎度毎度……この超絶イケメンは私のダークファンタジー小説をホラーだって言ってくる。理不尽極まりない男だ。
だが、だからこそ張り合いがあると、今は思う。
なにせこれは、私が表現する理不尽と、舘林が持ちうる理不尽――どちらが勝り、どちらが折れるか。そういう勝負なのだから。
……絶対に認めさせてやる。
私の小説は、ダークファンタジーだと。
そのためにも、帰宅したら何が何でも舘林に読ませてやる。
そう心に誓いながら、桜の下で私は静かに珈琲を飲んだ。
「……あったかい」
~ 完 ~




